第6話 時代は変わる

 本多忠勝が家康めがけて駆け込んできた。

「殿ーっ!」

「如何した、忠勝!」

「はっ!長篠城の奥平貞昌が再び我らに従うと!」

「おお!」

「ですが、武田軍の一万五千人の攻撃を受けているそうです」

「長篠城の兵数は!?」

「はっ!五百人ほどとの知らせが」

「何!?」

 その頃、長篠城は武田軍からの猛攻撃を受け、火矢を放たれ、兵糧を貯蔵する建物が全焼してしまい、満足に飯も食えていなかった。

「何とか、徳川様の援軍を請うしかない」

 奥平貞昌は、最後の望みとでも言った表情で、家康に当てて手紙を書き、密使に持たせ、岡崎城まで渡そうとした。

 だが、その密使が岡崎城に辿り着く前に武田軍に捕まり、斬殺された。

「誰かに直々に行ってもらうしかない」

 奥平貞昌は、重臣、家臣、何と足軽までも呼び寄せ、誰を使いにするか軍議を開いた。

「私が行きまする!」

 手を上げて大声でそう言ったのは、籠もっていた足軽の一人である鳥居強右衛門であった。

 何と、それを了承された鳥居強右衛門は、その日のうちに城を抜け出し、長篠城近くの川を泳ぎ、山を越え、岡崎城まで辿り着くことに成功した。

「お主、何者じゃ!?」

 その薄汚い服を着た男が来たことに、家康と、偶然軍議に来ていた信長が驚愕した。

「長篠城足軽兵、鳥居強右衛門にございます!」

「長篠城の兵じゃと!?」

「援軍のことか?」

「はっ!」

「わかった。あと三日で行くと貞昌に伝えよ!」

「織田信長のと合わせて三万八千という大軍勢、ともな」

「ありがたき幸せにございます!」

 鳥居強右衛門は、この喜びを直ぐにでも城主である奥平貞昌に伝えたかった。伝えたいあまりに、思わず狼煙を上げてしまった。これが仇となり、武田軍に見つかり、捕らえられた。

「援軍は来ん。諦めて降伏せよ、と奥平に伝えたらお主を高禄で武田家で召し抱えてやる」

 武田勝頼の命令は非情なものであった。

「はっ」

 鳥居強右衛門は渋々承諾した。だが、長篠城の門前に着いて、実行したことは真逆であった。

「援軍は来る!三万八千という大軍勢じゃ!あと三日で来るからそれまで持ちこたえろ!」

 奥平貞昌は歓喜の声をあげた。

 これとは真逆に、武田勝頼は怒り狂った。

「鳥居強右衛門、逆磔」

 鳥居強右衛門は、逆さ磔にされた上に、周囲から滅多刺しにされ、鳥居強右衛門は磔殺された。

「強右衛門の死を無駄にするな!」

 援軍が来ることへの歓喜と、鳥居強右衛門を殺されたことによる武田家への復讐心に燃えた長篠城の城兵の士気は、その日から急激に上がっていき、武田家の攻撃も、ついに通用しなくなっていった。

