015. 事態急変

ついにドルファ研究所襲撃の日が明後日に迫っていた。


ティーシャとヒースはお互いを睨み合う。お互いが槍を握りしめて構えている。ジリジリと間合いを詰めていき、攻撃の機会を窺っている。


四方を高い木が囲んでいる。風に揺れる葉の音が徐々に消えていく。葉の揺れが遅くなっていくように感じる。間合いを詰める時の砂利を引く音すらも聞こえなくなってくる。


二人は止まった。



そして、二人はほぼ同時に動き出した。一瞬出遅れたヒースはティーシャの攻撃をなんとか回避した。その後、体勢を立て直してヒースも負けじと攻撃する。


槍が交差すると火花が上がった。土煙が広がり、交差する時の金属音が山の中で鳴り響いている。


ティーシャは飛んで木に足をつけると、そのまま蹴り出してヒースに向かって攻撃してくる。


「うわっ!」


ヒースはその攻撃を受けるが、ティーシャがヒースに馬乗りになった。そして、ヒースは倒れ込む。ティーシャが槍を持ち替え、柄頭でヒースのおでこを打った。


「はい、これで私の勝ち」


ティーシャは立ち上がった。ヒースは赤くなったおでこを押さえている。


「いったー!」


ヒースの目にはうっすらと涙が浮かんでいた。


「動きは実戦的になってきたけど、まだまだね。なんかこう、人を傷つけたくないような気持ちが伝わってくる」


ティーシャの言葉にヒースは俯いた。その通りだったからだ。


「なんだか、人を傷つけることが怖いんだ。もし本当に槍を刺して血が出たら、そのせいでその人は死ぬかもしれない。……どうしても人を殺したくないんだ」


ヒースの言葉に、ティーシャは鋭く質問する。


「なぜ?ヒースが殺されるかもしれないのに?」


「……殺すことが、怖いんだ」


ヒースはマメが潰れて赤くなっている手を見ながら言った。ヒリヒリと痛むのは努力の証だ。


「なによそれ」


ティーシャは呆れたように言った。大きく一つため息をした。


「ヒース。悪いことは言わない。あなたはRBを出て行った方が良い。これは私からの提案。あなたに反逆者は似合わないよ」


ヒースは顔を上げた。


「待ってよ!なんでそうなるんだよ!」


悲壮な顔をするヒースに対して、ティーシャは冷たい眼差しを向ける。


「人を殺さなければならないときは必ず来る。反逆者ならね。でも、ヒースはそれができない。そんな平和ボケした人はすぐ死んじゃうよ」


「……そんな……」


ヒースは再び俯いた。その様子を見てティーシャはまた大きなため息を一つする。


「ヒースを見てると、私の気分も下がるのよ。そんな理想で自分ならまだしも、RBのみんなに迷惑かけちゃったらどうするの?あなたのせいで誰かがいなくなったらどうするの?


……早くいなくなって」


この言葉はあまりにもヒースにとって大きな傷となった。ヒースは悔しさのあまり歯を食いしばる。


「黙るのね。まぁ、いいわ。私からライアンに伝えておく。だからドルファ研究所襲撃には参加しないこと。あと、私たちは襲撃中にアジトを開ける。その間に実家に帰っていなさい」


ティーシャはそれだけ言い残してアジトの方へと帰って行った。ヒースは顔を上げず、ティーシャの足音が遠ざかっていくのをただ聞いていた。


そして、拳を地面に叩きつけた。


そんなこと分かってる。人を殺さずにいられないことくらいヒースにだって分かっていた。しかし、ヒースは怖いのだ。


人を殺すことは確かに怖い。だが、それよりも怖いのは、人殺しになってしまった自分自身だ。だから、ヒースは槍を持った時も、思いっきり振ることはできない。


実際、ヒースの目を駆使すれば、槍での近接戦はそんなに苦労しない。相手の攻撃も理解できるし、それに反応して反撃することだって可能だ。それに、命を奪うことだって──。


