076 罰当たりな人間たち

 



 高速で回転する車輪は、廊下を埋め尽くす石像の使徒たちを、砕かずに弾き飛ばしていく。


 その間にも、アミの体はどんどん使徒へと変貌していた。




「お姉ちゃん……行って!」


「……っ、く……絶対に、元に戻してみせますからッ!」




 自分の体が石に変わっていく感触――想像を絶する恐怖だろう。


 気丈に微笑むアミだが、その口元はわずかに震えている。


 それはきっと、あっさりと死ぬよりも、ずっと後味の悪い末路。


 しかも、メアリーが勝ったとしても、絶対に戻る保証など無いのだから。


 そう思うと、無謀な行動だったのかもしれない。


 他にも方法はあったのかもしれない。




(でも私、そんなに賢くないからなあ)




 少なくともあの瞬間、アミがメアリーを助けるためには、あれ以外に思いつかなかったのだ。


 もちろん怖い。


 苦しい。


 何なら痛みだってある。


 それでもアミは、笑ったメアリーを見送った。


 メアリーはぐっと歯を食いしばり、彼女に背を向けて出口に向かって走り出す。




「大丈夫、怖くない。だって、お姉ちゃんは、絶対に勝つんだから――」




 自分に言い聞かせるようにそう呟くと、彼女の体は完全に石像と化した。


 思考は奪われ、顔も体つきも他の使徒と同じ、ただの道具に成り下がる。


 そしてぎこちない動きで前を向くと、遠ざかるメアリーを殺すべく、その背中を追った。




 ◇◇◇




 アミが切り開いた道のおかげで、外に逃げることに成功したメアリー。


 彼女は自身の身体能力だけを使い、とにかく使徒を振り切ることに集中した。


 街の住民の大半が石像に変わっている――つまりその数は数千。


 行く先々に使徒は待ち構え、隠れる場所などありやしない。


 体力はまだもつ。


 しかし持久戦に持ち込んだところで、相手は常に体を休められる状況――メアリーの集中力だけがすり減っていく。


 どこかで致命的なミスが一度でも発生したら、その時点で負けは確定だ。


 できるだけ早く決着を付けたかった。


 そのためにも、落ち着いて考えられる場所を探す。


 追っ手を振り切り、路地に入り、開いている窓から建物の内側に滑り込む。


 壁に背中を貼り付けて、息を潜めるメアリー。


 ザッザッザッ、と使徒の群れがすぐそこを通り過ぎていく音が聞こえた。


 だが建物内に敵がいる可能性もある。


 薄暗い室内を、目を凝らして観察するメアリー。


 あの石像からは生命らしい“気配”が感じられないため、目視と音でしか敵の所在が確認できない。




(この部屋はひとまず無事なようです、今のうちに勝つための方法を考えなければ――)




 脳裏によぎる、キューシーとアミの姿。


 カラリアも、二人と同じような思いをしたのだろう。


 怒りがふつふつと湧き上がる。


 傷と違って魔術で癒せない症状であるがゆえに、余計に敵のやり口の悪辣さが際立つ。


 だが、怒りで冷静さを欠いていては元も子もない。


 勝つためには、まず落ち着いて情報整理からはじめなければ。




(改めて、戒律について整理しましょう。まず第一の戒律は、術者への攻撃を禁じること。第二の戒律は、使徒への攻撃を禁じること。第三の戒律は、武器の所持を禁じること。そして第五の戒律は、街の外へ出ることを禁じること。キューシーさんのような能力ならともかく、私の場合は、すでに攻撃と逃走を封じられた状態です。つまり“敵のアルカナ使いを倒す”という方法以外で勝利しなければならない)




 ――そんな方法があるのか。


 メアリーは自らに問いかける。


 だが、それに関して言えばゼロではない。




(広範囲に及ぶ無差別攻撃――おそらく、この能力にはかなり厳しい発動の制約があると考えられます。そして実際、『教皇ハイエロファント』の能力にはいくつもの疑問点があります)




 すでにここまでの段階で、相手の奇妙な行動をいくつかメアリーは見ていた。




(まず一つ、なぜ教会を襲わないのか。あの場所には使徒になりうる人間が集まっているのに、明らかに、相手は意図的に彼らを生かしている。そしてもう一つ、なぜわざわざ“化ける”必要があるのか。母親が気づいていない以上、どうやら“認識”を歪める能力があるようですが、その能力は戒律とは全く関係がありません)




 そう、確かに“他者と入れ替われる”能力があれば便利だろう。


 しかし、わざわざウィッグを被っているところを見るに、おそらく外見がかけ離れ過ぎては、あの能力は使用できないものと考えられる。


 というよりは――信者が教祖の違和感に気づいてしまう、と言うべきか。


 何より、『教皇』のような能力の場合、できれば本体は目立ちたくないはずだ。


 隠れるのではなく、あえて教祖と入れ替わる――それは彼にとって、単純にデメリットなのだ。




(つまりあの行為は、『教皇』の“能力”ではなく、“制約”なのではないでしょうか。“教祖と入れ替わらなければならない”、“信者を生かさなければならない”。この二つが、発動の条件だとすれば――)




 敵のアルカナ使いが自信を持って自ら名乗った『教皇』という名前。


 答えがわかってしまえば、それもヒントの一つだ。




(――信仰心。特定集団から崇められることで、初めて発動する能力……という推理はどうでしょう)




