第四十話 マユレリカ・ランカフィールの絶望


 松明の明かりだけで照らされるどこかの洞窟の内部。

 影は濃く、何が隠れているかすら窺えない濃厚な死の香りが立ち込める場所。


 どうしてこうなってしまったのでしょう。


 わたくしにはわからない。


 閉じ込められた檻の中で死臭を嗅ぐ。

 ニオイの原因はわかっている。

 無造作に置かれた無数の骨、壁には赤黒くこびりつき染みとなったなにか。


 ……徐々にニオイが身体に染み付いているようで吐き気がしますわね。


 洞窟の大部屋にわたくしたちは囚えられていた。

 視線の先には項垂れ疲れ切った使用人たちがわたくしと同じように檻に入れられ捕まっている。


 わたくしが一人に対してあちらは女性ばかりの四人。


 そう、四人。


 たったの四人しかいない。

 最初はもっと多くの、それこそ十人以上の使用人たちがいたはずなのに、時々現れる見張り以外の賊に連れていかれて以降姿が見えない。


 ……嫌な想像しか出来ない。

 連れていかれた先でどんなむごたらしい目にあっているかすら考えたくない。


 あの声が……耳に残っている。


 耳を切り裂く悲鳴、必死に抵抗を表す怒声、助けを求める命乞い……わたくしの名を叫ぶ声。

 それでも最後には勝利の余韻を味わい嘲笑う賊たちの声が、反響するように響いている。

 ……連れて行かれた娘は帰ってこなかった。


「よお、お嬢様。どうだ、そろそろ音を上げたかぁ?」


 下卑げひた声、不躾ぶしつけな視線。

 わたくしに声をかけてきたのはこの集団のリーダーを名乗る男だった。


 ザギアス、わたくしの、ランカフィール家の騎士たちを、両手に握った二振りの剣で喜々として殺していった男。


「…………何の御用ですか?」

「連れないなぁ、ランカフィール家のお嬢様ともあろうものが。オレは様子を見に来ただけだぜ。そろそろ心が折れたかなぁ、ってよ!」


 ひどみにくく歪んだ顔。

 檻の向こうに立つザギアスは嗤っていた。

 わたくしが暗闇に沈んでいくのを安全な場所から眺めていた。


「くっ……それよりこの場に見えない他の使用人たちは無事なのでしょうね! 連れていかれた彼女たちはどうしたのです! それに、まだ生存していた騎士たちは! 貴方はわたくしに約束した! 必ず彼らに治療を施すと! どうなのですか!」

「おうおう、たった二日じゃあ流石にまだ威勢がいいな。……勿論無事だぜ。ウチの配下共が連れてった使用人たちもな。俺たちも無闇矢鱈むやみやたらに殺しがしたい訳じゃねぇからな。騎士たちだってちゃ〜んと治療してやったって。ま、何人かは治療の甲斐なくぽっくり逝っちまったが、誤差だよな誤差」


 嘘、ですわね。

 この男が使用人たちの安全の保証や騎士たちの治療なんてするはずがなかった。


 軽い、あまりにも軽過ぎる口約束。

 でもわたくしはそれにすがるしかなかった。


 あの舞い散る鮮血と霧のような赤に、わたくしが人質になる他手はなかった。

 でなければわたくし以外の全員があの場で殺されていて可笑しくなかった。


「それにしても使用人の心配とはなぁ。ランカフィール家は商人の成り上がりだって聞いたが、平民にもお優しいもんだな」


 ザギアスの言うことは本当ですわ。


 ランカフィール家は元々商人がいまの地位まで成り上がった家系。

 お父様のそのまたお父様。

 名だたる商人であったお祖父様は、皇族の方々や貴族とも取り引きのある大商人で、当時の皇帝陛下から爵位をいただいてからはその販路を拡大、ランカフィール家はいまや伯爵となった。


 歴史の浅い成り上がり者としてランカフィール家は蔑まれることもありました。

 もっともわたくしの目の前でそんなことをいう輩は滅多にいませんけどね。

 その時は認識を改めなさいと激しく糾弾したものです。


 ……でもいまはそう声を大きくして言えませんわね。


「……お祖父様の教えですわ。平民だろうと別け隔てなく接しなさいと」

「ハハハッ、ば、馬鹿な貴族がいたもんだ! だから簡単に捕まんだよ! 平民に優しくだぁ、権力があるのに何故使わねぇ! 俺だったら欲望の赴くままに貴族の特権を使うのによぉ! お前、商人の癖にえらく無駄なことをするんだな!」

「ぐ…………これは我が家に伝わる家訓ですわ。貴方には関係ないでしょう!」

「ハハハ、ハハ……はぁ……お前ら貴族ってのはどうしようもないよな。自分がこれ以上ないほど追い詰められてるってのにまだ我を通せると思っていやがる。おい、お嬢様よぉ。自分の置かれてる状況わかってんのかぁ? ……連れて来い」


