第八十二話 ハベルメシアは羨ましがる
ずるい。
ラゼリア皇女殿下に連れられてやってきた
邪竜が封印されているなんてよくわからない噂もあるけど、人の手の入っていない大自然の残る強力な魔物の
ホントはこんな
そう、輝かしい宮廷魔法師だったわたしはもういない。
宮廷魔法師としての席はまだ辛うじて残っている。
あの日旦那様に敗北したわたしから皇帝陛下は宮廷魔法師という役職を取り上げはしなかった。
でも……周りの人の印象は以前とはもう
いまのわたしは……ただの奴隷。
ハベルメシア・サリトリーブはヴァニタス・リンドブルムのただの奴隷。
ずるい。
これから戦いが始まるというのにわたしは雑念に囚われていた。
動きが鈍るほどではない。
でもどうしても頭の片隅に一つのことが残ってしまっていた。
ブラックガルム、Cランク冒険者のパーティが多少苦戦するぐらいの強さを持つ魔物。
わたしにとっては黒い大きなワンちゃんなだけだけど、ブラックガルムは
牙と爪の鋭い攻撃に加えて四脚によるしなやかな体の動き、相対した獲物の匂いを覚え何処までも追い掛ける執拗さ、もし冒険者になりたての子が出会えば生還することを諦めるほどの強さを持っていた。
「ガルルッ!!」
口元からダラダラと
「ガウッ!」
「ム、私か」
真っ先にラゼリア皇女殿下を攻撃しようなんてあのワンちゃんは運が悪い。
ううん、相手を見る目がなかったのだろう。
このメンバーの中でわたしを除いても一、二を争う実力の持ち主に噛みつこうなんて。
あ〜あ……わたしと同じ、か。
「キャンッ!?」
「おっとすまん」
ラゼリア皇女殿下の背に括り付けられていた大剣が瞬時に振るわれる。
わたしより遥かに大きい身長の皇女殿下と同等、二メートル近い特大の剣。
ただひたすら硬度を求めて作らせたと言われる頑強なだけの剣。
銘は何だったかな。
以前宮殿で出会った時自慢されたような気もするけど記憶にはない。
見た目からも相当な重量とわかるそれを皇女殿下は片手で振るう。
ブラックガルムは右前足を切りつけられ血を撒き散らしながら飛び退いた。
皇女殿下が旦那様へと目配せをする。
その瞳には信頼があった。
『お前ならこの程度の魔物楽勝だろ?』、皇女殿下は視線だけで旦那様と会話しているかのようだった。
ずるい。
前足を傷つけられたとてブラックガルムの戦意は衰えていない。
しかし、皇女殿下を狙うのは分が悪いと判断したらしい。
今度は標的を変え、わたしたち一行の中でも弱い相手に狙いを絞る。
マユレリカちゃんとラパーナちゃん、視線が彼女たち二人を捉えた。
「
「来ない、でっ!」
『蝿』の魔法。
賊に攫われるという不幸な出来事を体験する以前のマユレリカちゃんはこの魔法を嫌がっていたという。
彼女は何処か諦めたような、受け入れているような表情でそれを打ち明けてくれた。
一緒に戦う仲間なら事前に扱う魔法ぐらい把握して置かないと連係に支障が出ると言って。
……そんなに汚らわしいかな。
確かに女の子に蝿を作り出す魔法は辛いと思う。
わたしも彼女と同じ魔法が先天属性なら、同じように自分の魔法を忌避していたかもしれない。
けど……必死な表情で魔法を扱うマユレリカちゃんを汚らわしいなんて思えない。
彼女は仲間のために自分の醜いと自覚する部分を
それでも、と大切なもののために一歩前に踏み出せる高潔さがあった。
わたしには彼女の自分の内面と向き合う決意が尊いものに見えた。
しかし、そんなマユレリカちゃんの決意の籠もった魔法も、ブラックガルムは身を僅かに反らせると簡単に避けてみせた。
速度の遅い蝿の集団は、ブラックガルムを囲む前に軌道を読まれ躱されていた。
反対に動きを予測し予め回避方向に射ったラパーナちゃんの矢は、ブラックガルムの右肩に突き刺さる。
でも大して効いてはいなかった。