ヒースは涙を流した。


「くそ!最近ティーシャが暗かった理由って、平和ボケした俺がRBに入ったからだったのかよ!」


悔しさで、ヒースは何度も何度も拳を地面に叩きつけた。





「ティーシャがそんな事を言ってきたのか……」


アジトの外にある銃の狙撃練習場でロバートとヒースは話していた。


「うん」


ロバートが一発放つと、森の中に乾いた銃弾の音が響いた。


ヒースにとって、近くも遠くもなく、兄貴的な頼れるロバートにヒースはさっきティーシャに言われた事を相談していた。ヒース的にはかなりショックな出来事だったのだ。


「……あんまり、ティーシャらしくないよね。俺がティーシャからこんなこと言われるなんて思わなかったよ」


ロバートも銃を置き、顎に手を当てて考えた。


「確かに、ティーシャが言いそうなセリフではないよなー。なんかとてもヒースを遠ざけたいって感じがひしひしと伝わってくるな」


ヒースは俯いていた。


「俺が平和ボケした子供だから、遠ざけようとしてるし、避けてるし、冷たいんだね……。それが今まで暗かった原因だった」


あまりにもショックを受けているヒースの姿を見てロバートは苦笑いする。


「ま、まぁ、そんなに気にするなよ。多分だけど、ヒースをこのチームから追い出すことはないと思う。ライアンが認めた仲間だ。そう簡単には追い出さないさ、リーダーが決める事だからね」


ロバートは背中を優しく叩いた。


「ほんと?」


ヒースは涙ぐんだ目をロバートに向けた。


「本当だ」


ロバートはゆっくり頷いた。


「こんな流れで悪いけど、ヒース、狙撃訓練してみろよ。もしもの時のために、銃は使える方が良い。さっきまで俺が撃ってたの見てただろう?真似してやってみろ。俺は戦闘時は銃を使う、銃使いだ。だから大抵のことは教えられる」


ロバートは机に置いておいた銃をヒースに手渡した。ヒースはそれを数秒眺めた後、立ち上がった。


移動して、射撃ポイントに立った。


数メートル先に人の絵が描かれた木の板が立っている。心臓に近いほど点数が高くなっている的だ。


ヒースはそれに銃口を向けた。引き金を引くために指を掛ける。


じっと的を眺める。心臓にかけて点数が高くなっている。それは当たり前のことだ。急所に近いほど、少ない弾丸で高確率で殺せるのだから。


重い銃を両手で持つ。ゆっくりと狙いを定める。


すると、心から、胸の奥深くから重たい何かが湧き上がってくる。それが体全体を支配していく。


その時に頭にフラッシュバックする光景がある。死んだガルダとリリーのヒースに向けられた日常の笑顔や、二人が死んでしまった時の光景。二人が倒れ、地面には赤い血が流れている。


俺の手はまだ汚れていない。だが、人を殺してしまった俺はまた笑えるだろうか?ガルダとリリーに再開した時、俺はまた笑えるだろうか?胸を張れるだろうか?たとえ、殺した人が極悪人でも、笑えるだろうか?


そんな事を考えていると、俺はまた人を殺す決断をするとこができなくなる。


両肩の力が抜けて、銃を下ろした。ヒースは俯いていた。


「……ごめん、ロバート。俺……やっぱりできない。人殺しはできない」


ヒースは歯を食いしばった。分かっているんだ。こんな甘ったれた理想が通用しないことくらい。分かっているけど、ヒースは人を殺してしまった自分と一緒に人生を送ることができない。