 武田勝頼の焦りは、武田軍の兵たちにも移り、長篠城兵の攻撃を防御しきれない者、無理な攻撃を仕掛ける者が現れた。

 その頃、岡崎城に一人の男が現れた。

「家康!」

「水野殿!」

「信長様より知らせじゃ。三万の兵、鉄砲隊じゃ!」

「では、我が兵、八千人も合わせれば、武田軍など刃が立たぬまい!」

「おーっ!」

 家康は織田・徳川軍の先鋒として先に長篠城の救援に向かった。

 そこには情報通り、武田軍、一万五千人が待ち構えていた。

「長篠城は元は我が武田の城!織田・徳川の思うようにはさせん!」

「武田信玄が居なくなった今、時代は変わるのじゃ」

「徳川軍、八千か。はははははは!三方ヶ原の戦いと同じ目に遭いたいか!天下の武田の騎馬隊にひれ伏せよ!」

 だが、そこに鉄砲の筒音がした。

「な、何!?」

「三千の銃、三段撃ちでは、天下の武田の騎馬隊も刃が立たぬまい!」

 普段あまり喋ることのない信長が武田軍に向かって大声を張り上げた。

 三万の兵を連れてきた自信であろう。その声には冷静さを帯びていた。

 鉄砲隊の三段撃ちの中で、徳川軍の酒井忠次による背後からの奇襲。武田に勝ち目はなくなった。

「小癪な真似を!うおおおおお!」

 山県昌景の突撃も、鉄砲隊の射撃によって台無しになった。

「よし、この柵さえ壊せばあとは我らのもの。本陣突撃も出来なくはない。こここそ重要な所ぞ!心してかかれぇ!」

 武田四天王の土屋昌続が織田・徳川連合軍の柵めがけて突進して行った。

「な、何と!?」

 土屋昌続が柵に到着した頃には、もう蛻の殻であった。

 そこに、連合軍による三段撃ちが命中した。

「お、御館、様・・・」

 武田の本陣には、訃報が何件も入ってきた。

「土屋昌続様、土屋貞綱様、お討死!」

「真田昌輝様、並びに真田信綱様、お討死!」

「山県昌景様、山県昌次様、お討死!」

「内藤昌豊様、お討死!」

「原昌胤様、お討死!」

「甘利信康様、お討死!」

「勝頼様、お逃げくだされ!貴方様が討ち取られたら武田軍の負けじゃ!さあ!」

 馬場信春が、武田勝頼に対し、自分が命がけで殿をやると言い出した。

「命がけじゃぞ!?」

「無数の鉄砲を向けられている時点で、命がけでございまする!」

「馬場、すまぬ!」

 馬場信春は、背後からの酒井忠次軍、正面切って攻撃してきた徳川本軍の攻撃により滅多刺しにされた。

「神よ!仏よ!武田家をお守りくだされ!」

「馬場信春め、武田勝頼を逃したか。現当主の父である信玄には肝を冷やされた。その天罰じゃ!武田を討て!」

 信長はそう言うと、一件落着と言わんばかりに近江国へと撤退して行った。

「武田家臣団による、命がけの殿。あの、三方ヶ原での夏目吉信、本多忠真らを思い出す。共に、惜しい男たちを亡くした」

 家康は手を合わせ、長篠設楽原で討ち取られた武田家臣団の冥福を祈った。

 だが、長篠合戦で織田家と共に勝利を収めた徳川家に激震が走った。

「殿、某、別の大名に仕官したい所存にございます」

 本多正重が出奔すると家康に告げたのである。

「今のままでは、織田信長殿が天下を取る勢い。殿の元に居ては、出世は叶いませぬ」

「言わせておけば!」

 自分を侮辱された家康は、思わず本多正重の胸ぐらを掴んだ。

「某は既に死んでおります!」

「何!?」

「三河一向一揆の折に殿に刃を向けたときから、この命、無かった筈。しかしながら、殿が拾ってくださった」

「ならば!」

「もう、本多正重は死んだ者として徳川家から捨ててくだされ。しかし、某が必ず、殿に御恩を報いまする」

「もしやお前、間者となる気か?」

「今は織田信長殿が天下を取る勢い。いくら殿が信長殿と同盟を結んでいようと、あの勢いには勝てませぬ」

「儂がまだ嘴が黄色いような言い方をしおって!」

「この命、お使いください」

「相分かった。徳川家を出奔して、織田家でも何処でも行ってしまえ!」

「有難き幸せ」

 こうして、本多正重は徳川家を出奔し、浪人となった。その直後、織田四天王の一人である滝川一益に仕え、数々の戦で活躍、有言実行した。その翌年のことであった。

「家康、助けてくれ!信長様に命を狙われてるのだ!」

「武田家の家臣、秋山虎繁の岩村城を攻める際に、その武田方に兵糧を調達した、と?」

「な、何故それを!?」

「伯父上、信長殿を侮ってはなりませぬ。既に儂の元にも信長殿からの水野信元追討の書状が届いておりまする」

「仕方ねえじゃねえか。子の命を奪わぬ代わりに」

「今は戦国の世。信長殿は裏切りを許すお方ではない」

「しかし、岩村城は元はと言えば織田の城。そして、落城の際に秋山の妻となったおつやの方は信長様の叔母だ!」

「信長殿から見たら、それも裏切りにございまする」

「家康。お前も気をつけろ。同盟を組んでいるとはいえ、家臣ではない。家臣でない者が一番気をつけねばならぬ。家臣である俺でもこのざまだ。今度は、俺の一族であるお前の番やもしれねぇぞ!」

