第4話 蒸溜酒

俺はこのとき、マリィが渡したものを持ち逃げして、いなくなることを懸念していなかった。


普通に考えれば、十分にありえることなのだが、一晩の関係だと言うのに、何故か、マリィを完璧に信用してしまっていた。


後から聞いたのだが、マリィとしても、産まれて初めて自分を『可愛い女の子扱い』をしてくれた俺に、そんなことをする気は毛頭なかったそうだ。


2時間後、待ち合わせ場所に現れたマリィを、当たり前のように俺は「お帰り」といっていたし、マリィもそれを受け入れてくれていた。


「旦那様の渡して下さった光る板が、めちゃくちゃ高く売れましたよ!異世界勇者様の持ち物だーって言ったら、大きい方が金貨40枚、小さい方が金貨20枚で売れました!」


この国の国民からすると、金貨は今使いづらく、見つかったら、下手したら国に没収される。


こうしたリスクを減らすために、多少色を付けても買う人がいるだろう、と俺は踏んだのだが、正しかったようだ。


貴重な道具は、価値が下がりづらく、また国に税金として没収されない。現在の戦時体制から元に戻ったら売って金貨にすればいいからだ。


「あの光る板、こっちの世界では使えないんだよね。しかも、長く見積もっても10日ぐらい経ったら、エネルギーが切れて使えなくなるし」

「あ。そうなんですね…ま、この国に戻ってくることはないと思うので大丈夫ですよーアハハ!」


俺は、もう用事がなかろうと、持ち込んだタブレットとスマートフォンを手放したのだ。充電も出来ず、当然、通信もできないので、早晩ただのツルツルした板になる。


バッテリーがあるうちに手放した方が高く売れるだろう、ということもあるが、俺なりの、気持ちの整理でもある。わけのわからないうちにこんなところに連れてこられて、帰れる見込みなど、少しもないのだから。


「ところで、なんだけど…」

「なんでしょうか?」

「マリィが、その…手に持ってる鉄の棒は、一体、なにごと?」


マリィは一本の鉄の棒を持っていた。長さはマリィの身長…恐らく170程度…と同じくらい。太さはちょうど、手に握りやすいくらいのものだった。


「…その…」

「何?」

「私の天恵は…その…竜騎士ドラグーンって言います。えーと、長い槍や棒、杖を使う場合の高い戦闘能力、いくつかの魔法、あと居れば…ですが、竜と意思疎通して乗せてもらうことが出来るようになる天恵なんです」

「へー、優秀なんだね。ああ、それで武器を持ってるということか」


しかし、なんで、そんな優秀な天恵持ってるのに追い出されたんだろうか。俺がそんな疑問を持っていたら、ふと見たマリィが何かを言いたそうにしている。


「どうしたの、マリィ??」

「ええと、嫌じゃないんですか?」


もじもじ、と言いづらそうに、確認するように、上目遣いで、マリィは俺に聞いてきた。


「嫌って…何が?」

「その…女性が戦える天恵を持ってることがです」

「んんんん?何で?」

「何でって…女が戦う手段を持つことは、出しゃばりで、恥ずかしいことだと、子供の頃から教わってきましたので…」


なるほどねぇ…俺は思わずボヤいて、頭を振った。この世界の価値観は、現代の地球とは、かなり異なっていることを改めて認識した。


女性が、何かにつけて、男性より前に出ることをよしとしないのだろうな。戦前とか、あるいは江戸時代とか、そのあたりの古い価値観に近いのかもしれない。


「俺がいた世界だと恥ずかしくも、何ともないんだけど…むしろ弱いばっかの女性は自立していないって、嫌う人もいるくらいだよ」

「そ、そうなんですね」

「だから頼りにしてる」


俺がそう言うと、マリィは少し照れたような控えめの笑いを浮かべて、頭をかいた。


「えへへへ。わかりました。旦那様のことは、私が守りますね」

「よろしく…ああ、そのマリィが買ってきた大量の荷物は全部、俺の酒蔵ブルワリーで預かるよ」


そう言うと俺の目の前に扉が現れた。


「これって…旦那様の天恵ですか?」

「ああ、この中にものを詰め込むことができる」


俺は扉を開けながら、そう説明した。


マリィに買い物を任せていた間、俺は自らの天恵とやらの検証をしていた。その結果、酒蔵ブルワリーは、8つの区画に別れていることがわかった。


以前、確認した、手提げハンドバッグに、地下室セラー冷蔵室コールド冷凍室アイスメーカー恒温恒湿室ファーメンテーション物置き部屋ストック事務室オフィスの6種類の部屋と、それを繋ぐ広間ホールだ。


