死ぬ夢
koumoto
死ぬ夢
死ぬ夢ばかり見る。
自分の死体にはいつも顔がない。顔のない自分の死体を眺めているこの視点は、何なのだろう。現実にはあり得ない視点。夢そのものだ。
たとえば、首を吊った死体がある。宙に浮いたつま先、だらけた腰つき、弛緩した肩口、と見上げていけば、どうしたって顔にたどり着くはずではないか。ところが、ない。首を吊っているのだから、首はあるのだろう。そのあたりも曖昧だ。夢は、細部をじっくりとは観察できない。とどまることもできない。記憶に侵食された現在とでも言うべきか。顔のない自分の首吊り死体。死刑囚は、どんな顔をして死ぬのだろう。顔はきっと、あるのだろう。落下の勢いが強すぎて、首が切断されてしまった、という話は、実話だったか、物語だったか。夢かもしれない。胴体から切り離されても、顔は顔だ。ホロコーストのドキュメンタリー映画で、洗面器みたいな入れ物に置かれた頭部の写真が映されていたっけ。不思議な表情だった。瞼と唇が少しめくれて、そのまま停止していた。眠っているような顔、とも言えたが、きっと夢は見ないのだろう。死体の顔は、夢を見ているようには見えない。死ぬ夢を見ている自分は、まだ死体ではないのだろう。
死ぬ夢の大半は、殺される夢だ。いろんなやつらが殺しに来る。不思議なことに、殺しに来るやつも大抵は顔がない。といっても、顔が空白になっているような自分の死体とは違って、仮面だったりマスクだったり、顔を隠している、という体裁(設定?)は守っていたりする。あるいは、もともと人じゃなかったり。顔らしきものはあるけど、人の顔ではないから、顔として認識できない。そんな殺人者。そういうやつは、とりわけ恐ろしい。夢から覚めると、全身が汗びっしょりで、思い出すだけでも寒気がする。
いまでも覚えているもののひとつは、無限に続くような非常階段で、四足歩行で追いかけてきた、ぬるぬるの軟体生物だ。黒と緑がまだらになっていた。昆虫のような冷たい眼をしていた。この非常階段は下りてはならない、とてつもなくおそろしい場所にしかつながっていない、そうわかっていながら、それでも下りていかなければならなかったあの背筋の凍るようなおぞましさは、夢を見た当事者にしかわからないものだろう。どうやって伝えたらいいのか、いまもってわからない。ところで、この夢には自分の死体は出てきていない。あのぬるぬるした殺人者に追いつかれたわけでもない。なのに、死の感触がひときわ強い夢だった。
初めて見た殺される夢も、いまだに鮮烈だ。ベランダに通じる窓辺の風景。昼間らしく、カーテンが揺れている。登場人物のいない映画のように、そんな風景がしばらく続く。唐突に、カーテンの陰から、コマ送りのようにぎこちなく、それでいて異様な速さで、刃物を手にした影がこちらに近づいてきて、ためらいなく刺された。この影も、すさまじく怖かった。もちろん顔はない。服は着ているようだ。でも、どんな服を着ていたか、明確に言い表すことはできない。この夢にも自分の死体は映らなかった。珍しく、主観一辺倒の夢だった。視点そのものが刺されたのだ。刺された瞬間、プツン、と夢が途切れた。それが自分の初めての死ぬ夢。
いや、これではなかったかな。もうひとつ、もっと幼い頃に見た夢があった。道路に自分が立っていて、車に轢き殺されるというシンプルな夢。でも、あの夢に出てきた自分の死体には、顔があった。アスファルトに叩きつけられた自分の頭から、どばどばと血が出ていたが、その表情を観察できたし、あの夢には死の感触が稀薄だった。いま思い出しても、大して恐怖を感じない。
どうやら自分の死ぬ夢は、ある時期を境に変わったようだ。自分の死体に顔があるかどうか。そのあたりが分岐点か。
夢に登場する自分に顔がなくなってから、ずいぶん経つ。顔のない夢は、いまでも怖い。だからここ最近は眠れない。死ぬ夢ばかり見るから。現実よりもリアルだから。
死ぬ夢 koumoto @koumoto
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