第45話 ライヴ前

 十七号線を熊谷から籠原まで行く道は一部ファージは濃いものの、もうほとんど安全地帯だ。道は路側帯付きの広い四車線が完全に整備され、山ほどカメラも飛んでいるのでスナイピングの心配も無い。ちらほらビルが建ち始め、ハリウッドの住宅街を彷彿とさせる綺麗な道路は、鮮度抜群で丁寧なアスファルト舗装され雨の日も水はけが良さそうだ。

 寒い季節なのだが、小春日和で風も追い風なので、寒さはほとんど感じず、ツーリング日和だ。


 ソフィアが市役所に大型スクーターで乗りつけた時にはビビったが、元々話を通しておいた事もあり、許可はすんなり下りて。俺とソフィアは熊谷市役所から籠原のテルミット・スパーカーズまでスクーターで向かっているという訳だ。

 護衛は付いてるらしいが、気を利かせているのか、見える範囲にはいない。

 何より、俺はコレに乗りたかった。


 排気量二百五十クラスのかなり大き目なレトロモデルで、空力特性をガン無視したスタイリッシュの欠片も無いもっさりしたカウルだ。

 薄い桃色基調に白がアクセントで、ソフィアの白いブラウスに黒い乗馬キュロットとよく似合っている。

 俺の無骨なアトムスーツと折り畳みヘルムがアンマッチで少し恥ずかしい。


「かっけぇ」


「運転してみる?」


「マジで?!」


「なっ!ちょっと、がっつかないでよ!」


 免許申請したら、一分で許可が下りた。違反行為は自動エンストだそうだ。

 ナビ通りに起動させ、二ケツで走り出す。

 ソフィアは後ろからしっかり掴まっているのだが、バッテリーとタンクで折角のノーブラが感じられないのが恨めしい。

 停止中は足を付かなくても二輪のみで勝手にバランスを取るし、エンジン音も全くしない。ロードノイズが風と共に鼓膜を叩き、ヤシの木が並ぶ線路沿いの十七号を快走していると、まるで映画のワンシーンだ。

 信号もほとんど無く、走行車両もリニア輸送のトレーラーくらいだったので、実質貸し切り状態の有料道路走っている気分だ。

 最っ高!


「ねぇ、赤城山、見て」


 出発前に作った専用チャンネルからソフィアが呼びかけてきた。

 右手を見ると、群馬の守護神が蒼く鎮座しているその上の方、山頂付近は少し白く雪が被っているのだが、上に赤く傘が掛かっている。


「何だあれ」


「傘雲に見えるけど、ショゴスよ」


 全ての峰を覆う程の大量の赤い雲、言われてみれば蠢いて見えなくもない。

 真っ直ぐな道とはいえ危ないので、視線を戻し隅っこに動画表示させる。拡大したら、確かにショゴスだ。

 ショゴ・・・ス?

 ヨグソトースだろ。

 薄汚れた肉と気泡の塊は、落ちないのが不思議なくらい重量感が半端ない。


「あれ大丈夫なのか?」


「ダメね。上昇気流でもってるけど、年度末までに溢れそうだわ」


「こっちに来るのか?」


「どうだろ、風次第ね、局地的に肉嵐の吹き下ろしがあるかもね」


 他人事みたいだ。


「誤解しないで欲しいのだけど、麓には専属の部隊が張り付いてるからここまで流れ残る事はほとんど無いのよ」


 防衛費凄そうだな。


「あそこで撃ち落さないのか?」


「山頂で焼き落とすとそれを餌に群れが山を越えて来るからね。もし日光にある巣が溢れたら、地図変えるほど撃ち込まないと殲滅できないもの」


 恐ろしい世界だな。


「前橋から赤堀にかけては、昔やらかした時のクレーターがそのまま残ってるわ。脳死状態で見敵必殺したアホな時代のツケね」


 ふええ。


「やめやめ。楽しい事考えましょ。着いたら始まる前に楽屋に挨拶に行くから、その時に皆に紹介するわね」


「うぃっす」


 そういや、あの怒気ライヴの時はつつみちゃんいなかったんだよな。

 ベースもギターも、別の人だったし、確か俺の市民登録してくれてたから出演しなかったのか?

 ウルフェン・ストロングホールドの楽曲を聴いたのだが、喜怒哀楽のしっかりした曲が大半で、歌詞のある曲は半分くらいだった。誰も自己主張せず、どの曲もメロディよりリズムに重きが置かれていた。

 ただ、須らく、その根源にドス黒い何かが透けて見える。

 滲み出てくるその何かは、俺と共感するようなしないような、してはいけないような、何か。

 正気度チェックでも発生してるのか?


「探しても出てこなくて代表曲とかよく分からなかったんだが、どんな感じなんだ?」


「一番話題になったのはシンコペイトでコノハナサクヤが権現した時かな。あんときはあたしもバックダンサーでいたんだけど固まっちゃったから」


 俺の耳がおかしいのか?


