第百十九話 レストラン『カモミール』
帝都リードリデ、リンドブルム家の屋敷。
プリティマユレリカでマユレリカから相談を受けた翌日。
僕は屋敷を束ねる執事長ユルゲンの同席の元、料理長エルマーから事の真相を聞き出していた。
「そうか……マユレリカの言っていたことは本当だったか」
「……はい。私の両親が営むレストラン『カモミール』ではここのところ嫌がらせが続いているようなのです。両親は特に深刻には捉えていないようですが……常連のお客様がおっしゃるには、毎日のようにガラの悪い男が店を訪れ、周囲を威嚇するような大声で金銭の無心をするとか」
「うむ」
「ですが、特に物を壊されたり、両親自体に危害を加える訳ではない様子でして……。騎士団の方々を呼ぶような事態にまでは発展しておりませんでした」
物も壊さず大声で
もっと色々とやってきているかと思えばそうでもない。
金銭についても要求はするものの、実はそれほど額は多くないらしい。
……どうなっている?
本気で要求を通すつもりがないのか?
「……ヴァニタス様がラゼリア皇女殿下と共に封印の森へと旅をされている間、実をいいますと私もユルゲン様から休暇をいただきまして実家へと手伝いに帰っていました。……しかし、私が店を手伝っている間はパタリと嫌がらせが止まってしまっていて、お屋敷に帰ってきた途端また再開したという話を聞きました。それで……つい、顔見知りの商人にこのことを漏らしてしまいまして……」
「…………」
リンドブルム侯爵家に出入りする商人は複数いる。
それは日用品だったり食材だったりと日々消耗する生活用品の仕入れ商人など。
警備上の問題もあり身分確かな者だけが出入りすることになる訳だが、エルマーの話ではつい先日ランカフィール家
「……このような私事にヴァニタス様のお手を煩わすなど恐れ多いと報告することを怠りました。誠に申し訳ございません」
直立不動の姿勢から勢いよく頭を下げるエルマー。
緊張と反省からか声も表情も強張っていた。
「坊ちゃま、いえヴァニタス様。エルマーの悩みに気付けなかったのは私の責任です。処分なされるなら屋敷の管理を一任されておりますこの私にお願い致します」
「……爺や」
エルマーを制し一歩前へと出るユルゲン。
毅然とした態度で自身が責任とることを提案してくる。
「いえ! ユルゲン様のせいなどではありません! 私が、私が悪いのです! リンドブルム侯爵家に仕えし者、しかも責任ある料理長が私事とはいえ外部に
「エルマー、それ以上言う必要はない。……ユルゲンもだ。……配下の者たちを
「ですが……」
食い下がるユルゲンを視線で下がらせる。
元はと言えば父上からこの屋敷を預かっているというのに配下の管理すらままならない僕の不手際。
「……覚悟は聞いた。そのうえで敢えて言おう。エルマー、僕はお前の料理を気に入っている。居なくなることなど許さない」
「そ、それは……勿体無いお言葉……」
「差し当たってお前の実家……『カモミール』か。そちらは僕に任せて貰おう。決して悪いようにはしない」
「はい、ご迷惑をお掛けします! ですが何卒、何卒よろしくお願いします!」
「ヴァニタス様……」
「爺や、お前もだ。僕の屋敷を束ねるのは信頼あるお前しかいない。軽々しく責任を取るなど言うな。お前は僕が帰る場所を守っていてくれればそれでいい。それでもまだ責任を感じているのなら……そうだな、一層励めばいい」
「……はい、坊ちゃまの
……マユレリカには感謝するべきなのだろうな。
彼女なら僕に知らせることもなくこの件を解決することも出来た。
こっそりと解決し
または泳がせておいて情報源とすることも出来たはず。
だが彼女はそれを良しとせず、敢えて僕にお伺いを立て依頼という形で提案してきた。
リンドブルム家の屋敷にほんの僅かだが
……使用人たちの一部では僕はいまだに恐れられたままだ。
それを知りつつ僕自身そのままでも構わないと特に気にしていなかった。
だが、敵の多い貴族社会、それに国家を股にかけ暗躍する秘密結社までいる。
何処から僕の大切な者たちが傷つけられるかもわからない以上、付け入る隙は出来るだけ無くすべきだろう。
うむ、今度使用人全員に面談でもしてみるか……。
僕だけだと無用に威圧する場合もあるからクリスティナとユルゲンにも同席して貰えば円滑に進むはずだ。
だがそうだな、ベティーナは……除外していいだろう。
……あいつは下手に絡むと危険過ぎるからな。
また放置プレイがどうとか騒ぎそうだが……変態は無視するに限る。
馬車に乗り早速エルマーの両親の営むレストラン『カモミール』へと向かう。
エルマーの話を聞けばカモミールは前世でいう洋食を取り扱う料理店らしい。
店の一押しは鉄板に乗せて提供される熱々のハンバーグで、また食後に飲む店名の
「へー、外観だけだけど雰囲気の良さそうないいお店だね。馬車に乗るのは嫌だったけど来てよかったかも」
店を発見し能天気な声で歓声をあげるのはハベルメシア。
先程まで乗り物酔いで気持ち悪そうな顔をしていたのに、店を見つけた途端急に元気になって騒いでいた。
それにしてもトラブル解決のためにレストランに向かうと伝えただけなのに『ヴァニタスくんたちだけ美味しいものを食べてくるつもりなんてズルい!』と言って強引についてくるとは……一体何のつもりできたんだこいつ。
マユレリカの言っていた通り慎ましい隠れ家的な店の扉を開く。
