第八十八話 グラニフ砦と不穏な影


 ラゼリアの言う温泉のある場所は封印の森からほど近い隣接地にある。

 竜車を使うまでもなく馬車で数時間の距離。


 しかし、温泉に向かう前に挨拶しておくべき場所があるらしい。

 そうして案内されたのは……。


「これはこれはラゼリア様! よくぞ我がグラニフ砦にお越し下さいました! このマッケルン、ラゼリア様御一行の来訪をいまかいまかと待ち侘びておりましたぞ!」


 左右にピンと伸ばした口髭くちひげを蓄えた壮年の騎士。

 見た目四〜五十代くらいか?

 グレーの髪、温和そうな緑の瞳、ラゼリアに向けて話す口調は喜びに満ちている。


「おお、マッケルン久しいな!」


 ラゼリアもまたマッケルンと呼ばれる壮年の騎士を信用しているようだった。

 親しげに距離を詰めると肩をバンバンと激しく叩く。

 だが騎士甲冑姿のマッケルンは慣れたものなのかビクともしない。

 

「ヴァニタス、此奴はマッケルン。皇族専用の修練の地でもある封印の森を監視するグラニフ砦を任された優秀な指揮官だ」

「いえいえ、姫様、私がこの砦を任されているのは単に守りが得意なだけのことです。それに封印の森は強力な魔物が生息しているとはいえ、たまに少数の魔物が迷い出るくらいで普段は至って平和ですからな。私の仕事などあってないようなものです」

「ハハッ、冗談を言うな。かつては、いやいまもだな。“急滝きゅうろうの騎士"と言われ恐れられた熟練の騎士でなければこの場所を父上も任せはしないだろう。それと私は姫様なんて柄じゃない。名前で呼べ」

「ハっ、これは失礼しました!」


 かしこまるマッケルン。

 だがこのやり取りもいつものことなのだろう。

 互いに冗談めかした雰囲気を纏っていた。


 ラゼリアとの関係は良好のようだな。


「してこの度は私めに何用で御座いましょうか? 皇族の方々専用の秘湯のご使用ですか? それとも……そちらのラゼリア様のご友人たちを紹介していただけるので?」


 マッケルンの一見穏やかにも見える瞳。

 しかし、こちらを向いた目の奥は笑っていなかった。


 ラゼリアのことは信用しているが、ポッと出の僕たちのことは気になるのだろう。

 彼女とは古くからの付き合いのようだし、こればかりは仕方ないだろうな。


 だが、ラゼリアはそんな僅かな機敏きびなど関係ないと言わんばかりに……。


「ああ、彼はヴァニタス。私の未来の夫だ」

「…………?」


 いやあ……それは困惑するだろ。

 思わず額に手を当てる。


 こう……魔法学園で突然僕たちを襲撃してきたことといいラゼリアはたまに突拍子とっぴょうしもないことをするよな。

 

 しかし……。


「…………そうですか。それは大変喜ばしいことですね」


 じ、自己処理した!?


 何処か遠い目をしたまま頷くマッケルン。


 ……ラゼリアには随分振り回され来たんだろうな。

 そのせいで許容量を超えた事態には防衛本能でも働くのだろう。


 その後軽く自己紹介をしたが、先程の発言がまるで聞こえていなかったかのように至って普通だった。


 積もる話もあったためか話の弾むラゼリアとマッケルン。

 なごやかな談笑だったがとあるタイミングでマッケルンが神妙に切り出す。


「それでラゼリア様……一つご報告が」

「ん? ……なんだ?」

「いえ、報告するまでもないことかも知れませんが、一応お耳に入れていただければと。……実は数日前に騎士が森周辺を巡回している最中、無惨に殺された魔物の死体を発見しまして……」

