272 気分は決着

 そして時は戻り、2020年2月3日月曜日。時刻は17時前。



「私、自分のことがもう何が何だか分からなくなって専門家に聞いてみることにしたの。それで……」

「……え、ええっ?」


 病理学教室の休憩室で、僕はヤミ子先輩からあまりにも重大な話を聞かされていた。



 1月中旬に柳沢君と破局してから彼女の身に目まぐるしく起こった数々の一大イベント。


 ヤミ子先輩は精神科医からアセクシャルとの診断を受け、自分が男性にも女性にも性欲を抱けない人間であると知った。


 柳沢君と関係を修復するのは不可能だと理解した先輩は自分が一番好きな人は誰なのかを考え、その相手は他ならぬ剖良先輩だった。


 ヤミ子先輩と剖良先輩はついに相思相愛になり、これからは恋人同士として生きていく。


 そしてそのために、ヤミ子先輩は柳沢君との関係に決着を付けなければならない。



「……そのアイディアは理解できますけど、柳沢君にどう伝えるんですか? 彼は今大学に出てこなくて音信不通なんですけど」

「うん……だから、白神君に協力して貰えないかと思ってるの。私と柳沢君の共通の男友達って多分白神君しかいないから、巻き込んでしまって悪いけど今回だけはお願い」

「分かりました。僕はヤミ子先輩と剖良先輩の意思を尊重しますから、できるだけのことはやります」

「ありがとう。じゃあ早いうちに柳沢君をどこかに呼び出してくれる?」


 それから2人で相談して、僕は今週の早いうちに柳沢君を喫茶店にでも呼び出してそこでまず僕から話をすることになった。


 しばらく柳沢君の様子を見て問題なければヤミ子先輩もそこに現れ、柳沢君に伝えるべきことを伝える。


 それで彼が満足するかは分からないが、第3者がいる場で話した方が事態はこじれずに済むという考えだった。



「それにしても……ヤミ子先輩がアセクシャルだったって、信じられないようで何となくに落ちます」


 昨年8月の病理学教室基本コース研修の際に僕はヤミ子先輩が見せる何気ない色気にやられてしまっていたが、あの色気は彼女が性欲というものを理解できないからこそ生じたものだったのだろう。



「白神君にはピンと来るのかな? でも、柳沢君はそれを聞いたら余計にショックだと思う。……だから私、嘘をつくから」

「ヤミ子先輩は病理医志望ですし、あまり嘘は好きじゃないでしょう? それでも誰かを守るための嘘なら時には肯定されるべきだと思いますよ」


 緊張している様子の先輩にそう言うと、彼女は黙って頷いた。


 ヤミ子先輩は物事の是非ははっきりと判断する性格だが、それでも他者への配慮は欠かさない人のはずだ。

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