刺さった瞬間は痛みを堪えるような仕草をしたブラックガルムだったけど、すぐさま頭を左右に振り痛みを振り払うと二人目掛けて突進してくる。
「ガルッ!」
わたしはそれを見て咄嗟に彼女たちを庇うべく前に出る。
しかし、ブラックガルムがわたしたちの元に到達する前に彼女たちを守る者がいた。
「
封印の森に響く
地面が衝撃で激しく揺れ、森に住む小鳥たちが一斉に飛び立つ。
「……旦那、様」
わたしより一歩前に出てその小さな背中を見せつける旦那様。
ヴァニタス・リンドブルム、人形のような容姿を持つわたしの旦那様。
でもいまこの時の旦那様の背はとても逞しく頼り甲斐のあるものに見えた。
僕の大切なものには少しも触れさせない。
旦那様はまるで背中で語りかけるように立っていた。
「ご主人様……」
「ヴァニタスさん、助かりましたわ」
ずるい。
旦那様が視線を戦場へと巡らせる。
一つは特大剣を構えるラゼリア皇女殿下へ。
もう一つは走り寄ってくるヒルデガルドちゃんへ。
そして、合図もなく隊列の最後尾だったクリスティナちゃんが後ろから飛び出す。
彼女は一瞬だけ旦那様を振り返った。
旦那様はその視線に頷いて答える。
言葉も要らない、合図も指示も要らない。
互いが互いの意を汲んだ動き。
ずるい。
「良し、畳み掛けるぞ!」
「うん、倒す!
「マユレリカ様とラパーナを手に掛けようとは……ブラックガルム、ここで命脈を断つ」
旦那様の魔法によって満身創痍を通り越し虫の息だったブラックガルムを、ラゼリア皇女殿下たち三人が取り囲み止めを刺す。
あっという間の決着。
わたしは……何もすることはなかった。
その後は倒したブラックガルムの解体。
しかし、解体といっても全部をバラバラにして素材を剥ぎ取る訳にもいかない。
ブラックガルムは封印の森では割とありふれた魔物。
しかもここはまだ森全体で比べたら浅い位置に当たる。
いちいち全部を解体していたら鍛錬の時間が無くなる。
ラゼリア皇女殿下の言葉にマユレリカちゃんだけは渋い表情をしていたけど、それも仕方ないと最後には納得していた。
どのみち持ち帰るための
聡いマユレリカちゃんだから最終的にはこの鍛錬中にもっと価値のある素材が手に入ると理解しているのだろう。
それでも必要な部位だけ剥ぎ取ったブラックガルムの亡骸に名残惜しそうにしていたけど。
わたしたちは森を奥へと進んでいく。
砂を吐き、下手に触れれば触れた方が手痛い裂傷を負うことになる塵鱗の大蛇、サンドシェイブサーペント。
目に付いた標的すべてに突撃し、無尽蔵かと思うほどの体力を備えた巨牙の大猪、ギガントボア。
毒を持たない代わりに飴のような粘着性と柔軟性を持つ糸で樹上から獲物を引っ張り上げる紫の大蜘蛛、パープルドロップスパイダー。
森を奥へ奥へと進む度に魔物は強くなっていく。
でも……わたしの心を占めるのは一つのことだけ。
ずるい、ずるい、ずるい、ずるい、ずるい!
…………わたしはいつから一人だったのだろう。
いまよりずっと前、アンヘルを戦場で偶然に拾う前、宮廷魔法師になった十年以上前。
わたしがまだ無限の魔力を得ることになる前。
わたしの側には誰もいなかった。
旦那様のように信頼出来る仲間なんていなかった。
視線で通じ合い、ほんの些細なことでも察してくれる、わたしを守ってくれる仲間なんて一人もいなかった。
わたしはただ孤独だった。
すみません。前のお話で完全にハベルメシアのことを忘れてました。何故かは自分でもわかりません。ふと考えから消えてました。コメントで教えて下さってありがとうございます。彼女が森に同行している描写を追記しました。お手間を取らせて申し訳ないです。
★評価、フォロー、ご感想をいただけると幸いです。
貴方様の応援が執筆の励みになります!
どうかよろしくお願いします!!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます