第60話 わたしたちの(終)
ザンドール男爵は、馬車の中で縛り上げられた格好で目を覚ました。
追っ手に拘束されたのかと震え上がったザンドール男爵だが、間もなく違うと気が付いた。
縄目の作り方が軍隊式ではない。
まだスルド村の中のようだ。
毛刈りの最中だった羊の声と匂いがする。
口には猿ぐつわをかまされている。
どうにか縄目を抜け出そうともがいていると、馬車に黒いケープの人影が入って来た。
ザンドール男爵一行を叩き潰した例の怪人だ。
目を見開くザンドール男爵の前で、怪人はケープのフードを降ろした。
怪人の姿が変わった。
商人風の風体の中年男の姿から、息を呑むような美貌の、黒髪の少女に。
こちらの方が本性、本質なのだろう。
ザンドール男爵は、直感的にそう理解した。
容姿そのものはザンドール男爵好みの美少女だが、感じたのは、深い泥沼に沈んでいくような畏怖だけだった。
人間ではない。
人間より、ずっと大きな、ずっと絶望的な力を持ったものだ。
少女は事務的な調子で告げる。
「事の仔細をお聞かせ願いたいであります」
少女はザンドール男爵の猿ぐつわを外した。
「何故、このような凶行を企てたのでありますか?」
答えれば、デンゼルか王都に突き出されることになるだろう。
だが、答えなければ、なにをされるかさえわからない。
躊躇するザンドール男爵を見下ろした少女は「仕方がないであります」とつぶやき、右手の親指と人差し指で細い棒を転がすような仕草をした。
少女の手元の空気が、わずかに揺らいだように見えた。
――なにをする。
不穏な気配に怯えるザンドール男爵を見下ろして、少女は淡々と言った。
「これは滑舌蘭という冥花、この世界とは少しずれた位相、冥層に咲く花の一種であります」
少女の手の中に、黒い茎に白い花弁の、胡蝶蘭に似た花が現れる。
「花粉が体に入ると、しばらくの間、思ったことを思ったまま口にするようになるであります。生物的には無害でありますゆえ、ご安心いただきたいであります」
少女は滑舌蘭と言う名の花を、ザンドール男爵の胸ポケットに差し入れる。
冷たく、甘い匂いが鼻腔から入り込み、脳髄へとしみこんだ。
○
ザンドール男爵の馬車から賢者タイタス、じゃない、サヴォーカさんがでてきた。
ケープで姿を変えているから、タイタスのほうの顔だが。
「聞き出せたであります。新王の布告に背いた咎で、王都の親衛隊に追われていたようであります。山向こうのバガル王国への亡命を企てていて、目撃者を消す目的で、今回の凶行に及ぼうとしたようであります」
「お尋ね者ですか」
「そのようでありますね」
ならば話は簡単だろう。
ザンドール男爵を追っている連中に引き渡してやればそれで一件落着だ。
○
その日の夕暮れ。
ザンドール男爵の追跡を続ける親衛隊長デンゼルは有力な目撃証言を得て、スルド村への山道に向かった。
ザンドール男爵の馬車は予想より簡単に、山道の入り口近くで見つかった。
そばには縛り上げられたザンドール男爵とその郎党が座らされ、一人の少年と二人の少女が近くに立っている。
――何者だ。
デンゼルは魔術師ではないが、魔力には敏感であり、勘働きがよい。
少女ふたりの異常性に、すぐに気付いた。
明らかに、人とは違う存在感を持っている。
もう一人の少年のほうは、判断が難しい。
少女二人ほど隔絶したものはないが、自分や、足もとのザンドール男爵たちと同じ人間かと言われると、なにかが違う。
「全員下馬。待機しろ」
刺激するべきでない。
デンゼルは馬を下り、部下達を待機させて、一人で馬車に歩み寄った。
「私はブレン王国親衛隊のデンゼル。ブレン王より、そこにいるザンドール男爵の捕縛を命じられている」
「おつとめご苦労様であります」
黒髪の少女が、軍人めいた口調で応じた。
「お引き渡しするであります。山の上のスルドという村で、狼藉を働こうとしたところを取り押さえたのでありますが、勝手に処断をするわけにもいかず、ここでデンゼル殿がおいでになるのをお待ちしていたのであります」
「ご協力感謝します。お差し支えなければ、お名前をおうかがいしても? アスガルの方とお見受けしましたが」
魔物だな? と確認したようなものだが、黒髪の少女は特に気にした風もなく「はい」とうなずいた。
「私はアスガル魔王国のサヴォーカ。こちらは同郷のルフィオ」
黒髪の少女は金髪の少女を示した。
金髪の少女の方はデンゼル達にもザンドール男爵一行にも興味がないらしい。
銀色の髪の少年の腰に両手を回し、その体に寄り添っていた。
飼い主に甘える犬を思わせた。
――犬の魔物か?
当たらずとも遠からずの発想がデンゼルの脳裏に浮かぶ。
最後に銀髪の少年が、金髪の少女に「挨拶するから少し離れてくれ」と指示をし、名乗った。
「カルロと言います」
覚えのある名前だ。
「古着屋のカルロか」
新王クロウから聞かされている。
魔物に愛され、魔物に護られる、元古着屋の少年。
氷の森を消滅に追い込んだ主要因というべき存在の一角。
ある意味において、ブレン王国救国の英雄、あるいはタバール大陸の救世主と言ってもいい存在でもある。
「国王陛下が、自分のことを?」
「ああ、名前はよく聞かされていた。できるならば、手元に欲しかったと」
デンゼルがそう答えると、金髪の少女ルフィオがぴくりとした。
澄んだ青い目が、すっと細められる。
デンゼルの背筋に、戦慄が走った。
――失言か。
ルフィオという魔物の逆鱗に触れる言葉を口にしてしまったようだ。
剣呑な気配を放ち始めたルフィオに目を向け、カルロは小さくため息をつく。
「威嚇するな。おれを連れてくって話じゃない」
唸る犬をなだめるように言い、カルロは少女の頬を軽く撫でる。
危険な気配はそれで消えたが、警戒されたようだ。
少女は再び、カルロにぴったりくっつくように寄り添った。
「申し訳ありません。こうなるとしばらくは……」
離れないということだろう。
「いや、迂闊なことを言ったようだ」
魔物に愛されていると言うのは伊達ではないらしい。
迂闊に「欲しい」などというと、面倒なことになるようだ。
「君は、魔物の国で暮らしているのか?」
「はい」
うなずいたカルロは、そこで何か確認するように、サヴォーカに視線を向けた。
「カルロ殿の所属と肩書き程度であれば、問題ないであります」
「ありがとうございます」
カルロは再度デンゼルに目を向けてこう告げた。
「今は、アスガル魔王国の魔騎士団に所属しています。アスガル魔騎士団装備課裁縫係」
大分硬質な肩書きだった。
本人も不似合いと思っているのだろうか、やや気恥ずかしそうな表情だった。
少年の腰に再び両手を回した
「
だから、絶対手を出すな。
そう言いたげな表情だった。
(終わり)
魔物の国と裁縫使い カジカガエル @imawano
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。