手提げハンドバッグは、空中に見えない出入り口が出来て、手に持って出し入れできる。ほかの6つの部屋は扉が現れて、そこから中に入ることができた。


6つの部屋には反対側にも出口があり、それが広間ホールに繋がっている。広間は扉が6つある部屋で、ほかの部屋への連絡口になっている。


町行く人に、突然顯れた扉を見られてちょっと焦ったが、ちらと見る人はいたが、騒がれもしなかった。どうやらこの世界では扉が現れるのは、特段、珍しいことではないようだ。


また、手提げハンドバッグ事務室オフィス広間ホール以外は、それぞれ室温と湿度が何をしても一定を保つ部屋になっていた。


取材で、地球の酒蔵ブルワリーとか訪ねたときに使うかなぁと、電池不要の温湿度計をたまたま買っていたので測ってみたのだ。


地下室セラーは気温15度・湿度70%、冷蔵室コールドは気温5度・湿度80%、冷凍室アイスメーカーは気温−50度・湿度0%、恒温恒湿室ファーメンテーションは気温25度・湿度80%、物置き部屋ストックは気温20度、湿度40%になっている。


大きさは持っていたメジャーで測ったら全て、幅10メートル、高さ5メートル、奥行き10メートルとなっている。


5つの部屋の扉の大きさは、幅3メートル、高さ2.5メートルの観音開きになっている。これを通る大きさなら、引っ張り出したり、台車ごと突っ込むことができるので、まとめて荷物を出し入れることも出来る。


手提げハンドバッグはある程度、外気と連動しているようだ。完全な連動ではなく、「この環境下にある手提げハンドバッグなら」くらいの環境になっている。中の大きさは、大きなリュック程度だ。


事務室オフィス広間ホールは、気温は18〜28℃、湿度は40〜70%の間で調節が可能だった。頭で念じるだけで変えられるって、便利すぎん?


事務室オフィスの大きさは10メートル四方の高さ2.5メートルなので、ほかの部屋と広さは同じだが体積は小さい。現れる扉も、普通の家の扉程度なので、荷物の積み込みにも向いていなかった。


しかし、中には、トイレ、キッチン、シャワーまであり、キッチンには蛇口と三ツ口コンロまでついていた。コンロは捻れば火はつくし、蛇口から水も出る。シャワーも普通に湯が出る。どんなパワーを使ってるのかは全くもって謎だ。


俺は、最後の毛布を酒蔵ブルワリー物置き部屋ストックの手前側に放り込んでおき、パンパンと手を叩き、ホコリを払った。


「旦那様の天恵、便利ですねぇ」

「かもね。じゃあ、行こうか」

「はい!」


※※※※※※


城を追い出されたその日の夜。昼前から歩き始めた俺とマリィは、半日かけてそれなりの距離を進んでいた。


街道沿いには一定の距離ごとに水場があり、マリィと話をして、そこで休むことにした。


水場には、ほかにも旅人や家族連れ、傭兵らしき人や、大きな馬車の行商人など、多くの人が利用して、各々のテントで休んでいた。


俺はマリィを連れて、物置き部屋ストックから毛布を取り出すと広間から事務室オフィスの扉を開けて中に入った。


ちなみに俺が許可すれば、ほかの人間でも中に入ることができるらしい。途中からでも許可を取り消せば外に放り出される。


事務室オフィスは、がらんどうとしていて、何もない。そこに毛布を並べて寝ることにした。


「今日はお疲れ様、マリィ。えーと、ちょっと待ってて…」


俺は、事務室オフィスから広間を通じて、地下室セラーに行く。中に置いていた、コンビニで買ったウイスキーを持ちだした。次に冷凍室アイスメーカーに行き、氷を持ちだし、事務所オフィスに戻る。


