第百二話 ヒルデガルドの渇望
見上げるほどの巨大な竜。
それはあの日仰ぎ見た
岩石のような鱗、鋭い剣山のようにそそり立つ背、
恐ろしいほどに尖った大牙が生え揃う
……息の苦しくなるような圧迫感が私を襲う。
母を、一族の
あの魔物はそれと似ているだけだというのに思わず身が竦み足が止まる。
母の栄誉ある死の間際の瞬間が脳裏をよぎる。
『ヒルデ……あなたは生きるの。……生きて……戦士の血を、絶やさないで……』。
頬を優しく撫でる血に濡れた手の感触を覚えている。
激しく呼び掛ける度に、握り締めた手が徐々に冷たくなる感覚を覚えている。
暗く淀んだ空気、多くの戦士たちの死に
……そうして私はいつの間にか
「主……」
「よく来てくれた。ヒルデガルド」
ヴァニタス・リンドブルム。
私の主。
少し前までは私が守るべき存在だった人。
転生……意味はよくわからないけど、前までと別人となった主は強くなった。
それは私を超える強さ。
それなのに主はいま傷つき血を流していた。
邪竜がそうさせていた。
「クリスティナは無事そちらについたようだな。……怪我は、見える部分にはないな」
「
「いや、僕はいい。それよりここからは
主は普段通りだった。
私がここに来たことを当たり前のように接してくれた。
主なら私がエリメス、あの主に馴れ馴れしい女に普段通りに動けず苦戦していたことを把握しているはずなのに。
主は私を責めなかった。
邪竜の行動を油断なく見詰めながら、私が共に戦えることを微塵も疑っていない。
クリスティナと同じ、邪竜を見ただけで身が竦む不甲斐ない私を信じてくれていた。
「ヴァニタス! 援軍が来たかと思えばすぐに引っ込めやがって! 結局次に来たのも同じ奴隷じゃねぇか! そいつがお前の奥の手かぁ? いまさらそんな
邪竜を操る男。
そして、主に、私たちに敵対する者。
巨大な百足を手足のように操る者が、邪竜の首元からニヤついた顔で叫ぶ。
「エクリプスドラゴン! 小娘ごと殺せ!」
「まったく、禄に会話も出来やしない。
主は私を横抱きに抱えあげると、邪竜の猛攻から逃れるように荒野となった地面を駆ける。
「うん……砦から大分離れた場所に誘導出来ているな。これなら多少暴れても問題ないだろう。さて、ヒルデガルド、そのままでいいから聞いてくれ」
「……うん」
「君の力を借りたい」
「ヴァニタス! エリメスに苦戦するような小娘じゃ勝てねぇって言ってんだよ! オレとエクリプスドラゴンにはな!」
「はぁ……五月蝿いヤツだ。もう回復薬で左肩の傷も治しただろうによく吠える。いや……不安なのか。だから飽きもせず喋り続けている。まあいい。話の続きだ。ヒルデガルド……君にはあの魔法がある。
「っ!? でも……あの魔法はっ!」
主も知っているはずだった。
私があの魔法を使いこなせていない、ううん、禄に使えもしないことを。
「失敗続きと言いたいんだろう? わかっている。でもいまなんだ。いまこの時こそあの魔法が必要だ。君があの日、ラゼリアに破れた日からずっと鍛練を続けてきたことを僕は知っている。自分の弱さを知り、強くあろうと努力してきた姿を知っている」
「…………」
「ヒルデガルド、いまこそ君の力を僕に貸してくれ。君がいれば僕一人では勝てない相手にも必ず勝利できる。僕は……そう信じている」
あの時……。
あの時も主は私を信じてくれていた。
ラゼリア……皇女様との模擬戦に敗北した時、主は言った。
私はまだ強くなれると。
頬を伝い溢れ落ちる雫が地面を濡らす。
私は敗北に
負けた。
手加減されたうえに、魔法も体術も何一つ通用しなかった。
彼女の
「ヒルデガルド……」
「主、ごめん、なさい」
「何故謝る。ヒルデガルド、お前は全力で戦ったのだろう?」
「たた、かった。でも……勝てなかった」