「文字通り、権現して、つつみのヴィオラソロに合わせて踊ったのよ。あの時途中からつつみが感動で泣き出しちゃったし、機動隊が突入してくるし、大事件になったのよねぇ」


 ウルフェンのライヴでは毎回何かが起きるので。神事だ八百長だとカルト扱いされ、解散に追い込まれたこともあったらしい。

 科学的検証を強要されたのを皮切りにゲリラライヴのみに活動を限定し、楽曲の発表もほとんどしなかったのだが、ヴォーカルのノリユキ主導でメディアへの露出をしない事を条件にスミレさんと契約したそうだ。

 危ない曲やヤバそうな曲はなるべく演奏しないという条件らしいが、あのカオスっぷりでまだ安全な方なのか?




 駅前は結構小奇麗になってしまい、バタ臭い世紀末感は消えてしまったが、久々に吸った籠原の空気は少し懐かしく感じた。

 遠く、植物に覆われた廃ビル群の隙間に、俺が眠ってたバベルの塔、籠原医療センターがちらりと見えた。

 目抜き通りからテルミット・スパーカーズの雑居ビルに入る道もかなり区画整理が進んでいたが、どこから集まってきたのか人でごった返しだ。交通規制されてしまってスクーターで入っていけそうにないので駅前の駐車場にスクーターを止めてから歩きで向かう事にした。

 駐車場から出たら、真っ黒なフロックコートでサブマシンガンをたすき掛けにした傭兵が二人既に控えててウケる。


「今回のフライトはいかがでしたか?」


 髭のおっさんが慇懃に腰を折る。


「あなたの顔で台無しね」


 おっさん涙拭けよ。後、蝶タイ似合ってねぇぞ。


「おい、ボウズ。先導すっからよ、チャンとエスコートしたれよ?」


 俺に当たるなよ。




 傭兵たちの筋肉で入口まで強引に押し通った後、ソフィアの顔パスで表から中に入ったら、中に足を踏み入れると一瞬だけ既視感が俺を襲う。

 バーカウンターにはスミレさんが数人と談笑しているのを見て、急激に音が吸い込まれるこの感覚と合わさると、あの時を思い出す。

 あの時、ボロボロでへとへとだった。

 孤独と寒気でゲロ吐きそうな程、胃が締め付けられてた気がする。

 けど、今このライヴハウスは、奥にスポットライトが煌々と灯り、阿吽で構えるデカいスピーカーと、所狭しとステージを埋め尽くす機材たちは、俺に温もりを与えてくれるから不思議だ。

 スミレさんも、今日もキレイだ。


「何だ?」


「別に。とりあえず、つつみに言いつけるわ」


 くっ。何だよ!?


「いらっしゃい、裏に全員揃ってるわ、挨拶してあげて」


 ”何かツツミが緊張してるみたいなの”と、不思議そうだ。


「あら、それは是非冷やかさなきゃ」




 つつみちゃんは、本当に緊張していた。

 可哀そうになるくらい、顔と唇が真っ青だ。


「珍しいわね、楽しみだったんじゃないの?」


 ソフィアは、入口前で待機していた花屋から、大きな花束を受け取ると、短く一回ノックして楽屋のドアを開けてもらうのだが。顔を見た途端花束をホン投げて駆け寄る。


「つーちゃん!?」


 そこには、イロモノのメンバーに囲まれたつつみちゃんが、パイプ椅子でぐったりしていた。


 ヴォーカルの狼男と、ツインドラムはなんとなく覚えている。内一人は痩せた大女で、もう一人はハゲマッチョだ。

 後の四人はメタリックなスーツだが、あの日ギターやベースを弾いていた人たちだろうか?


「君か、ボーイ。何とか言ってあげてくれ。ツツミのリフはいつだって最高なんだ」


 その声にまずびっくりした。

 あの時怒気を孕ませ聴いてる者が錯乱するくらい訴えかけていた狼男は、ステージの外では深みのあるすごく優しい声だった。

 差し出された手を握ると、しっとりとした肉球のある手の平で、そのままつつみちゃんの横に案内される。

 こういう時、ウィットに富んだ気の利いたトークが出来れば良いのだが、生憎俺は得意ではない。


「つつみちゃん、なんか久しぶりだな」


 仕事中もコミュニケーションが禁止されていたので、つつみちゃん分が補充出来てなかったな。

 癖っ毛に隠れた自信の欠片も無い瞳が、俺に焦点を合わせようと忙しなく収縮する。

 いつもの、あの落ち着いた雰囲気が見る影もない。ホント、どうしたんだ?


「よこやまクン。何か聞いてる?」


 何がだ?


