第5話 生涯唯一の失敗
「待って居ったぞ」
三方ヶ原に進んできた家康、酒井忠次、本多忠勝、本多忠真は信玄が待ち構えていることに驚いた。
「祝田の坂を降りていたのではなかったのか!?」
「終わったな、徳川家康!ここがお主の墓場じゃ!」
武田信玄が強者の余裕を徳川軍に見せつけた。
「ご注進!目前に武田の総勢、二万八千!」
こう言いながら、榊原康政が徳川軍の本陣に駆け込んできた。
「あんだと、武田の本軍が正面切ってこちらに向かってくるたぁな」
水野信元が癖である舌打ちを打った。
「なんてことだ。奇襲をかけるはずが、嵌められた!」
「もはや引き返せん!皆の者!進め!」
「おーっ!」
こうして、武田の大軍に向かっていくものの、勝ち目がないことは家康にもわかっていた。
だが、こうして信玄に攻撃を加えることで少しでも武田の兵力を減らすことも、信長の助けになることだと、家康は理解していた。
だが、徳川軍は武田の軍にことごとく蹴散らされ、劣勢を極めていった。
「殿、我が軍は総崩れにございまする!」
「もはやこれまでか!」
「殿!」
「最後まで戦え!」
水野信元の言葉が家康の胸に響いた。
「この徳川家康の戦、見せつけてやろうぞ!」
そこに一人の男が駆け込んできた。
「お待ち下さーいっ!」
夏目吉信であった。
「夏目殿!?浜松城の留守を守って居ったのではなかったので御座いますか!?」
「居ても立っても居られませぬ!殿!雑兵に紛れて、水野殿とお逃げください!」
「戯けたことを!」
「恐れながら、この国の先々のことをお考えください!我らの日々を、三河遠江の民たちを、お捨てになるおつもりですか!」
「殿、今はそれしか手がございませぬ!」
「ならぬ!ならん!この儂に城へ逃げ帰れというのか!?」
「殿、この本多平八郎忠勝、悪運の強いことはご承知の通り」
「我らも全力で、武田の兵どもを食い止めまする!」
「家康、お前は良い忠臣を持っておる。幸せ者だ。信長様にも伝えねばな」
「水野殿、浜松城まで、殿をお守りください」
「わかった」
「しからば、御免!」
水野信元は、家康を無理くり押しながら、浜松城に向かわせた。
家康は少し、梃子でも動かない体勢を取った。
「お前達!死ぬな。儂は、城で待っておるぞ!」
「おーっ!」
夏目吉信は武田軍を睨んだ。
「よく来た!武田の騎馬武者ども!我こそは、遠江国浜松城主、徳川三河守家康なり!我が首欲しくば、この三方原の地にて、討ち取ってみよ!」
「我ら徳川衆、織田・徳川を、遠江国を、浜松を!武田の思うようにはさせぬぞ!うおおおおおっ!」
夏目吉信は、血気盛んに武田軍に向かっていった。
だが、武田軍のほうが一枚上手であった。
武田の騎馬隊は見る見るうちに夏目吉信を取り囲み、逃げが効かないように追い込んだ。
そこに、武田四天王の馬場信春が現れ、夏目吉信と一騎討ちになった。
「やあやあ、我こそは、甲斐国守護大名、武田信玄が家臣、馬場美濃守信春なり!」
「やあやあ、我こそは、遠江国大名、徳川家康なり!」
夏目吉信と馬場信春は互角の勝負を見せた。鍔迫り合いになったとき、馬場信春があることに気づいた。
「お前、徳川家康の影武者か!?」
「まんまと騙されてくれたな!家康様は今頃、浜松城に到着しておるわ!」
「小癪な真似をしおって!」
馬場信春の怒りは凄まじいものであった。その凄まじい怒りは戦闘力へと変わり、夏目吉信に死物狂いで斬りつけに行った。
「うっ!」