 高笑いをしていたのが急に小声で話し出し始めたと思えば、ザキアスは側に控えていた部下に何かの指示をだす。


 部屋を駆け足で出ていった賊の一人が連れてきたのは思いも寄らない人物だった。


「マ、マユレリカお嬢様!」

「っ!? リリカ! 貴女無事だったのですわね!」


 リリカ、わたくしの側仕えとして常日頃から世話をしてくれていた使用人の一人。

 屋敷の使用人の中でも同世代であり、栗色の髪をした小柄で可愛らしい顔立ちの女の子。


 貴族と平民、立場の違いはあれど共に過ごし、成長してきた彼女とは気のおけない親友のような間柄。


 その彼女が生きていた。

 襲撃の後わたくしたちとは離れ離れになっていた彼女が生きていた。


 わたくしは思わず檻から手を伸ばす。

 でも……届かない。

 リリカが賊に押し留められながらも必死に伸ばしてくれた手に届かない。


「どうだぁ。感動の対面だろ?」

「リリカ!」

「お嬢様! お嬢様っ!」

「おーおー、元気を取り戻しちまってまあ。でもこれでわかっただろ? そこの四人以外にも人質はいる。こいつはその一例だ。マユレリカお嬢様よぉ、お前さんが少しでも逃げようとしたり、手をわずわせるようなことをしたら……こいつがどうなるかわかってるな」

「ぐ……リリカを人質に……」

「初日みたいに活きが良いのも悪くないが、魔法で檻を壊されても面倒なんでな。まあもっとも人質なんていなくとも俺には逆らえねぇ、だよな?」


 視線がねっとりと絡みつくように身体を縛る。


 そうだった。

 わたくしも最初は脱出しようと手を尽くした。

 

 でも……駄目だった。

 抵抗する気力すら打ち砕かれた。


 わたくしの先天属性の一つ『宵闇』。

 その闇もザギアスには簡単に砕かれてしまう。

 それに……。


「そうだお嬢様、またその高貴な血をいただこうか」

「ヒィッ!?」

「おいおい、そんなに怖がんなよ。傷つくだろうが。初日に血を啜ってやったのがそんなに嫌だったかぁ? ちゃんと傷口はポーションで治してやっただろ? まあ、お前らの持ち物から貰ったヤツだが」

「……お頭……またですかい。いい加減その趣味はちょっと……」

「ああぁん! うるせえな。多少の血ぐらいいいだろ! 減るもんじゃねぇし!」

「……減りますよ」

「でも増えるじゃねぇか! だから俺が多少抜いてやって味わっても罰はあたらねぇだろ!」

「えー……」


 ザギアスの言葉にあのおぞましい感覚が蘇る。


 抵抗するわたくしの腕をザギアスは剣で切りつけた。


 熱く焼けるような痛み。

 滴る血液は鮮やかに赤く、この場所の死臭と相まってせ返るような匂い。

 

「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ」


 呼吸が乱れる。

 駄目、思い出しては駄目。

 あの気持ち悪い舌が腕を這う感覚。

 血液を啜る音。

 どれもがわたくしの心をむしる。


「おい、吐くなよ」

「…………は、吐きませんわよ」

「じゃあ、腕を出せ。また、貰ってやるよ。お前の血を」

「い、嫌ですわ! 貴方に触れられるなんて考えたくもない!!」


 無我夢中で拒否していた。

 でもその態度はザギアスをいらつかせるだけだった。


「マユレリカお嬢様よぉ、言っただろ。お前にはもう自由なんてねぇんだよ。我が侭を通せると思うなよ。……来い」

「きゃっ!?」

「リリカ!」

「お嬢様は自分以外が傷ついても嫌らしいからな。――――ほらっ、これでどうだ?」

「――――え?」


 一瞬の出来事。


「きゃあああっ――――!!」

「うるせえな。ちょっと足を切りつけてやっただけだろうが」

「ああっ」


 リリカの左足から鮮血が舞っていた。

 彼女は傷口を抑え、地面に勢いよく倒れた。


「おら、立て!」

「ああ、あぁ、痛いぃ……」

「お嬢様、よく見ていろ。お前が俺たちに逆らう真似をしたらこうなるってことを。……短剣を寄越せ」

「ま、待ってぇ!!」


 静止の声など聞いていなかった。

 いえ、あえて無視していたのだろう。


 ザギアスのニヤついた横顔がわたくしを責めていた。

 お前のせいでこうなるのだと。


 部下から手渡された短剣を手にザギアスは――――リリカの顔を突き刺し切り裂いた。


「あああっーーーー!!!!」

「リ、リリカ……」

「ハハハハハハッ、どうだ? これで使用人に相応しい顔になっただろ。おっと、溢れちまう」

「あああ―――――!!!!」


 リリカの首をつたう血をザギアスが舐めとる。

 わたくしはそれを見ながら何処か現実感のない感覚に陥っていた。


「じゃあな、お嬢様。精々大人しくしていろよ」


 痛みに泣き叫ぶリリカを強引に引き摺り、ザギアスたちは上機嫌に去っていった。


 何も、出来ない。

 檻に囚えられ、恐怖に支配させられたわたくしはあまりに無力だった。


 地面に滴り溜まる血に、踏み潰された蝿が浮かんでいる。


 強い力に潰され、血に溺れ藻掻もがくただの羽虫。


 あれはわたくしと同じだった。











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