021 星がまたたく魔術の夜に

 



 メアリーに抱きしめられたカラリア。


 死を覚悟した彼女は、恐る恐る問いかける。




「なぜ……視覚は、戻っていないはずでは」


「戻って、いますよ」


「そんなはずがあるか! あの距離でまともに食らえば、失明する光量だぞ!?」


「はい……だから、自分で潰して、再生させました」




 肺を貫かれた痛みに、苦しげに呻きながらも、至近距離で笑いながらそう語るメアリー。


 目を潰すとは、言葉通り両手の指で、自ら眼球を潰すことを意味する。


 カラリアは理解する。


 確かに彼女は素人だ。


 だが、その覚悟は――否、心は、とっくに壊れてしまっているのだ、と。


 しかしそれを理解できたところで、この窮地を脱することはできない。




「目を、自ら――素人だからと、甘く見すぎたか……」




 メアリーの背中から、無数の“獣”が現れる。


 骨をむき出しにした彼らは口を開くと、その肉を生きたまま食らうべく、カラリアに近づいた。


 もはやこの体勢から逃げられるはずもなく、彼女はふっと体から力を抜く。




「抵抗、しないんですね」


「好きにすればいい。後悔はあの世でするさ」


「そんな服を着ているのにかっこつけるんですか、変な人ですね」


「メイド服は私の趣味じゃない」


「だったら、ますます変な人です」




 だがスラヴァーの手下である以上、加減する必要はない。


 メアリーは今度こそ、背中から伸ばしたその牙を、カラリアの肌に突き立て――そこで、ぴたりと止まった。




「どうして……」


「……何をしている、早く殺せ。それともなぶり殺しがお望みか?」




 カラリアがそう言っても反応はない。


 メアリーは、二階に続く階段のほうをじっと見つめて固まっている。




「おね……さま……」


「おい、急に何をぼーっとして……うわっ!?」




 するとカラリアの体は、投げ捨てるように乱暴に解放された。


 地面に座り込んだ彼女を放って、メアリーはなぜか階段に駆け寄っていく。


 そして、“なにもない”場所に向かって、叫んだ。




「お姉様あぁぁぁっ!」




 そう、メアリーの瞳には確かに――そこに姉が、死んだはずのフランシス・プルシェリマが座っているのが見えたのだ。


 生前と変わらぬ姿で、優しく、まるで母のように微笑んでいる。


 勢いよく駆け寄って、その勢いのまま抱きつこうとしたメアリーは、しかし姉に触れることはできず、思いっきり階段に顔をぶつけた。




「あぶっ! あいたたたぁ……!」


「何をしているんだあいつは……」




 カラリアは怪訝そうな表情でその様子を見ながら、床に落ちた刀を手に取る。


 今なら殺せる。


 だが不思議と、そうするべきではない――誰かが、そんな風に囁いているような気がして、柄を握りかけた手から力を抜いた。




「お姉様、お姉様、お姉様っ! 生きてたんですね! 生きているんですよね、お姉様ぁっ!」


『メアリー、久しぶり』


「お姉様あぁぁっ!」




 愛おしい声を聞いて、ボロボロと涙をこぼすメアリー。


 しかし、そのフランシスは透けているし、触れることもできない。


 幽霊なのか。


 それとも、メアリーの見る幻覚なのか。




『ねえメアリー、落ち着いて聞いて』


「落ち着けません、お姉様がここにいるのに!」


『気持ちはよくわかるけど、落ち着かないと話してあげない』


「う……わ、わかりました」




 しょんぼりと肩を落とすメアリー。




(何をしている……? 一体、何が起きてるんだ?)