手提げハンドバッグからコップを取り出し、氷を入れると、地下室セラーにから持ってきたウイスキーを注いだ。片方のグラスはもちろんマリィに渡す。


「これ飲んでみる?」

「これ…さっきから気になっていたんですけど…氷ですよね!?なんでこんなにキレイな氷まで入っているんですか!?」


ジャパニーズではなく、ビンの頭をロウで固めた有名なバーボンだ。俺のお気に入りだったりする。なのに氷の方を驚かれてしまった。


「俺の世界ではウイスキーって言うんだけど…こっちにもあるかな?」

「ういすきー、という名前を私は知りませんが…ちょっと一口」


コク、と飲むマリィの喉が艶っぽく動いた。俺は、それを見て何となく唾を飲んでしまった。


「うわー強いお酒ですねー。あーでも、これ、フレイ酒に似てますね」

「フレイ酒?」

「はい。こういう感じの強いお酒で、アルコールの香りが前に出て感じられるお酒です…あーこれってもしかして樽で熟成するやつですか?」

「おおお!その通り。これは、たしか樽の中で5年ほど寝かせたやつかな?」

「5年ですか。そういうのは、こっちにもありますよ。5年とか10年とか寝かしたお酒が…でも…うーん?」


マリィが、もう一口飲んで、味合うように口に含んでから、ゆっくり飲み込んだ。そして、うーん、と唸りながら、首を傾げる。


「これ、どんな樽で寝かせているんですか?」

「あっちでは、ホワイトオークって呼ばれている硬くて、白い木だね。家具とか床材とか、まぁ幅広く使われるんだけど、この酒の場合はホワイトオークで作った樽の内側を、ガリガリになって表面に軽いヒビが入るまで焼くんだ」

「焼く!?そんなことをするんですね…」


ウイスキーの香り付けには様々な方法があるが、バーボンでは、樽の内側を焦がす方法チャーが有名だ。スコッチは、最初の麦を乾かす段階に泥炭ピートを使うことで仕上がったときのスモーキー感を出す。


「焼いたホワイトオーク樽で熟成すると、この甘みとも何とも言えない、芳醇で、かつアルコール感の強い独特の香りが出てくるんだよね」

「へー。面白いですね。なるほど…元のお酒は同じっぽいのに、熟成樽の違いで、こんなに味が変わるんですね」


俺は、そのマリィの含みのある言い方に引っかかりを覚えた。


「つまり、そのフレイ酒っていうのは、全然違う木で出来た樽で熟成しているということ?」

「そうです!フルールという樹を使うのが人気です。フルールは、幹に直接花が咲く不思議な植物なんです。そのフルールで削られて作った樽で熟成すると、花のような、蜜のような、甘い香りが立ちます」

「なるほどね。熟成樽から、蜜のような香りを染み込ませるのか…あっちの世界でもあると言えばあるかな?」


香りから蜜風味にするフレイ酒の味…確かメープルの木の樽を使ったウイスキーもあったな。それに近い感じがするのだろうか?


最後に天然ハチミツを加えて、甘い味にした『飲めるお菓子』とも言えるウイスキーなんかもある。それはウイスキーというよりは、カクテルに近いリキュールである。あれはあれでまた、美味しい。


どっちもアメリカンウイスキーだったな、確か。


「へー。そうなんですね…何だか、面白いです!お酒というものは、旦那様の世界もこっちの世界もあります。そして、作り方も似ているのに、生えている植物が少し違うからかでしょうね、いろんなお酒があるんですね」

「それは、なかなかに興味深いな…」

「ですよね、旦那様っ」


マリィは、そう言って俺の首元に横からギュッと抱きついた。マリィの身体のあちこちのムニュっとした感覚に俺は何とも、こう、元気になった。


「世界あちこちに、いろんなお酒を飲みに行きましょうよ!どーせ、やることもないですよね?」

「そうだな…マリィの言う通りだな。何するわけでもないんだしな。この世界の美味しい酒を巡って旅するのも悪くないか…」

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