私は強く握り締めた自身の両手を眺めていた。
届かなかった。
決して負けてはいけなかったのに……勝てなかった。
「勝ちたかった。勝って、証明したかった。主、私たちの主だって」
「…………」
「主、私に示せと言った、私が居るって、でも、駄目だった」
「示してくれたさ。それはラゼリア皇女殿下もわかってくれたはずだ。僕に君という大切な存在がいると」
「でも! でも! 負けた! 私、負けた!」
「ヒルデガルド……」
「ハベルメシア、いい。彼女、主、勝ち取った戦利品。でも、皇女様……違う!」
「…………」
「主、いなくなる……嫌。うううぅ、主! 強く、強くなりたい! もっと強く!」
取り乱す私を主が抱き締めてくれる。
私は主の胸に顔を埋め、己の無力にただ泣くことしか出来なかった。
「ヒルデガルド……」
「主、奪われたくない! 大切なもの、奪われたくない!」
「……僕も同じだ。僕も君を、大切なものを奪われたくない」
強く抱き締め
胸が張り裂けそうなほど苦しかった。
「…………ヒルデガルド、強くなりたいか?」
「うん……なりたい。誰にも負けないぐらい、強く!」
「ああ、君はもっと強くなれる」
「ホント、に?」
「ああ、勿論だ。君には渇望がある。強さを求める欲望が、熱が。君にはある」
「渇望……強く、なる?」
「いいかい。この魔法は君のために用意していたものだ。君の適性の高さを見ていつかのために考えていた魔法。さあ、手を出して」
重なる手。
主の手は小さく、でも熱を帯びていた。
私の悔しさと悲しみで傷ついた心を無理矢理にでも前に向かせてしまう熱く高鳴る熱。
「魔法の名は■■。これは君だけが使える魔法。それをいまから僕が教えよう。なに、君には僕以上の才能がある。必ず使いこなせるようになる。僕が保証する」
「逃げ回るだけがお前の戦いか、ヴァニタス!」
なおも荒れる大地、邪竜はモーリッツ《百足男》の指示の元、周囲を破壊し尽くす。
それでも主は意に介さなかった。
ただ冷静に攻撃の軌道と範囲を読み移動する。
冷徹なまでの集中力。
そうして私たちは邪竜と適正な距離で相対する。
「さあ、手を。最初は僕がサポートする」
「うん、主」
あの時も主が私の手を取ってくれた。
……温かい。
「コツはもう教えたな。後は……ただ自分の力を信じるんだ」
「……うん」
邪竜を見る。
あの鈍い銀の輝きを灯す無機質な瞳を。
私たちの里を襲った竜とお前は違う。
でも、それでも私はお前を倒す。
右手を前に。
――――五指を開く。
この時、己の宿敵に酷似した相手を倒すと彼女が決意した時、ヒルデガルドは己の内側に溢れる新たな力を感じていた。
それは後天属性と呼ばれる先天属性とはまた発生の異なる魔法に対する適性。
後天属性の発現条件はわかっていない。
個人によって取得の差は激しく一概には言い切れない。
ただ判明しているのはこの時ヒルデガルドは新たな力を得たということ。
ヒルデガルドが身の内に宿したのは『猟犬』の適性。
元々の先天属性である『泥』に加え、彼女はもう一つの自らが得意とする属性を得ていた。
しかし、彼女はそれを敢えて無視した。
突如として自らの内側から溢れた都合の良い力ではなく、これまで鍛え培ってきた力を選んだ。
それは意志の力。
彼女の主への信頼。
邪竜に向け五指を開いた右手に左手を添え支える。
さらに主が開いた手のひらに重なるように私の右手を支えてくれた。
「……行くぞ、ヒルデガルド」
「うん、主」
これから私の使用する魔法は主が私のためだけに用意してくれたもの。
私の、私だけの――――掌握魔法。
「邪竜! 私は、お前を、討つ!! ――――
強く強く握り締める。
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