カランカランと備え付けられた鐘が鳴り、間延びした声が僕たちを歓迎してくれた。
「は〜い、いらっしゃいませ〜」
現れたのはエルマーの母親だろう六十代くらいの初老の女性。
年相応の
「これはこれは可愛らしいお客様がこんなに。ええっと何人いらっしゃるのかしらねぇ。いち、にー、さん……全員で五人かしら」
「ああ、僕たちは――――」
「……ねぇねぇ、丁度お昼に近いんだからさ。用件は食べてからでもいいでしょ?」
耳元でこっそりと提案してくるハベルメシア。
周りを見渡せばどことなく期待したような視線が多い。
……普段から
ううむ、朝は二人で訓練に励んでいたようだからお腹が空いているのかもしれないな。
「……わかった。少し早い気もするが、一旦食事を済ませてからにするか。どうせ嫌がらせに対処するとしても暫くここに張り込む必要もあるだろうしな」
「へへ、そうこなくっちゃ!」
「はい、主様」
「うん、いっぱい、食べる!」
「…………ごくり」
あれよあれよという間に半個室のような部屋へと通される。
マユレリカたちランカフィール家の者たちもこんな部屋で食事をしていたのだろうか、意外にも庶民的な店だが……落ち着く空間だ。
取り敢えず
……提供が早いな。
確かこの店はエルマーの両親が二人だけで営んでいると聞いていたが、随分手際がいいようだ。
「わー、美味しそう!」
「これは……また見事な料理の数々ですね」
「ご馳走、早く、食べる!」
「…………じゅるり」
店の一番のおすすめハンバーグプレート、ゴロゴロとした大きめの野菜が煮込まれたクリームシチュー、照りのある牛肉の赤ワイン煮込みに丁寧に盛り付けられた骨付きの鹿肉のロースト。
どの料理も手の込んだものばかりで非常に食欲を
しかし、なにより嬉しいのは付け合わせのパンをライスにも変更可能なことだ。
これも小説世界のお陰だな。
普通米を食べようと思ったら転生者は苦労するのが定番だが、普段から何気なく食べられるのはありがたい。
という訳で少し早い昼食を始めた訳だが――――。
「
自分の口から出たとは思えないほど大きな声が出た。
なんだこれ。
いやいや美味すぎるだろ!
「美味しい〜〜! なにこれ〜〜!」
「見た目からも色彩豊かで大変素晴らしいものでしたが……お味も優しい口当たりでとても美味しいですね」
「スゴい! 美味しい!」
「…………ふぐふぐ」
料理はエルマーの父親が担当しているそうだが……これほどの腕とはな。
ハンバーグだけでもふっくらとしつつも肉肉しい食感でコクのあるデミグラスソースと相まって非常に食べ応えのある一品。
……また今度ゆっくり食べに来よう。
「ん? ハベルメシア、はしたないぞ。頬にソースがついてる」
「え、ホント!?」
頬に茶色のソースをつけて赤ワイン煮込みを口いっぱいに頬張っていたハベルメシア。
恥ずかしそうにババッと腕で拭うようにして拭き取る。
……まったく屋敷ならともかく半個室とはいえ外の目があるところではしたない真似をするんじゃない。
宮廷魔法師なら貴族のパーティーにも誘われたりするだろうに……テーブルマナーなら僕より詳しくてもおかしくないだろうが。
「あ、でもでもヴァニタスくんだって口の端にお肉の欠片が付いてるよ」
「む」
「ほら、お姉さんが取ってあげる。毎回クリスティナちゃんにお世話させるのも可哀想だからねー」
「ん……」
懐から取り出したのハンカチで僕の口元を拭ってくれるハベルメシア。
……ハンカチを持っていたなら自分の頬もそれで拭えばいいものを……はぁ……。
「……助かった。……どうした?」
「う、ううん。何でもない。……家族で外食に来たみたいで何か……いいなって思っただけ。封印の森ではそんなこと思わなかったのに……何でだろ。あー、うん何でもない! 何でもないから!」
……大声を出すことはないのにな。
だがハベルメシアの言う通り皆で一つのテーブルを取り囲んで食事をする姿は、間違いなく日常の一コマだった。
「ねぇお婆ちゃん、本当に来るの〜」
「う〜ん、いつもはこれくらいの時間に来るんだけどねぇ。どうしちゃったのかしら」
「遅い、早く、来る!」
いつの間にかハベルメシアもヒルデガルドもエルマーの母メイラと打ち解けていた。
食事の後、この店を訪れた詳しい事情を説明した僕ら。
エルマーがリンドブルム家に仕えていることを知っていたメイラとエルマーの父ルドルフが僕たちを受け入れるのは早かった。
というよりあまり気にしていないというか『あらそうだったの? よろしくお願いしますね』と無条件に信用されてしまってそれはそれで面食らった。
ルドルフに至っては無言で頭を下げてくるだけで一言も発しないし、メイラは『あの人は恥ずかしがり屋なの。ごめんなさいね』なんて言われてしまった。
……それにしても二人共リラックスしすぎだろう。
緊張感がないにも程がある。
料理に満足したのもあるのだろうが、クリスティナとラパーナがぎこちないながらもメイラの代わりに料理の
……まあ、それは僕も同じか。
手伝おうかとも思ったがクリスティナに止められてしまったしな。
その時、バタンッと扉が蹴破られるようにして開かれた。
「オウオウ! コラッ! 今日も来てやったぞババア! 金は用意出来たんだろうなぁ! ああッ!!」
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