「魔物の死体か……どうした、何か不審な点でもあったか?」

「はい。まず同じ魔物同士の争いならば死体というのは残ることは稀です。倒したからには己の血肉にする、極稀に殺戮を楽しむだけの魔物もいますが封印の森、しかも森の浅い部分にはそのような魔物はおりません。しかし、魔物の死体は荒らされることなく原型を留めておりました。そして、魔物が殺したのなら真っ先に食らうはずの魔石も手付かずのままでした」

「なら無断で森に入った密猟者か? 前にもそんな小悪党がいたよな」


 これだけ広大な森だ。

 しかも、森の中はマユレリカすら驚く貴重な素材の宝庫。


 密猟者、あるいは冒険者だろうと宝に目が眩むような輩なら騎士たちの目を盗んで侵入していても可笑しくない。


「ええ、あの時ですか。アヤツらはあまりにお粗末な輩でしたからな。すぐ様捕縛したのですが……」

「まあ、密猟者なら死体をそのままにはしないか。せめて魔石ぐらいは剥ぎ取るだろうしな。……となると封印の森にはいなかった新たな魔物、か?」

「はい。いずれにせよいまの封印の森は少しばかりきな臭い。まあ、これはただの一人の騎士の勘、ですが」


 勘といいつつマッケルンは何かを確信したかのように呟く。

 長年この砦に配属されていた騎士ともなると僅かな違和感を感じているのだろう。


「ウム。もしくはどちらでもなくこの森に何か目的があって侵入した者がいるか……」

「はい。つきましては我が砦からも護衛の騎士を連れていっていただけないかと。勿論、姫様の近衛の騎士たちを軽んじている訳では御座いませんが。……万が一のためにも」

「ううむ、だがなぁ」


 万が一を心配するマッケルンに渋るラゼリア。


 確かにいまの段階では疑わしいだけで確信は得られていない。


「そういえば邪竜の噂って本当のことなのか?」


 二人の話し合いは続いていたが、ふと気になったことを聞いてみた。


「邪竜ですか……」

「う〜ん、実はなヴァニタス。私も邪竜についてはよく知らないんだ。帝国に伝わる歴史ではこの森の何処かに邪竜が封印されているとされているが、実際のところそれが真実かは私にもわからない。マッケルンはどうだ? 何か知っているか?」

「残念ながら私めも存じてはおりません。封印の森の奥地には強力な魔物が存在することは確かですが、隈なく探索した訳ではありませんし、私も邪竜に関してはなんとも。宮殿の特別な書庫なら……あるいは何か書かれているかも知れませんが……」


 二人共詳細な情報は持っていないか。


 邪竜。

 竜と名のつくだけあって強力な魔物なのだろうが、本当にこの地に封印されているのだろうか。


 封印の森にきて一週間は経つが、怪しい場所などは見かけていない。

 うむ、僕たちの踏み入れていないもっと奥地に何かあるのか?


「はぁ……取り敢えずわかったよ。マッケルン、お前の提案を受け入れよう。一応簡易拠点にもグラニフ砦の騎士を配置してくれ」

「はい、ありがとうございます」

「私一人ならいいが、ヴァニタスたちもいるしな。森の奥地には行くつもりだが、簡易拠点にいざという時の連絡係がいれば万が一の事態にも対応出来るだろう」






 壮年の騎士マッケルンと別れ、グラニフ砦から数十分。


 馬車に揺られ、途中で徒歩に切り替え、険しくも整備された山を進む。

 微かに卵の腐ったような香りが漂う山の中腹。

 

「温泉! 温泉!」

「……む、ちょっと……ヤな匂い」

「こ、これが皇族の方々も使用する美肌の湯! す、素晴らしいですわ!!」


 女性陣念願の温泉地に僕たちは到着していた。





「あ、ヴァニタス。ここは騎士たちもたまに使用する場所だからな。フフ、残念ながら混浴ではないぞ」

「そうか……」

「え! 混浴じゃないの!?」「え! 混浴ではないのですか!?」


 ラゼリアの言葉に過剰に反応するハベルメシアとクリスティナ。

 ……お前たち何を期待していたんだ。











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