「しかと、肝に銘じまする」

「さらばだ、家康」

 その翌日のことであった。

「兄上!兄上!」

 於大が冷や汗をかきながら走ってきた。

「母上?どうかなされましたか?」

「兄上が遠くに行ってしまう夢を見たのじゃ!」

「母上、それほどに兄が忘れられぬのですな」

「何じゃと?」

「母上、落ち着いて聞いてくだされ。伯父上、水野信元殿は、我が菩提寺、大樹寺にて命を落としました」

「何じゃと!?」

「武田家との、内通を疑われたのでございます」

「兄上がそのような。竹千代、何故教えてくれなんだ?」

「今は戦国の世。隙あらば、命を奪われまする!」

「それが戦国の世の習いと申されるのか!?竹千代、信長殿とでも構わぬ!太平の世を!どうか太平の世を築いてくだされ!」

「承知いたしました」

 水野信元は、六十歳の生涯を閉じた。

 その六年後、信長が本格的に武田征伐を始めた。

 家康も信長と同時進行で出陣し、人質時代を過ごし、武田家のものである駿府城を落城させ、城主であった穴山信君、武将として籠もっていた岡部正綱を降伏させた。

 その頃、織田家の滝川一益が天目山まで武田勝頼を追い詰めたという知らせが家康の元に届いた。

 後日、武田勝頼が討ち取られたという知らせが来ないで、駿府城に武田勝頼の首だけが届いた。

「若さ故の過ちでありましたな」

 こうして、武田家は滅亡した。

 同年、信長から次のような誘いが来た。

「家康、うちの光秀が饗応役をする。儂の安土城に挨拶に来るついでに堺見物に来ないか?」

「御意」

 家康は、武田征伐の駿府城攻めの際に降伏させた穴山信君、徳川四天王の一人である本多忠勝、伊賀忍者の服部半蔵を連れ、安土城に向かった。

「家康殿。ようこそおいでくださった。いやあ、駿河国から近江国へはるばると」

「いえいえ、駿河国から来れましたのも信長殿が駿河国を拝領してくださったお陰でござる」

 家康は敢えて駿河国から、という言葉を強調した。

「いやあ、遠国から大儀であった。光秀、料理を出してやれ」

「はっ!」

 信長は重臣である明智光秀を呼んだ。

「家康殿は魚が好きと聞いていた故な、光秀に魚料理を作らせたのだ」

「いやあ、光秀殿。かたじけない」

 家康は魚を一口、口にした。

「うげえっ!」

 家康はあまりの不味さに口に入れた魚を吐き出してしまった。

「家康殿!?儂も食おう」

 信長は、口に入れた魚を明智光秀の顔面めがけて吐き出すと、明智光秀に対して折檻を始めた。

「光秀!お主、客人に対して腐った魚を出すとは何事ぞ!まさかお主、家康の料理に毒でも盛ったか!?織田の家臣の恥さらしめ!」

 明智光秀は黙ってその部屋を出ていくと、安土城の堀、勿論水の中に料理を捨てていった。

「家康殿、すまなかった。光秀は解任する故、家康殿は堺にてゆるりとしてなされよ」

「有難き幸せにござる」

 家康は、堺に行くと、自分の城下町にも取り入れようと、城下町の商売の様子を見物した。

「全ての物に税がかけられておらぬ。これは一体どういうわけか」

 本多忠勝が疑問を口にした。

「亡き今川義元公も取り入れておった楽市楽座じゃ。こうすることで市場から入ってくる税は減るが、商人が儲けた分から税を取り立てることで、目に見えぬ金は数倍に増える。こうして強くなっていく。しかも、商人も税がかかる関所よりかからない関所を選ぶからな。ともなれば、損して得取れ、というやつじゃな」

「なるほど!」

「儂の城下町でも取り入れたいものよ」

 そこに、一人の男が駆け込んできた。

「家康殿ーっ!」

「何奴!?」

「茶屋四郎次郎でございまする」

「何か用か」

「訃報にございまする!」

「何じゃ!?何があったのじゃ!?」

「はっ!申し上げます!明智日向守光秀殿ご謀反!織田前右大臣信長様は本能寺にて、信長様のご嫡男、織田左近衛中将信忠様は二条御所にてお討死との知らせにございます!」

「何じゃと!?」

 その男は、大事件を告げると、来た方向に去っていった。

「殿、いかが致しましょう!?」

「天下人とも言われておった信長殿がお討死されたとあれば、再び天下は荒れますぞ!」

「決めた!儂は信長殿の後を追う!」

「何ですと!?」

「殿、なりませぬ!織田家との同盟を守り切るのであれば、後を追って死ぬよりも逆賊である明智光秀を討って天下を泰平に導くことこそ同盟を守り切ることかと思います!」

 本多忠勝が必死に家康を説得した。

「しかしだな!」

「殿、大樹寺にて登誉上人に教わった厭離穢土欣求浄土をお忘れですか!旗印に書いた文字をお忘れですか!」

 服部半蔵が本多忠勝の意見に同調し、家康を説得し始めた。

「殿、このまま此処に居っても危険があるだけでございます!拙者は伊賀忍者の出身故、この辺りの地形はよく知っております!伊賀を案内致しますので、本領である遠江に戻り、軍勢を整えて、光秀めを討ち取るのが信長殿との同盟を守ることでございます!織田家との同盟の条件は織田は徳川を助け、徳川は織田を助ける、というものでございます!三方ヶ原で完膚無きまでに我らを叩きのめした武田を、長篠の戦い、天目山の戦いで滅ぼしてくれたではありませぬか!今こそ、それに恩返しするときでございます!」

「わかった。儂は遠江に撤退し、軍を整え、逆賊明智日向守を討つ!堺見物をしている場合ではない!帰るぞ!半蔵、伊賀国の案内を頼む」

「はっ!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

徳川家康物語 DECADE @kanetsugukunsengokunabe

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る