054 反正義主義の嘲笑者
カラリアは敵を追って、夕暮れの街を疾走した。
石畳の道路を駆け、飛び上がって屋根の上に上がり、また隣の屋敷の屋根へ――そのまま優雅な庭園に着地したと思えば、今度は路地へ、次は大通りへ。
『
その度にライフルを放つ彼女だったが、弾丸が相手を捉えることはなかった。
「ふざけた真似をしてくれる……」
苛立たしげにつぶやくカラリア。
追えども追えども、『魔術師』は捕まらない。
「常に一定の距離を取っている。当人の動きは緩慢だが、移動スピードが異常だ。これもアルカナの能力なのか?」
ローブの上からわかる限りで、だが――体の筋肉の付き方からして、そこまで鍛えているようではなかった。
手足は細く、肌は白く、傷も少ない。
戦い慣れしていない、というよりはおそらく、敵の前に姿を出して戦うタイプではないのだ。
今回だってそうだ。
わざわざ、カラリアの前に出てきて、挑発するような真似をした。
それは彼女に追わせる意図があったと思われる。
現状、その思惑に乗るしかないカラリアは、さらに苛立ちを強めながら、怪しげな店が並ぶ通りに降り立った。
解放戦線のアジトがあったあたりだ。
入り組んでいて、隠れるにはもってこいのロケーションである。
「無限回廊に私を閉じ込めようとしているのか? ならばいっそ、街ごと燃やしてあぶり出してみるか」
一般人が誰もいないのを良いことに、堂々と物騒なことを言ってのけるカラリア。
すると彼女はわずかに、何かがこちらに近づいてくる音を聞いた。
本当に小さな小さなその音は、彼女の真横――建物の壁のほうから接近してくる。
とっさに飛び退く。
すると先ほどまで立っていた場所を、壁から飛び出してきた三日月型の刃が横切った。
それはそのまま直進すると、向かいの壁をほぼ音も立てずに裂き、さらに奥へと消えていく。
「直接の攻撃もできるのか、意外だな――マキナネウス・デュアルウィールド」
カラリアは静かにそう宣言して、ライフルを二丁拳銃へと変形させた。
両手に銃を持ち、周囲の気配を探る。
人の気配がある。
耳をすませば、わずかに空を切る音――
(刃物を振った)
『魔術師』の行動を読み、避けるカラリア。
すると
幸い、見て避けられる程度の速度なので、回避には成功したが――苦虫を噛み潰したような顔を見せるカラリア。
(回避まで読まれたのか、厄介なやつめ)
続いて、連続で腕を振る音。
念の為、カラリアは斬撃が壁を貫通してから避け――そして離れた場所から、それを撃ち落とすべく発砲。
しかし弾丸は無情にも引き裂かれ、斬撃は速度を落とすことなく、壁の向こうに消える。
(……弾かれたわけでもない。抵抗すらなく引き裂かれた? あの魔力量で?)
相手は攻撃の手を緩めない。
続けて、カラリアは拳銃をガントレットへ変形。
「シールド展開」
あえて、相手の斬撃を待つ。
これまでの速度を考えて、仮にシールドで防げなかったとしても、回避できる体勢を取る。
すると――そんなカラリアの考えを読むかのように、斬撃は今までの倍以上の速度で、壁から飛び出してきた。
それが見えてから、彼女は慌てて横に倒れ込む。
斬撃はわずかに彼女の二の腕をかすめ、メイド服にじわりと血をにじませた。
「チッ……そんなことだろうと思ったよ」
呆れたようにカラリアは言った。
相手は、明らかに彼女をもてあそんでいる。
行動を読んで、裏をかくことに喜びを覚えている。
「だがな『魔術師』、今ので大体わかった。お前の振るうその剣は、『物体を断ち切る』という概念そのものだな? 抵抗もなく、対象を選ばず、あらゆる物体を無条件に分断する、そういう性質のものだ」
「……ふふっ」
「聞こえたぞ、笑ったな? どこにいる、さっさと出てこい」
「やだよお。このまま隠れて、建物の影から攻撃してればさあ、絶対に負けないじゃないか」
「強力な能力の代償に、斬撃の速度も、範囲も、そこまで上げられないんだろう? 逆に言えば、影からこそこそと狙わなければ、相手を仕留めることは難しいわけだ」
「言ってくれるなあ。でも確かに、あたしはさあ、カラリアみたいに脳みそ筋肉で出来てないから。嫌なんだよねぇ、人前に出て目立ったことするのとか」
「残念だったな。今度はこちらの手番だ。嫌でも引きずり出させてもらう! マキナネウス・ロングバレルッ!」
カラリアのガントレットが浮かび上がり、変形――ライフルへと形を変える。
「やなこった」
彼女から身を隠すディジーは、銃を破壊すべく手に持った銀の剣を一振りして、移動した。
カラリアはライフルを手に取ると、転がり斬撃を回避。
そして眼前の建物に向かってライフルを連射した。
ディジーの斬撃と異なり、その弾丸は盛大に音を立て、壁やガラスを砕きながら、強引にその向こうにいる敵を狙う。
「うわっと、おおっと!」
その狙いは正確無比――ディジーがそうであったように、カラリアもまた、敵の息遣いや足音から位置を把握していた。
そして彼女は宣言通り、街を焼き尽くす勢いで連射を続ける。
無人の町並みは穴だらけになり、徐々に逃げ場もなくなっていく。
だが、カラリアはとあるタイミングで、ふいに銃撃を止めた。
(……音が、消えた?)
