第38話 繊維候~ファイバー・マーキス
「寝る前に、このお薬を飲んでおいて頂戴。眠り薬よ」
ムーサさんが言った。
「どういうことでしょうか」
意図が読めない。
ムーサさんは苦笑するように言った。
「もうしばらく、魔力供給が必要なのよ。つまり、ルフィオに添い寝してもらわないとだめなんだけれど。自信はある? 手を出さない自信と、眠れる自信と、責任を取る自信」
そういうことか。
あると言えるのは最初の自信くらいだろうか。
今のところ、おれはルフィオをそういう相手として見たくない。
そういう相手として扱っていい懐かれ方じゃないと思ってる。
だから、手を出さない自信はあるんだが、無防備にくっつかれても平気ってわけじゃない。
無闇に眠れない夜を過ごすことになるのは目に見えていた。
「いただいておきます」
素直に薬の力を借りることにした。
ルフィオやサヴォーカさんと少し話をし、薬を飲むと、すぐに眠気が来た。
寝て起きると、案の定ルフィオが裸でおれに抱きついていた。
ついでにバロメッツたちが体のあちこちにくっついてる。
「おまえらもか」
バロメッツたちをひっぺがし、例によって取れないルフィオに四苦八苦していると「カルロ殿」と声がした。
サヴォーカさんの声だが、ドアが開く音はしなかった。
怪訝に思い、視線を向けると、サヴォーカさんが部屋の中にいた。
眠り込む前にはなかったはずの寝台が置いてある。
前にサヴォーカさんの依頼で作った吸血羊のシーツが張られていて、サヴォーカさんはその上にいた。
って、待て。
おれの知ってるサヴォーカさんじゃない。
服を着てない。
ルフィオと同様、上から下まで素裸だ。
普段は見せない首から肩や腕、綺麗な曲線の胸や腹部、太もも、つま先まで、なにも身につけていない。
ルフィオの裸は見慣れてしまったが、普段は首筋さえ見せないサヴォーカさんが裸となると、意味合いが全く違う。
「どうかなさったでありますか?」
息をのんだおれの反応の意味がわからなかったようだ。サヴォーカさんは不思議そうにいった。
「い、いえ、その。服は?」
どうにかそう答える。
「服?」
サヴォーカさんは怪訝そうに視線を下ろす。
そのままおれと同じように硬直し、顔を青ざめさせた。
「し、失礼したであります! お見苦しいものをっ!」
「い、いえ、見苦しくはありませんが、とにかく服を!」
お互い大混乱でそう言葉をかわし、視線をそらす。
「しょ、少々そのままでお願いしたいであります。すぐに服を着てしまうでありますので」
着替えの音がしたあと
「お、お待たせしたであります」
と声がした。
視線を戻すと、サヴォーカさんはいつもの軍服姿で立っていた。
慌てていたせいか、いつもの帽子はかぶっていない。
「このたびは大変なお目汚しを……」
「い、いえ、お気遣いなく」
お目汚しどころか、当分忘れられないんじゃないかってくらい、綺麗な身体だった。
衣装の採寸をしているから、数字の上ではわかっていたんだが、実際に目の前にしてみると、本当に魔性めいて見えるほど、完璧なスタイルだった。
触れたものを風化させてしまうことを除けば、狼になったりマントが本体だったりはしないのがサヴォーカさんだ。魔物っぽさを感じることはあまり無かったんだが、裸を見たことで、はじめて「魔物」という実感を得たようにも思える。
人間の身体じゃ、成立しようのない綺麗さだった。
ルフィオの身体も同レベルっていえば同レベルなんだが、さすがに見過ぎて眼が慣れていた。
とりあえず、サヴォーカさんにルフィオの腕を剥がしてもらう。
今回ルフィオは眼を覚まさなかった。
魔力欠乏症で意識を失ったままのおれを心配しながら眠り込むのと、意識を取り戻したおれに念のため魔力を注ぎながら眠るのでは、安眠具合が違うのかも知れない。
ベッドを出たおれに、サヴォーカさんはお茶を入れてくれた。
「先ほどはとんだ粗相を。カルロ殿がまたルフィオに捕まってしまうとまずいと思い、ベッドを運びこんでいたのでありますが、私も寝床では、裸になってしまうものでありまして」
「そういうものなんでしょうか、アスガルでは」
「いえ、単なる貧乏性であります。私に身体に合う肌着や寝具は貴重でありますので、就寝中に痛めたくないというだけのことで」
気恥ずかしそうに言って、サヴォーカさんはお茶のカップを口元に運んだ。
その様子を見て、ふと、気になった。
だが、質問していいようなことかわからない。
どうしたものか決めかねていると、
「どうかなさったでありますか?」
サヴォーカさんは怪訝そうに言った。
「ああ、いえ……」
聞かずに流そうと思ったんだが、気付かれてしまったようだ。サヴォーカさんは微笑する。
「食べ物が風化していないこと、でありますか?」
見抜かれたようだ。
ややばつの悪い気分になりながら「はい」とうなずいた。
「死と風化の力は、皮膚を通してのみ発現するのであります。唇や舌などの粘膜、歯や爪、髪などであれば、触れても風化を起こすことはないであります」
「そうですか」
粘膜と聞いて妙なことを考えてしまったが、どうにか頭から追いやった。
「ですので、食事に関しては特に不自由はないのであります。逆に、詩人がたまにいうような死神の口づけ、などというものには意味はないのであります。口づけだけであれば無害であります」
そこまで言ったあと、サヴォーカさんはふと、我に返ったような表情になり「し、失礼したであります」と言った。
「く、口づけがどうこうという話には、深い意味は!」
深い意味とはどういう意味なんだ、という疑問が湧いたが、聞くとこの妙な空気がますますおかしくなりそうだ。
やめておくことにした。
しかし、どうにも間が持たない。
ルフィオは起きてきそうにないので、手近にいたバロメッツを手に乗せて弄ぶ。
(おれたちは場つなぎの道具じゃないぜ?
なんかわかった風なこと言ってそうだなこいつ。
少し落ち着いたようだ。サヴォーカさんは穏やかに言った。
「バロメッツたちは種を抱えているであります。良い場所を選んで、また植えてやれば、以前の大きさに戻るでありますよ」
「良い場所、ですか」
そう言われても、どこがこいつらにとって良い場所で、どこが植えて良い場所なんだろか。
「以前にご案内するとお約束した。ホレイショ殿の店の近くが良いと思うであります。かつてはホレイショ殿を慕った樹木や霊獣などが集まっていた場所でありますので」
「樹木が集まる?」
「はい、細かいところはロッソ殿のほうが詳しいはずでありますが、ホレイショ殿のもとには、綿花や亜麻、蚕蛾やケワタガモ、吸血羊、アラクネなどが自然に集まっていたということであります」
吸血羊とアラクネってちょっと不穏当じゃないか?
「集まるんですか? 綿花や亜麻が」
「もちろんアスガルの特殊な動植物でありますが。カルロ殿の黒綿花やバロメッツのようなものが、ホレイショ殿の威徳を慕い、勝手にやってくると思っていただければわかりやすいかと」
あんな感じか。
ちょっとはイメージが浮かんだ気がする。
「それほどまでの存在だったんでしょうか、自分の養父は」
「はい」
サヴォーカさんはうなずいた。
「繊維の声を聞く者、繊維に愛されし者。ホレイショ殿のパトロンだった
戯れや冗談にしても凄まじい二つ名だ。
一体何者だったんだ、おれの養父は。
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