第48話 ナカマ
ケツから沁みてくる、痔になるのではというくらい強烈な床の冷たさで目を覚ます。
俺は、バーカウンターの近くの壁にもたれかけさせられていた。
煤けたメット越しのぼぅっとした目に映るのは、惨たんたる有様の箱の中、横たわって並べられ奇声を上げてる元観客たち、ズタボロの服に放心した顔で並んでヨロヨロ出ていく元観客たちと、所狭しと蠢く大勢の救急隊員に熊谷の警察官たち。背中にローマ字でKAGOHARAとあるので籠原署の人間か。
昔、戦争映画で良く見た野戦病院を思い出させる光景に何故か郷愁を感じてしまう。
”起きたわね・・・。検査しときなさい。気を失った後少し開けっ放しだったからウィルスが侵入したかもしれないわ”
三重くらいで囲まれて、事情聴取受けてるスミレさんからログが飛んできた。エロい目で視姦でもされてるのか、声に少し苛立ちを感じる。
言われてスーツを調べたら生命維持装置が異常動作していて、辛うじて呼吸だけ出来る状態だった。吸気機能だけ慌てて起動した形跡があるが、ネット接続が限定されてるので誰がやったか不明だ。
サーモがぶっ壊れていたから、無理やりヒーターを切ったようだ。
もう少しでスリーパーの包み焼きになる所だった。
頭の中もかなり汚染されていた。急いで駆除していく。これ以上俺のおつむがポンコツになったら困る。
一応、目が少し霞むが、正常な判断は出来る筈だ。手足も動く、火傷が酷い。痛い。畜生。痛い。
”助けいるか?”
”あら?お願いできる?”
”喜んで”
ガッチガチに軋む関節を無理やり動かし起き上がったら、皮が剥がれたのかと思うくらいの全身の激痛にびっくりした。
なんとか動く身体を引きずり、ゆっくりスミレさんに近づいていくと、異様な雰囲気を察したのか、人ゴミが割れてゆく。
スミレさんを囲む人垣は職員ではなくマスコミの連中だった。
いつも痛い目に合わされてるからなのか、ここぞとばかりに関係ない質問で嫌がらせをしまくっている。どうせ、後で編集して脅迫ネタにでもするのだろう。
駆除と走査は済んだので、あえて少しメットを開ける。
「あら、彼が起きたようね。さて、わたしは彼を送って行かないと。これで失礼するわ」
スミレさんの言葉に周囲で取材していたおっさん共は一斉に俺を見て、何人かは道を開けたのだが、ほとんどは集団脅迫に戻った。
「そんな事より、二ノ宮さん、あたしの質問に答えてくださいよ」
青筋浮かべてヌラヌラと油ギッシュな小麦肌マッチョが、息も荒くレコーダーをスミレさんの鼻先に突きつけた。
スミレさんは苗字が”にのみや”って言うのか。
「あなた、日兆新聞の方ね。人類の希望であるスリーパーの生命をそんな事扱いとは」
「逃げるんですか?」
「ここにいる皆様には、これ以上の質問は弁護士を通してとご理解いただけた筈ですが。ああ。日兆には後ほど抗議させて頂きます」
「逃げんなコラァ!マワすぞ!」
掴みかかろうとした小麦マッチョの頭にスポットライトが直撃した。
ぼーっとした頭で落ちるライトをスローモーションで見ていた俺は、その前のマッチョの言動が頭から離れず、あえてどうする気も起きなかった。
破片と、肉飛沫が弾ける。
かなりの重量物だった為か、頭どころか上半身も含めぐちゃぐちゃに潰れている。
いつの間にか手に持っていた扇子で顔にかかる血しぶきを避けていたスミレさんが、ビシャリと扇子を畳んで血糊を払う。
「あらあら、危険な場所で是非との事だったので、止む無くライブハウスの中で受けさせて頂きましたが、皆様に置かれましては、これ以上不幸な事故が起こらない内に退避した方が宜しいのでは?」
血飛沫に彩られたナイトドレス姿の毒気に当てられたのか、スミレさんを囲んで興奮していたおっさんたちは、憑き物が落ちたようで、飛散した肉片を纏ったまま無言で外に出る列に並び始めた。
一人、スミレさんと話せて余程キたのか嬉ションだかタンパクだかの形跡があるが、黙っておいてやろう。録画はしておくけどな。
因みに、この今起きた凄惨な事件は俺の仕業ではない。ショゴスと同じ見た目になって動かなくなった奴を見て全く何とも思わなかったのも、あの男の人徳の成せる業だろう。
何を食ったらこんな臭いになるのか、破けた内臓からの刺激臭が凄まじい。
ショゴスを見慣れてなかったらゲロと一緒に胃が出てきていた。
「外に車待機させたわ。大宮まで送らせて?」
差し出された手は冷たく、少し汗ばんでいて、スミレさんの緊張が伝わってきた。俺がちらっと向けた視線に気付いて、恥ずかし気に口の端を一瞬歪めた。ズンとキたが内緒だ。