「何を?」


「・・・。ううん、だよね。聞いてないなら」


 ソフィアと顔を見合わせる。

 ソフィアも何のことだか分からないみたいだ。

 よく見ると、ぐっしょりと汗をかいている。今にも倒れそうだ。


「今日は楽しんでいってね」


 無理やり笑ってそう言う笑顔が痛々しい。


「あ、こら!ちょっと!」


 ソフィアの制止の声を無視し、メットを取り、ファージ接続を開始する。

 周囲のメンバーは瞬時に反応し、敵対行動とみなされたのか、ネット防壁が可視化できるくらい分厚く展開され始め、サイレントで警備のコールが飛ぶ。ノッポドラマーは早抜きで脇からデカいハンドガンを抜き俺に向けていた、巨乳だった。ハゲマッチョとスーツたちは無反応だ。


 周囲に最大限警戒しながら走査開始、つつみちゃんの過去ログにアクセス、メンタル、フィジカル両方のチェックも同時進行。

 お。そのハンドガンファージ接続なんだな。


「なっ!?」


 ノッポ巨乳ドラマーが驚いてハンドガンを手放す。

 下に落ちるまでに限界まで分解しておく。

 そんなデカいので撃たれたら真っ二つになっちまう。

 ノーモーションで狼男が首を掴みに来た。迷わず殺しに来るなぁ。こいつら本当にバンドマンか?

 でも、筋電位でバレバレだ。リラックスしようか。


「ヒュゴッ!?」


 狼男をそのまま怪我しないよう緩くしゃがみ込ませた。

 つつみちゃん、昨日寝てないのか。それに、コルチゾールが異常分泌している。段階的に分解、同時に落ち着かせる為にオキシトシンとセロトニンを二対一で誘発。

 手を優しく握り、目線を合わせた。

 警備会社とナチュラリストらしき奴ら、後興味本位だろうか、それ以外にも三つくらい不明なアドレスからアクセスが始まった。スミレさんからも来た。

 スミレさん以外に丁寧にDOSアタックしていく。スミレさんがバーカウンターからこっちに向けて歩き出した。

 傭兵どもと警備スタッフは箱の入口で待機させられている。優秀だ。


「肉?ショゴス?」


 昨日、つつみちゃんが寝る前、歯を磨いてるときに、洗面所で虚空から床に肉が落ちる映像が有った。

 録画されてた洗面所の映像はメインデータは何回も消されて上書きされヘッドも残ってなかったが、俺には関係ない。

 つつみちゃんが驚いて飛び上がって、悲鳴を上げている間に、換気口から細切れになって消えていった。これが原因か。音声データが無いからよく分からないが、二言三言、話していたようにも見える。


「凄いね、五秒でバレちゃった」


 少し落ち着いてきたのか、つつみちゃんが優しく笑う。目に光が戻っている。少し泣いていた。


「このバンドは、メンバーのメンタルケアはしないのか?」


 少し怒りが湧いてくる。


「僕ら、される側だったし。これ戻してくれるかな?」


 へたり込んだ狼男が唸る。解いたら殺りにくるだろ?嫌だよ。

 ライヴ前にヴォーカルが動けなくなったら困るからな。


「意外に熱しやすいのね」


 音も無くドアを開けたスミレさんが内側をノックしている。


「皆、荒事は無し。リョウ君、直ぐ切って」


 スミレさんと争う気は無い。両手を上げてから、メットを被りなおす。

 くそっ、カッっとなってやってしまった。

 スーツ密閉前にハンドガンを組み立てなおしながら浮き上がらせ、スライド部分を持ってノッポ女に返した。

 狼男には、解除ついでに謝罪も込めて肩を軽く叩く。赦されてない。グルグル唸ってて怖い。


「スリーパーってこんなんだっけ?」


 マッチョが呆れている。こいつ気付いてたのに全然構えてなかったよな。何でだろう。俺の知らない対抗策持ってるのかな。


「ヒマリは荒事得意じゃなかった」


 小柄なスーツの一人は、金属片の袋を被っていたのだが、声は女性だった。

 つつみちゃんが萎縮する。

 ヒマリって、一昔前に革命起こして消えたサン=ジェルマンてスリーパーだっけか?


「昨日の夜、アクセスがあった」


 つつみちゃんのその一言に、俺以外の全員がギョッとした。

 死んだと思われていたが、見つかったのか?謎は解けるのか?


「多分、監禁されてる。助けて欲しいんだと思う」


 こっそり戸口まで来ていた傭兵にスミレさんが耳打ちし、傭兵が消えた。

 箱全体に防壁が起動し始める。

 楽屋の戸口を皮切りに迷彩が各所に張られ、花屋が傭兵に連れられて出ていくのが映った。


「俺らも出ていくか?」


 ハゲマッチョがスミレさんに問う。


「良いの。皆も聞いておいて」


 つつみちゃんはメンバーを見渡し、俺を見る。

 一つ、疑問なのだが、ここで言うのも気が引ける。

 とりあえず、肩をすくめた。


「今日のトリで、召喚しようと思う。多分出来るはず」


「どこにいるの?」


 スミレさんがヤキモキしている。珍しい。


「近いけど、分からない。それも含めて」


「舞台裏に準備だけしておくわ」


 スミレさんは早足で消えていった。


「願望、・・・幻覚じゃないのかい?」


 狼男が声を絞り出す。俺はもう関与してないから、本当に苦しいのだろう。

 何があったんだ?

 こいつらとサン=ジェルマンは、何で知り合いなんだ?

 過去のニュースにも、スリーパーの経歴にも、アカシック・レコードにもそれらしき情報は残っていなかった。余計に謎だ。

 調べなおしたいが、今は外界と遮断されて接続切れだ。

 もどかしい。

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