 その様子を見たカラリアは、先ほどまでとのギャップに戦慄せずにはいられない。




『よし、良い子だねメアリー。あのね、彼女――カラリアって言ったかな、たぶん殺さないほうがいいと思うよ』


「お姉様……でもあいつは、ドゥーガンの手下でっ! お姉様を殺したのと同じやつなんですよ!?」


『とりあえず、事情を聞くところから始めたらどうかな。きっと、メアリーの助けになると思う』


「そう、なんですか……?」


『信じられないなら、一度、外に出てみるといい。そうすればすぐにわかるよ』


「あ……ご、ごめんなさい、疑ったりして。お姉様はいつだって、正しい言葉で私を導いてくれたのに!」


『んー、それは大げさすぎる気がするけどね。進むなら自分の信じた道を進んだほうがいい。でも今は、私の言葉を聞いて、彼女と話してみてほしいな』


「わかりました、お姉様がそう言うなら」


『ありがとう、メアリーは良い子だね』




 フランシスは手を伸ばし、メアリーを撫でるような仕草を見せる。


 もちろん触れられないが、メアリーはかつての記憶を思い出し、目を細めた。




『それじゃあ、私はそろそろ行くよ』


「待ってください、私はお姉様とずっと一緒にいたいんです! どこにも行かないでください!」


『心配する必要はないよ。私はいつだってメアリーと一緒にいる。メアリーの傍で、ずっと見守っているし――メアリーが生きてさえいれば、またこうして会えるよ』


「お姉様……待って、お姉様! お姉様あぁぁぁああっ!」




 必死で抱き寄せようとしても、やるだけ無駄だ。


 その姿は次第に薄れ、やがて消えてしまった。




「お姉様……」




 呆然と、その場に座り込むメアリー。


 しばし放心状態で、まったく動こうともせず、カラリアはそんな彼女の様子を、刀を手にじっと見つめていた。


 しばらくして、メアリーはドレスの袖でごしごしと目を拭き、立ち上がると、カラリアのほうを振り向く。




「カラリアさん」


「ま、まだやるのか?」


「いえ、あなたとお話がしたいんです」


「心変わりか? 願い下げだ、お前のような情緒不安定な化物と何を話せと!」


「私だってドゥーガンの手下となんて話したくありませんけど、お姉様が言うから……」


「お姉様? 幻覚でも見ていたんじゃないか」


「幻なんかじゃありません! お姉様は今、確かにここにいました! 見えなかったんですか?」


「見えていない。私にはお前が独り言を言っているようにしか見えなかった」


「そ、そんな……」




 実際、メアリーの心の中にもその不安はあったのだろう。


 彼女自身、無理をしているのはわかっているし、心の不安定さを復讐心で補っているような状況なのだから。




(それでも……あれが幻だなんて。私にはそうは思えません)




 確かに触れられなかった。


 だが、そこで動いていたのは、メアリーの記憶から生み出された幻にしては、生々しすぎるヴィジョンだ。


 頭ごなしに、ただ幻として片付けたくはなかった。




「今度は不覚を取るつもりはない、かかってこい」


「待ってください! そうだ、お姉様は外に出たらわかると言っていました!」


「そのまま逃げるつもりか?」


「負けたあなたがそれを言うんですか?」


「く……」


「でしたら、カラリアさんが外の様子を見てください」


「……釈然としないが、わかった。そうしよう」




 刀を手に、後ずさりながら扉に近づくカラリア。


 そして彼女は、足で蹴って玄関を開いた。


 ギイィ――と蝶番が音を立て、開いた隙間のその先には――本来あるべきはずの屋外ではなく、ただただ黒い、闇があった。




「なっ……!?」


「カラリアさん、それ、どうなってるんですか?」


「馬鹿な、そんなことが……」




 カラリアは、手にした刀を落とすと、膝をついて崩れ落ちた。


 メアリーが駆け寄っても、戦闘態勢を取る様子もない。


 彼女は不思議そうにカラリアを見ながらも、両手で扉を開く。


 やはり、その先にあるのは、どこまでも続く暗い暗い闇だ。




「カラリアさん、これが何なのか知ってるんですか?」


「……」


「カラリアさんっ!」


「あ……す、すまない。これは、魔術師だ。あいつがやったんだ」


「こんな規模の魔術を、いつの間に」


「違う、その魔術師じゃない!」


「どういうことです?」




 カラリアは目を見開き、必死の形相でメアリーに訴えかけた。




「アルカナ使いの――『魔術師マジシャン』、だ」




 その声に込められた絶望も相まって、思わずメアリーは息を呑む。


 言葉が事実なら、つまり、カラリアの存在は囮ということになる。


 彼女はメアリーもろとも罠にはめるため、この屋敷に連れてこられたのだ。


 だが同時に疑問も湧いてくる。


 なぜそれを見た瞬間、カラリアは『魔術師』の能力だと判別できたのか――



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