山ほどのサーチライトに照らされながら入り口前の人ゴミを進み乗り込んだのは、フルチューンされたごっつい年代物のキャデラックだ。
ロゴが違うのでたぶん後継会社の車種だろうが、スミレさんの私物だろうか。繊細な内装に拘りを感じる。運転手は何度か見たことのあるガードマンだ。助手席には同じ制服のマッチョがもう一人乗り込んだ。
後部座席に座り一息つくと、直ぐにメットを取られてスーツの肩を脱がされスミレさんに組織補修剤を塗られた。
素手でそっと塗られて、痛いかと思ったが、冷たい指先が火傷に心地良い。
塗った後の発熱と痒みが少ないので、遅効性の超高級品だ。
「飲むと補修箇所選べないから、これで、ね」
固定されたシャンデリアの寒色系車内灯に、陶器じみた滑らかな肌が強調され、手がエロい、いや、手もエロいので少し興奮する。おっさん共が囲みたくなる気持ちも分からなくはない。
「結構手酷くやられたわね。痛かったでしょう?」
首から肩、上腕にかけて真っ赤に晴れ上がり、一部ケロイド化していた。漫画みたいに分かりやすい怪我なら良かったんだけどな。スーツの上から結構喰らっていてこのまま全部治すと皮膚とスーツがくっ付きそうだ。鈍痛が体内からするので内臓も少しやられている、スミレさんが隣にいるので、ファージ起動はしないでおく。
ベリッとスーツの腹の部分を剥がし、俺が激痛でびくっと反応するとそっと戻した。
「残りは向こうに着くまで我慢して頂戴」
痛む箇所が減ってきたのでだいぶ落ち着いた。
「軽く脱水症状を起こしてるわね。少し水分摂っておきなさい」
俺の唇を見たスミレさんが水を注ごうとするが、断っておく。
「飲んだら冷や汗が出る。沁みて痛くなる」
「なら、痛み止めもあげるから。一緒に飲みなさい」
ジャラジャラ渡された錠剤を注がれた水で流し込む。
「ふぅ」
息が零れた。あの後、皆がどうなったのかも気になるが。
「スミレさんは大丈夫なのか?」
「そうね。それも含めて」
同じグラスでスミレさんも水を一杯飲んで、その後極細のシガーに火を付けてから口を開く。
「駅長が殺されて。わたしの、籠原に待機していた顧問弁護士団が全員行方不明よ」
それは・・・。不味過ぎるのでは。
「余程ライヴで召喚されたくなかった様ね。ちゃんと調べたつもりだったけど、客の中に紛れ込んでたわ」
一息にシガーを短くすると、吸気口に向かって煙をそっと吐く。
渦を巻いて細く吸い込まれてゆく煙を見て、お茶目に口を尖らせた。
「まぁ、箱に入る直前に金で受けた仕事らしいし、本人は撮影した動画を向こうに流してただけだったから、どうにもならなかったわね」
只の映画泥棒か。本人にも何やってるか自覚はなかっただろう。
時系列が気になる。色々とタイミングがおかしい。
用意周到過ぎないか?
「・・・まだ、ライヴの被害者その一で済むわよ?」
首を突っ込むのか決めかねてると仰るか。
俺に、混ざるか聞いてくるって事は、俺が役に立つって事だ。
危険に首を突っ込んでいくのは、映画の主人公と身の程知らずのアホだけなのは重々承知してる。そしてどっちも大抵碌な目に遭わない。
だが、俺がバカ面さらして寝てるとき本気で守ってくれるのは、今、この世界につつみちゃんとスミレさんだけだろう。理由はどうあれ。
なら、取れる選択肢は一つしかない。
「今更だろ」
前で助手席のマッチョが冷やかしの口笛を吹いてる。
「生意気な坊やだこと」
スミレさんは冷えたシャンパングラスを取り出し、小さいボトルだが新しく開けた。それ、アルコール入ってるけど良いのか?
「正式な乾杯はツツミもいる時にしましょう。あのこ、拗ねると面倒なの」
知ってる。
「コンゴトモヨロシク」
スミレさんは一瞬固まり、目をパチパチさせる。
理解不能でおられる。
「どんな意味なの?」
「ゲン担ぎ」
「ふふっ。三世紀前のジンクスね。今後とも宜しく」
アクマと契約するスミレさんはグラスを掲げ、俺を見つめるその少し潤んだ瞳は、初めて人間を見る目になった気がした。
スミレはナカマを得た。古代のスリーパー。ゲーム大好き横山竜馬だ。大船に乗ったつもりでいてくれ。
ヘンテコなコスプレの成形美人に過去の偉人の名前くっつけて紙芝居で荒稼ぎしてるゲームが当時色々と流行っていたが、俺が当事者になるとは思わなかった。
最も、俺はライターのネタ帳の歯牙にもかからない只のクソゲーマーなんだが。
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