第10話 採用試験官 田中さん 前編
四月下旬に近づきつつある。世間としては祝日が連続来る五月のイベントを楽しむ空気となる。田中はそういったものに縁はない。食堂の主というのもあるが、ダンジョンで勤める者は大体そうだ。
「いらっしゃいませ」
いつものようにランチタイムとなり、人が入って来る。反射的に言いながら、田中は皿に料理を盛る。眼球だけ動かすと誰かが待っている。黒いジャケットにタイトなスカート、一つに纏めた黒髪という気真面目な恰好をした四十代の女性がいる。女性はまるで田中の様子を窺っているようだ。客に注文の料理を届けた後、彼女に接近する。
「確か人事部の」
「はい。久保田と申します」
久保田という女性の声を聞くだけで背筋が伸びる。そう思わせる声である。
「書類選考が終了しました。五日後に六人の方と面接と実技を行います。実技に関してはあなたにお任せします。探索者の上層部を刺しておきましたので、本日いっぱい考えて人事部に連絡をお願いします。タブレットに資料作成の方法や六名の履歴書を送っております」
さり気なく物騒な言葉を挟みながらも、きちんと大事なことを伝えている。田中は縦に頷いた。
「承知しました。報告ありがとうございます」
「いえ。これぐらいは気楽なものです。探索者に今日は頼むなと言う方がきつかったですよ」
久保田は愚痴が出そうと思わせるほどの苦労した顔を見せた。それでも数秒で気真面目な顔に戻る。
「それでは失礼いたします」
出来る仕事人と思わせる足取りを見せて去って行った。じーっと視線があるなと気付き、田中は後ろを振り向く。カウンター席にいる童顔で小柄な女性技術スタッフの伊能である。にこにことしながら、田中に声をかける。
「採用試験に携わるなんて大変ねぇ」
「そうかもしれませんが……これで俺も少し楽になりますからね」
伊能は眉間に皺を寄せ、右の人差し指で抑える仕草をした。
「それは……どうかしら」
その発言に田中は傾げる。
「どういうことです?」
「だって田中さん、探索者でもかなり特殊だもの。探索者に専念して欲しいんじゃないかしら」
あり得そうなところだ。田中は感じた。それでもという思いで返す。
「どうでしょうね。他の皆さんみたいにガッツリってわけじゃないですから。まあ一人の運営だとキツイから楽にしようぐらいじゃないですか? 色々と観察しながら、運営を調整するつもりですし」
「そうね。何回もテストを重ねて本格運営だったわね」
「ええ。だから多分……今まで以上に探索者として動くわけではないと思います。多分」
最後の部分だけ自信のない、小さい声で言ってしまった田中である。このようなやり取りをして、一時間後にはランチタイムが終わった。タブレットに電源を入れて、メールに添付されている資料を閲覧する。最初に書類選考を通った者の履歴書を見る。年齢は二十代から四十代まで。誰もが田中よりも経験を積んでいる。問題は人柄だろうか。そう思った田中は悩む。面接官として参加するとは想定していなかったためだ。
「面接を受ける時は分かるんだけどな」
困ったように頭をかく。
「質問とかは多分人事部が見るよな。情報の扱いも多分見るか。あ」
メールの添付資料の中に人事部の質問項目があった。痒い所に手が届くとはこのことだろう。想定していたようだ。
「久保田さん、マジでなにもんだ」
自分以外誰もいない食堂で田中は呟いてしまう。分かりやすく書かれており、どういった視点で見ているのかも記載されていた。何も分からない田中に教えてくれているようなものだった。
「面接で見るべきポイントを確認したし、調理試験のことを考えよう。会場は奥多摩町の役所の部屋と台所。設備とかは一般的なものが揃ってる感じか」
頭の中で考えるだけではパンクしてしまうと感じた田中はノートに書き記す。人数。時間。どのような力量を欲するか。書き殴りで他人には読めないが問題ない。
「テーマを決めておくべきだよな。そっちの方が取っかかりやすいし。卵。いやウチだと滅多に使わねえしな。定食のメニューを混ぜるか?」
書いて。二重線で引いて。矢印を引いて。その繰り返し。色々と悩みながらも、田中は夜の食堂の準備をしたり、接客をしたりして、どうにか人事部に調理試験の資料作成を送ることが出来たのであった。
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