「儂を騙したからこうなるのじゃ!じゃが、敵ながら、天晴であった!」
馬場信春は、己がとどめを刺した夏目吉信の屍に向かってこう吐いた。
「よし、忠勝!お主らは撤退しろ!」
本多忠真が武田軍の前に立ち塞がった。
「叔父上!?」
「お主の名の由来を思い出せ!只、勝つのじゃ!退け!」
「叔父上ーっ!」
本多忠真も、馬場信春には刃が立たず、夏目吉信の屍の隣に横たわることとなった。
それを見た武田信玄は、馬場信春を制した。
「馬場、もう良い。家康が此処に居らぬのなら儂らが此処に居ても意味はないのじゃ!ほう、そうか。家康共は城に向かったか。よし、浜松城の家康に向けて進軍するのじゃ!」
「おおおおおっ!」
武田軍は、浜松城目掛けて進軍していった。
その頃、やっとのことで浜松城に入城することのできた家康は、水野信元を差し置いて、天守閣に向かって全力疾走していた。
「家康、お前、逃げ足だけは速いんだな!」
水野信元が息切れしながら言った。
「ふ、ふっ。はっはっ。はははははは!」
「どうした!?」
「武田信玄は強い、武田軍は強い。のう、伯父上」
「当たり前だろ。信玄は甲斐の虎だぞ?年の数ほどの戦をしてる」
「儂はこの歳にて、糞をもらしてしもうた」
「んだとぉ!?」
水野信元は思わず鼻を塞いだ。
「伯父上、腹が空きませぬか。腹が減っては戦はできませぬ!鱈腹食いましょう!」
「何を言ってる!?目前に武田がいるじゃねえか!」
「良いか、城門を開け放てえ!篝火を焚くのじゃあ!」
「い、家康。気でも狂ったか!?」
「我が家臣たちが、この城に戻ってくるのです。ただでさえこの十二月の暗い闇の中、道に迷ったりしては困るではありませぬか!」
「家康・・・・・・」
「絵師を呼べ!儂のこの姿を描かせよ!この、愚かな姿を残すのじゃ!」
「何を言ってるんだ!?お前は立派に戦ったぞ!あの、最強とも言われてる武田の騎馬隊に、一歩も退かずに猛然と立ち向かったじゃねえか!」
「ならば伯父上!それは、家臣が居ればこそ出来たこと。儂はこれまで、これほど家臣に感謝できた戦は無い!儂はこの戦を、一生、忘れてはならぬ!」
「家康・・・・・・」
「良いか!儂の姿を描かせている間、能を舞え!奢った儂に勝った、勝ち戦の祝いとするのじゃ!盛大に舞うのじゃあ!」
こうして、家康は床几に座り、左足を右足に乗せ、左手を左頬に当て、顰めっ面をした。
家康は自ら、この自画像に「徳川家康三方ヶ原戦役画像」、通称を「しかみ像」と名付けた。
「殿ーっ!」
「只今戻りました!」
「よう戻った!」
「殿、辺りは雪に包まれております」
「よし、家康。城の北西にある崖に布を敷いて、夜襲をかけろ」
「布をかける?」
「そうだ。布の橋をかけて、武田軍を銃撃する、とどうなると思う?」
「なるほど!」
「よし、まずは武田軍に不信感を抱かせよ。酒井左衛門尉忠次!」
「はっ!」
「頼んだぞ!」
「承知いたしました!太鼓を打ち鳴らしましょうぞ!酒井の太鼓じゃ!」
「鉄砲隊、放てえ!」
本多忠勝は槍を振り回したいかのようにうずうずしているが、そういう訳には行かず、不満を表に出しながら鉄砲を撃っていた。
布の橋は脆い。鉄砲の音に徳川軍の奇襲攻撃かと勘違いした武田軍は、布を踏みつけていくと、布は裂け、武田の兵士たちは崖の真下に真逆様に落ちていった。勿論、その兵士たちは討死した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます