第二十六話 本当の名と有用な情報


「で? 結局アタシは何を見させられてんだい?」


 呆れ顔で僕に抱き着いたままのクリスティナを眺めるこの店の主シュカ。

 まあな、彼女からすれば急に昔の客が訪れたと思ったら、目の前で奇妙な寸劇でも始まった気分なのだろう。


 それでも僕たちのやり取りに最後まで口を挟まないでいてくれたのには感謝してもいいが。


「呆れたよ、アンタたち。アタシの店でナニを乳繰り合っているんだい? 痴話喧嘩ちわげんかでもやりたいなら他所でやっておくれよ」

「な!? 乳繰りっ、私は別にそんな不埒なことはっ!?」

「ああ、悪いな。この場所でないと嫌だったんだ。すべてのはじまりの場所でないと。だが構わないだろ? 僕とクリスティナの主従の絆が深まるところが特等席で見れたんだ」

「はぁ……アタシには我が侭な坊っちゃんが駄々捏ねてるようにしか見えなかったけどねぇ」


 肩を竦めて艶めかしい口から輪になった煙を吐き出すシュカ。

 しかし、その妖艶な流し目で僕たちを注視していたのは見逃していないぞ。


「しかし、ホント悪い御主人様だよ。ヴァニタス坊っちゃんは。ここにクリスを連れてきたのもこの娘が奴隷だと強く思い出させるためもあったんだろう? だからアタシと会話させて危機感を煽った。このアタシを出汁に使ってくれるとは小賢しいったらありゃしない」

「いいのか? そんな横柄な口を聞いて。こう見えて僕は侯爵家嫡男だぞ」

「ハッ、このシュカ様に怖いものがあるとでも? 貴族の坊っちゃん如きに怖気づく女じゃないよ、アタシはっ!」

「フ、そうか」

「はぁ……調子が狂うねぇ。いまの挑発程度じゃ欠片も怒りゃしない。こりゃ本当にヴァニタス・リンドブルムは変わっちまったらしい」


 最近の僕の噂でも聞いたのか?

 まあ、彼女はリンドブルム領で最大手の奴隷商人。

 情報網もそれなりにあるだろう。

 何せ、過去にクリスティナを自分から購入した顧客であり、少し突付けばコロリと落ちそうな侯爵家の息子だ。

 何かに利用出来ると考えていたのだろう。


 僕相手では無理だけどな。


「で? クリス、アンタの愛しの御主人様の提案は結局どうするんだい? 受けるのかい?」

「それは……」

「ああ、クリスティナ。基本契約の変更は君がしてもいいと思った時で構わないぞ。それまでは僕の背中を見て主に相応しいかどうか判断すればいい」

「そのような……よろしいのですか?」

「ああ、遠からず君は僕に申し出ることになる『私のすべてを貴方様に委ねます』とね」

「はぁ〜あ、何なんだろうねぇ。その根拠のない自信。これが若さかねぇ。ああでもクリスにはこれぐらいが丁度いいのか。あのだらけきった顔……すっかりとその気になっちまってまぁ」


 前までより確実に熱っぽい眼差しをくれるクリスティナ。

 フフ、これは僕の申し出を受け入れてくれる日も近いかな。

 ならなおのこと僕も己を鍛え、彼女に相応しい主になる必要がある。

 おっと『彼女たち』だな。


「ではシュカ、その時は頼むぞ。クリスティナと僕の契約を取り持つのはお前しかいない」

「はいはい、頼りにしてくれるのはありがたいけどねぇ。それってアタシである必要あるのかい? またヴァニタス坊っちゃんに失礼な態度を取るかもしれないよ」

「ああ、楽しみにしてる」

「っ〜〜〜〜、こいつ、ホンっトに小生意気だねぇ」


 眉間に皺を寄せ、睨みつけてくるシュカ。

 しかし、僕は彼女を苛立ちを受け流しつつ、ここに来た目的のもう一つを伝える。

 

「シュカ」

「……なんだい」

「頼りにしてばかりではなんだ。お前にも有用な情報を与えよう」

「ナニ?」


 シュカ、いまでこそ奴隷商人に身をやつしているが僕は知っているぞ。


 彼女の本当の名は朱夏シュカ

 帝国から東、とある国の大貴族の娘が遠い帝国まで落ち延びて奴隷商人として大成したのだと。


 非合法な組織を渡り歩き、裏切りと混乱の果てにこの地に辿り着いた。

 そして、消えぬ後悔を宿した彼女はこれから新天地を目指すことになる。


「君はこれから帝都に手を伸ばそうと考えているだろうが、ある奴隷商人が所持する奴隷がいる。――――名をクレア。町娘のような名前だが、容姿は端麗であり、鮮やかなくれないの髪に黄金の双眸そうぼうを備えた少女。彼女なら君の審美眼にもかなうだろう」

「へぇ〜、面白いじゃないか。……で? その娘もヴァニタス坊っちゃんの奴隷にするつもりかい。クリスのように」

「無論だ。勿論見合った金額を出そう」

「フフ、な〜んでそんなことを貴族の坊っちゃんが知ってるのかはこの際聞かないでおいてあげるよ。でも、それがホントならクレアという娘、是非とも一度手に入れたいもんだねぇ」


 上機嫌に口の端を釣り上げるシュカ。

 まだ見ぬ美しい奴隷に彼女の興味は多いに注がれていた。


 そうだ、帝都には彼女がいる。

 麗しき吸血鬼ヴァンパイアの姫。

 絶望から奴隷へと身を落とすことをよしとした悲劇の少女。


 シンクレア・アーバンブライトが。






「さて、これで街に繰り出した用件は済んだ。あとは繁華街でも適当に彷徨うろついてから帰るぞ」

「はい、主様!」

「…………」

「帰る! 違った! 遊んで帰る!」


 だが、帰り道事件は起きた。


 取るに足らない些細な事件だが、ある者に取っては不幸な事件。











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