移動したわけでもなく、止まっているわけでもなく、ただただ無音――ディジーは文字通り、周囲から消えた。
カラリアは視線を感じ、前方を見上げる。
建物の隙間から見える豪華な屋敷の屋根の上に、ローブをまとい、仮面を被った少女の姿があった。
ディジーめがけて、片手で発砲するカラリア。
もちろんこの距離では簡単に避けられ、ディジーは屋敷の向こうへと消えた。
「また鬼ごっこか」
カラリアはうんざりしながら彼女を追う。
細い路地を駆け、それを助走にして屋根の上に飛び上がり、抜けた先にある広めの通りをひとっ飛びして、屋敷の屋根へ。
そこを乗り越え、敷地内の庭に出ると、無数の視線が彼女に向けられた。
「きゃああぁぁああっ!」
「だ、誰だっ!」
貴族らしき女性が叫び声をあげ、隣にいる男性が手に持った銃を向ける。
他にも数十人――中には平民も多く混ざった雑多な顔ぶれで、彼らは総じてカラリアに警戒心を向けていた。
いきなり銃を持ったメイドが屋根の上から降りてきたのだ、当然である。
彼女は両手を上げ、素直に自分の素性を話した。
「待ってくれ、私はマジョラーム側の人間だ」
「マジョラームの……? あんたが?」
「雇われ傭兵とでも思ってくれ。あんたたちに危害を加えるつもりはない」
「そ、そうだったのか……確かに敵意は感じられないな。すまなかった」
男性が銃を下ろす。
あっさりと信じてくれたので、カラリアもほっと胸をなでおろした。
「先ほど、敵がこちらに逃げたんだが、誰か見てないか?」
「敵なんて来てないぞ。ここで、私は避難してきた人たちを匿ってるんだ」
「貴族なのにか?」
「貴族だからだ。権力には責任が伴うからね」
カラリアは顎に手を当てる。
珍獣を発見したような気分だった。
どうやら中には、こういうまともな貴族もいるらしい。
(世の中捨てたもんじゃない――それだけに、巻き込むのは忍びないな)
確かにディジーはこちらに逃げた。
しかし、先ほどから彼女は“ワープ”らしき方法を使って移動を繰り返しているし、解放戦線アジトでのヘムロックとの戦いを見るに、“変装”の能力を持ち合わせている可能性もある。
(あれは魔術評価まで偽装する厄介なものだ。アナライズを使っても見破ることはできない)
どうやらこの貴族は、顔見知りだけを避難させているわけではないようだ。
それだけに、急に誰かが増えても、全ての顔を記憶するのは難しいだろう。
(ここに潜んでいるのか、それとも遠くに逃げたのか。どこだ……どこにいる……)
現状、わかっているだけでも、『魔術師』が持つ能力は無限回廊、転移、変装、そして斬撃の四つ。
厄介なことに、これで全てとも限らないのだ。
戦い方を見るに、直接、真正面でやりあえばカラリアのほうが有利だと思われるが、相手を見つけられなければどうしようもない。
念の為、周囲の建物もチェックしたが、その姿は見えなかった。
カラリアは振り向き、貴族に声をかける。
「邪魔したな、どうやらここには――」
瞬間、彼女は自らの見た景色の圧倒的な違和感に気づいた。
先ほどまでそこにあったはずの、三階建ての、それはもう立派な屋敷が――跡形もなく消えていたのだ。
そして、避難者たちの頭上を大きな影が覆った。
「馬鹿な――こんなことがッ!?」
唖然とする。
そこには、消えたはずの屋敷が浮かんでいたからだ。
しかし驚いている暇はなかった。
(逃げれば巻き込まれずに済む、しかしこれだけの人数を見捨てるわけには――)
助ける手段があるからこそ、苦悩する。
しかもたちの悪いことに、浮かんだ屋敷は、カラリアではなく避難者たちを押しつぶすような位置にあった。
悩むカラリアの脳裏に、育ての親の姿が浮かぶ。
選択肢は絞られ――いや、最初から一つしかなかったのだろう。
「マキナネウス・ガントレットッ!」
ライフルが変形し、篭手へと変わる。
彼女は腰にさげた刀の柄を握ると、最速で魔力のチャージを開始した。
刃が鞘の内側で輝きを増し、バチバチと激しく弾ける。
『OVERDRIVE,READY』
「やらせるものかぁぁぁぁぁあああああああッ!」
鬼神の如き気迫で、刀を引き抜くカラリア。
その一閃は、圧倒的威力をもって、頭上より落下する巨大な建造物を両断した。
「きゃあぁぁあああっ!」
「伏せろぉーっ!」
中には、カラリアが断つ前からその存在に気づいていた避難者も居たが、初めて声をあげたのはこのタイミングだった。
とっさにしゃがむ者、体がすくんで動けない者、隣人を庇うように覆いかぶさる者――反応は人によって様々である。
しかし二つに分かれた屋敷は、斬撃の威力により軌道を変えて、誰一人として犠牲にせず、地面に突き刺さった。
「さすが、『
ディジーが、カラリアの懐に転移して、仮面越しに笑った。
「貴様ァ――ッ!」
手にはあらゆる物質を無条件に断ち切る銀の剣。
カラリアは強大な力を振るった代償に手が痺れており、迎撃は不可能であった。
「バイバーイ」
ディジーは陽気にそう言って、
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