人を殺した自分を愛することはできない。


「……そっか。まぁ、それでも良い。ヒースが誰も殺さなくてもみんなを守れるくらい強くなれば済む話だ。大丈夫だ、ヒース」


ロバートは優しく声をかけてくれた。もうヒースの心は立ち上がった。これ以上、弱いところは見せられない。


「ごめん、ロバート。本当にありがとう」


「良いんだよ。さぁ!帰ろうか」


二人はアジトへと帰り始めた。気づいたら夜になっていた。ここからアジトまでは徒歩五分くらいと言ったところか。


「星が綺麗だなー」


ロバートは上を見上げながら言った。森の中だが、葉の隙間から無数の星の光が溢れていた。圧巻の景色で、空へと吸い込まれそうな気分になる。


「ティーシャはオーロラを見るのが夢らしいんだ」


ヒースも上を見上げながら言った。


「オーロラ?それがティーシャの夢?初めて聞いたぜ」


「えっ?ロバート知らないの?」


ヒースはロバートの顔を見た。


「知らないなぁ。聞いたことないし、言ってくれたこともない」


「そうなんだ……。ちなみに、オーロラっていうのは炎のカーテンみたいなもので、それが夜空に浮かび上がるんだ。それは一部の地方でしか見られなくてね、とっても綺麗なんだ」


ロバートはヒースの目を見た。


「えっ!?その、オーロラって言うのを見たことあるのか?」


「ティーシャの夢の中でね」


ヒースは笑っているが、ロバートは驚いている様子だった。


「ティーシャが意識を共有させたのか?」


「うん。そうだけど……どうしたの?そんなに驚いて」


ロバートはあたふたとしながら話した。


「いいか?他人と意識を共有するっていうことはそれなりの信頼があるとできないことだ。自分を他人に曝け出すってことだからな。相当信頼されていないとそれはできないな」


ヒースは笑っていた。


「違うよ。あれは作戦だったんだ。俺が裏切っていることに気づかれないように意識の中に誘導して、ライアンたちに拘束させたんだ。そこまでして俺の一億が欲しかっただけだろう。結局は俺がRBに入ったら、失敗したんだけどね」


ロバートは笑いながらも寂しそうなヒースの表情を黙って見つめた。


「でも、ヒース。これだけは言える。意識を共有させることも、夢を語ることも、信頼してるからこそするものだ。ティーシャは少なくとも、ヒースのことを悪く思ってるとはやっぱり思えないぜ。もしかしたら、ティーシャにも何か意図があるのかもな」


ロバートの言葉を聞いて、ヒースは苦笑いした。


「意図ってなんだよ?」


アジトが見えてきた。ロバートの会話もこれで一旦終わりだ。


ヒースは考えていた。


ロバートの言葉を信じるならば、なんで俺にだけあの夢を語り、意識を共有させてまでオーロラを見せたのか。チームの中でも、俺にしか話していないようだし……。


ロバートの言ってることが正しければ、意識は信頼している人にしか共有しないらしい。じゃあ、やっぱり夢も、夢を語る時の表情も、笑顔も、一緒に過ごした夢の中のことも、嘘じゃないってことだよな。俺は目が良いから表情の変化から大体の感情も分かるし……。


俺はそう信じたい。だってティーシャは俺の初めての仲間で、一番信頼している人だから。


だから、今日のあの言葉は嘘だって思いたい。



「「戻ったよー」」


ロバートとヒースはアジトのドアを開けて同時に言った。


すると、リビングには顔に怪我を負ったピトの姿。そして、何か慌てふためいているライアンとレナーの姿があった。


「何かあったの?」


普段とは違う雰囲気と状況を見たロバートは尋ねた。


ピトは二人の顔を見た瞬間に涙が目からこぼれ落ち始めた。


「ど、どうしよう……??」


「だから、何があった?」


ロバートはピトに近づいてしゃがみ込み、頭を優しく撫でた。ピトは鼻を啜らながらなんとか口を開いた。



「ティーシャが、ティーシャが……連れ去られたの!!!」


ピトはまた大声で泣き始めた。


「え?」


ヒースはピトの言葉を聞いて、思考が止まっていた。

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