第三十三話 黒うさぎと夢現
「ご主人様……失礼します」
深夜、ベッドで
僕の私室を訪れたのはうさぎの長い耳と丸い尻尾をもつ黒兎の獣人ラパーナ。
華奢で細い首を僕の奴隷の証である黒い首輪が覆い、身に纏うのは街に繰り出した際に購入したラパーナの黒い髪色とも合う紫のネグリジェ。
「遅かったな。」
「…………はい」
暗闇の中にあってラパーナの声には警戒が色濃く表れていた。
これから起こることを想像し、硬く心を閉ざしているのがわかる。
「……どうした? 気が乗らないようだな」
「…………」
「さあ、こっちに来い」
重い足取りで僕に近づいてくるラパーナ。
静かな室内に彼女の足音だけが響く。
「隣に座れ」
「…………はい」
ラパーナの体重に天蓋付きのベッドが軋む。
軽いな、少ししか沈まない。
「……遠いな」
彼女は僕の手がギリギリ届かない範囲に腰掛けた。
それはせめてもの抵抗か、無意識の所業か。
なんにせよ彼女の不安が顕在化した行動だった。
僕への嫌悪が彼女にそう行動させていた。
「まあいい……」
「…………」
「ラパーナ……寝るぞ」
「寝る?」
「何を呆けているんだ? 君を呼んだのは添い寝して貰おうと思っただけだ」
「え……あ……添い寝だけ……ですか?」
「フ、何だと思ったんだ? 僕が子供に手を出すとでも思ったのか? 眠るだけだよ。ああ、それとも抱き枕にでもなってくれるのか?」
「っ!?」
「冗談だ。さ、明かりを弱めるぞ」
ベッド脇で室内を照らしていた
背を向けて寝転んだ僕の隣に、モゾモゾとラパーナが移動するのがわかる。
「おやすみ、ラパーナ」
「……はい、おやすみなさい、ご主人様……」
静かな部屋にラパーナの荒く小さい呼吸音だけが響いていた。
やがて時間と共にそれも落ち着いていく。
室内には互いの息の吐く音だけが聞こえていた。
落ちる。
無防備な姿に。
人が、いや、僕が最も油断するだろう時間。
さて、そろそろかな。
「ぐぅぅ……あぁ!! ………カ、ハ………!!」
寝室に苦しげに喚く声。
まるで悲願を遂げられなかった獣の雄叫びのようだ。
跪き、首元を掻き毟る彼女を僕は見下ろす。
「苦しいか、ラパーナ。僕を殺そうとした報いを受けた気分はどうだ?」
奴隷の首輪は意に反した行動を取らせることが可能だ。
奴隷は首輪の基本契約に沿ってしか行動できない。
逆らえば奴隷には罰が与えられる。
今回ラパーナは僕の首を締めた。
主を殺害する行為は契約に反する。
よって罰としてラパーナの首輪は締まり、彼女は息もできずに苦しんでいた。
悔しさに口は歪み、目の端には涙を浮かべ、くぐもった声は……助けを求めていた。
「【許す】」
「ハァッ、ハッ、ハッ、ハッ……はぁ……ぁ……フゥー……フゥー……」
首輪の罰は永遠には続かない。
首輪は奴隷を気絶寸前程度まで締め上げる。
殺しはしないのがなんとも無情だ。
奴隷は奴隷のまま、死すら自由にならない。
ラパーナの仕出かしたことは本来なら許されないことだ。
主への反抗など最も禁忌な行い。
しかし、今回は僕が彼女をワザと追い詰めたのだから許すのは当然だった。
ようやく罰から解放され、落ち着いた呼吸に戻ってきたラパーナ。
彼女は頬に涙の跡が残るまま僕を見上げ睨みつける。
そこには明確な敵意があった。
「ぐぅっ……何故、罰を……途中で……?」
「ラパーナ……お前の考えていることぐらいわかるつもりだ。寝室に誘えば必ずお前は僕を害すると思った。いや、お前がもう耐えられないとわかっていた。だからここに呼んだんだ」
「わかっていながら……何故? わたしがどんな思いでこんなことをしたとっ……くっ……」
信じられないと顔を伏せるラパーナ。
だがいましかなかった。
いまでしか彼女は本心を明らかにしてくれないとわかっていた。
僕と彼女、一切の邪魔のないたった二人でしか話せないこの空間でないと。
……彼女の敵は僕だけではないのだから。
「だが、そうだな。もし言いたいことがあるならいま聞こう。まだ夜は長いからな」
「話を聞く? いまさら? わたしがどれだけ泣き叫んでもあなたは殴ることを、傷つけることをやめなかったのに!!」
「そうだな、
「転生? 別人? クリス姉もヒルデ姉も騙されてる! そんなことであなたのしたことが許される訳ない! 許されるはずない! わたしは、許さない! だって、ずっと……全部……覚えてるんだから」
彼女は真実を語っていた。
ヴァニタスは彼女に暴力を振るった。
横暴に振る舞い、理不尽な所業を見せつけた。
それは彼女本来の明るい性格を歪めてしまうほどの強烈な出来事。
内心はともかく喜々として他者を害するヴァニタスに彼女は恐怖した。
そしていま、僕の目の前で彼女は涙を流し訴えている。
許されるはずがないと隠されていた本心すべてを
不条理な現実に苦しむ一人の女の子だった。
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