 今持っている材料を使った推察は、それが限界。


 次の足音が近づいてくる。


 その群れは、どうやら窓ガラスを割って、建物の中まで確認しているようだった。


 ここで隠れ続けるのは不可能だ。




(この線で行きましょう。信仰心を消すことができれば――つまり彼が教祖ではないと暴くことができれば、能力は停止するはず)




 まだ可能性だが、指針もなく動くよりは、その仮説を信じて行動したほうが迷いも生じない。集中力も維持できる。


 使徒が窓ガラスを破る。


 頭上から破片が降り注ぐより先に、メアリーは部屋から飛び出した。


 一体が彼女の存在に気づくと、他の石像たちもこの家に集まってくる。


 囲まれる前に外に飛び出すと、再び追いかけっこが始まった。


 飛びかかってくる使徒の間を抜けて、飛び跳ね、壁を蹴り、空中で体をひねって回りながら、メアリーはある場所を目指す。




(信仰心を削る方法……下衆の勘繰りですが、今ばかりはそれが事実であることを祈るばかりです。教祖の屋敷に、その手がかりがあればいいのですが――)




 まずは屋敷そのものを探すことからだ。


 メアリーはフィーダムの地理に明るいわけではない。


 裕福そうな家をしらみつぶしに回って調べる。


 地道な“証拠探し”がはじまった。




 ◇◇◇




 メアリーが教会を脱出してから、一時間が経過した。


 教祖になりすました『教皇』の使い手は、教会内の執務室にこもりっていた。


 デスクに向かい合い、貧乏ゆすりで床を鳴らす。




「まだ仕留められないのですか……!」




 彼の苛立ちは明らかだった。


 仲間の三人を使徒に変えた時点で、勝利を確信していたというのに――それから一時間、逃げ回るだけのメアリーを一向に捕まえられないのだ。




「わかってはいましたが、対アルカナ使いとなると決定力不足が仇になりますね。防御面では万全ですが、攻撃面での改善が必要です」




 そう言って、男は首にぶら下がった装飾品に触れた。


 それは強力な魔術が込められた一品だ。


 彼の課す戒律は、確かに彼への攻撃を封じることができるが、それは絶対ではない。


 敵が捨て身の攻撃を仕掛けた場合、それが両手が石になっても使える魔術ならば、一撃は食らってしまう。


 そういった自体から彼を守るための防御魔術が仕込まれているのだ。


 これがある限り、“万が一”はない。


 そう、いくら逃げようとも、メアリーに勝ち目などないはずなのだ。


 だが彼は頭を抱え、ため息をつく。


 そもそも彼は、最初からこの任務に乗り気ではなかった。




 男の名はアンデレ・アイコニア、二十八歳。


 生まれはフェルース教国だが、ほどなくして奴隷としてガナディア帝国に売られた。


 奴隷として育ち十五年が経った頃、彼は教会騎士に救出され、フェルースへの帰還を果たす。


 どうやら救出劇の裏には、『教皇』のアルカナ使いだと判明したアンデレを巡っての、教国と帝国の激しい争いがあったらしい。


 だが結果だけを見れば、『アンデレは教会に命を救われた』のだ。


 それは教皇に忠誠を誓うのに十分過ぎる動機だった。




 アンデレは、条件さえ満たせば、フェルース全体を『教皇』の能力範囲とすることすら可能である。


 ゆえに、彼の存在は国家防衛の要である。


 その能力をいつでも発動できるよう、常に国家元首たる教皇に寄り添い、彼のためだけに、模範的な信者として、自らを律して生きてきた。


 逆に言えば、教皇の隣にいないアンデレは、その能力を最大限に発揮できない状態と言えよう。




 ――だからこそ、解せない。


 なぜ教皇は、メアリー暗殺の任務をアンデレに下したのか。


 親密な関係でもないオルヴィス王国のために、国をがら空きにするのか。


 しかも、いざ入国してみれば、聞いていたほどメアリー王女は悪者扱いされていないではないか。


 一方的な王の理屈で犯罪者使いするあまり、むしろ国民は彼女に協力的ですらある有様。


 この戦いのどこに大義があるのか。


 この任務のどこに信仰があるのか。


 わからぬまま、しかし教皇の命であるがゆえに、逆らうことはできない。




「この戦いさえ終われば、彼女さえ死ねば、国に帰れる。早く、一刻も早く、数で押しつぶしてしまわなければ! おお神よ、どうか私に力をお与えください……!」




 祈りを捧げるアンデレ。


 だが、その祈りに応えたのは神ではなかった。




『みなさん、聞こえますでしょうか。私はメアリー・プルシェリマ。この国の王女です』




 街全体に、メアリーの声が響き渡る。




『私は今回の、この街で起きた現象の原因を見つけ出しました。まだ生きているみなさんに、その真相をお教えしたいと思います』




 アンデレは思わず立ち上がり、窓から外を見た。




「この声は……放送用のスピーカー? メアリー王女、一体何をするつもりですか!?」




 ◇◇◇




 役場にあるマイクの前に、メアリーの姿があった。


 情報集めもそうだが、この放送設備を探すのにもかなり手間取ってしまった。


 彼女の手元には、教祖の家から見つけ出してきた一冊のノートがある。


 そのページを開き、書かれた懺悔・・を瞳に映し、メアリーは宣言した。




「この事態を引き起こしたのは、“ミゼルマ様の神罰”です。暴かれずに隠されていた罪が、ミゼルマ様の怒りに触れたのです!」



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