第109話 バフォメットの意思

 マリダのその慈愛に満ちた声色は、聖職者である……それだけではなかったと後に一行は思うこととなる。

 それは、覚悟でもあり希望を紡ぐ声の色。


 だからこそ、起こった奇跡―――。

 後に、悪魔である黒い猫は、これを見ている若月にそう伝えたのである。


 ※ ※ ※


 小屋の中は、異様な空間の歪に支配されていた。

 領主の息子ラスルトの異常なまでの行動と、そして恐らくは誰にも理解されないであろう自らを殺めるという狂気。それによって現れた『ネクロテイマー ゼアス・ピオン』。


 その2年以上前から繋がってきた、この事件の黒幕達。


 それが、白日となった今起こっているこの状況に、外で繰り広げられていた『チームみたらし団子』の絆での戦いや、『バフォメット』との戦いを通じて分かり合った高揚感とは、ある意味「真逆」の歪んだ感覚が、彼の登場と共に、この空間には充満していた。


 「ジアス・ピオン」という、この物語で要所要所で出てきたクズ野郎が、死んでいるとさらっと話すその弟『ジアス・ピオン』は、その事実を伝えた後に、ノーモーションからの攻撃を小屋にいる面々に行う。


 その攻撃には、明確な殺意を感じず、ただただ邪魔な虫けらを「ぷちっ」と潰すような他愛のない行為のようで、少なくともこの中で一番弱い丈二は、黒猫が助けなければ死んでいただろう。


「同じ悪魔でも、戦闘に酔っているタイプではないようですね。このような悪魔もいるのですか、面白いですね。」

 ジアスは、黒猫を見ながら微笑んでいる。


「ふんにょ。気持ち悪いにょ。どの悪魔も好戦的で悪意を持っているわけではないにょ。」

 黒猫は、心底嫌そうな表情をして、前足で左の眼の上を撫でる。


「おや? おやおや?」

 ジアスの右手が床に切り落とされたかに見えた。


 だが、切り落とされたのはジアスの前に居たのであろう者の手。

 ぽとりと落ちた手の元の位置……その者の右手があった場所から、徐々にその姿が見えてくる。


《透明化……ですね。あれが出来るものは稀だと思いますし、悲鳴を上げないということは、恐らくは……。》


《はい。死体なのでしょうね。ネクロテイマーのテイムされた何か。》


 サニーの言葉に、丈二もその答えに気が付いていることを伝え返す。


「何かがいるのは、分かっていたにょ。そしえまだ居ることもにょ。」

 黒猫が尻尾を振ると、黒い霧がゼアスの周りを覆居尽くす。


 現れる生気のない人間、そしてその後ろで、それらを透明化していたであろう、カメレオンに似たような魔物。


「ふむ。本当に面白い猫の悪魔ですね。だけど、邪魔をしないで欲しいな。僕は自分のするべきこと進めるとします。 あ。そいつらは、お互いを助け合いながら僕を守るから厄介ですよ? 頑張って!」


 ゼアスはそう言うと、不敵にも丈二達に背を向けて、自分が自害したとされる椅子の位置まで歩き進める。

 その隙……というか、彼の次の行動を当然見逃せない一同は、一斉に攻撃を仕掛ける。


 サニーは、氷魔法を全力で放つし、丈二も土魔法でジアスの動きを封じようとする。

 黒猫も先程飛ばした黒い霧を、鋭利な釜のようにしてジアスにぶつける。


 が、彼の言った通り2人の死人とカメレオンのような魔物は彼を守る。

 しかも、いとも簡単に……である。


「なぁ。こいつレベルが違わないか?」

 丈二が、黒猫に聞く。


「確かに強いみたいにょ。でも、僕程ではないにょ。」

「それなら、殲滅はお前に任せるよ。俺とサニーさんでバックアップする。それと……。」


「そうね。あの死人達をしっかり女神さまの元に返してあげないとね。分かっているわ。」

 マリダ婆さんが杖を握り、マナを込める。


 ◇


 満足そうな顔をして消えていったバフォメットの意思は、2つの遺棄場所に戻る選択肢があった。


 ひとつは、小屋の下に実はある自分の心臓とも言えるコアが封印されている場所。

 もうひとつは、死の廃墟にあるダンジョンの中で封印されている本体。


 この意志だけは、どういう訳か封印を抜けられる。

 そしてバラバラに分けられている自分の一部に戻ることで、その中に意志を持って留まることができる。

 正確にいうと、その各々に意志があり、その何方かと意志を統合させることが出来る。


 さて、自分はどちらから生まれた意志であっただろうか……。

 戦いを堪能し、彼らとの再戦を夢見るその意志は、その再戦の可能性がある方に戻ろうかと深く考え込み、そして気が付く……。

 


 まてよ? この感じは、あの男ラスルトの気配がない。

 今あるのは、あの忌々しいゼアス・ピオンなるネクロテイマー。


 ああ、そうだ。あれがあの小屋で俺を呼んだのであった……。


 自分の血をシャワーのように撒き散らし、先程までの憑代であった実の兄から血を補給して、寵愛していたのかされていたのか、その儀式を繰り返すために、治療を施してくれたあの男ラスルトとの情事に溺れ、そこで得た体液さえも贄にして、完全に小屋の床下に封印されているあの場所へそれを届けたのだ。


 そして俺は、コアの意志から分裂し、奴らの前に現れた。

 いや正確には、悪魔に憧れ、思い入れを持ったジアスの兄、ゼアスの元に俺を降臨させたのだ。


 その時は小さな力でしかなかったが、ゼアスとラスルトは、俺のその力と意志をジアスの中で育んだ。

 ジアスは、自分を歪んで見せ、馬鹿でクズでどうしようもない奴であったし、それを人の心に植え付ける自虐的なスキルを持っていたのが幸いして、小物として扱われ、危険を冒すことなく俺を育む隠れ蓑にした。


 そこで、意志の分裂を3度した俺は、一度ジアスの中で眠り込む。


 あぁそうだ。分裂したもう3つの意志。

 ひとつは恐らく先程小屋への決壊で消滅したあれだな。

 その前に、俺が眠り込んでいたときのジアスの体……心の臓にもうひとつ、新たな意思を育むために植え付けられていたようだな。


 つい最近までの話であろう……少しだけ残留思念のようなものが残っていた。

 そして、憑代として生かされていたジアスをラスルトが先日殺し、眠っていた俺が目覚め……。


 そうか、ゼアスが死んだ兄をネクロテイマーの技で死人として復活させたのだった。

 そこに俺が意志のない死人を乗っ取り……。


 そこからの記憶は鮮明だ。

 たまらない戦いであった。


 それなら、何時かの再戦の為にも戻るべきは本体か―――。


 バフォメットの長い長い考察が、一定の結論をだそうとした時、

 彼はふと気が付く。


 『もうひとつの彼の意志は何処にあるのだ?』 と。


 その気が付きが、その悪魔の叡智を呼び起こす。


 ネクロテイマー! そうか、あいつは……。

 まずいぞ、戻るのはコアの方! 戻らなければ、あの甘未な戦いを再び味わうことが出来なくなるではないか―――。


 バフォメットの意思は、行き先の思いを変え、間に合えと願い、「小屋の床下に封印されている自分のコア」に向けて急ぐ。

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