第一区間

だだん、どどん、と音を響かせ、鉄の道を龍が疾走する。

時折、角笛を思わせる龍の咆哮が空に響いた。


東の果てヴァスニエーツを出発したアレザドラ号は順調に速度を上げていた。

草原を走る馬を瞬く間に追い越し、景色は移り変わっていく。

都市部から農村へ、そして原野げんや、森林へと。


長椅子に座り、額縁から進行方向の先を見ていたイリュリチカは視線を正面へ移す。

その先には閉じられた青のプレートを付けた引き戸があった。


彼女が乗った時点では住人はいなかったが、今は違う。

相部屋となった人物がその向こうにいるのだ。




東の果てヴァスニエーツをアレザドラ号が出発する少し前。

龍の咆哮が響いた、そのすぐ後にその人物は扉を開けて入ってきた。


細身で長身、オールバックにした黒い髪に灰色の瞳の男性。

切れ長の目とそれを映す細四角スクエア型の眼鏡が、彼の知性を物語っているようだった。

目の下にはくまが色濃く出ている。


年の頃は三十半ば、いや二十後半だろう。

彼のたたずまいや目元から年齢よりも上に見えたのだと思う。


紺の背広に白のワイシャツ、同色の細身スキニーズボン。

暗い赤紫に白と黒の細斜め縞ストライブ柄のネクタイを締めていた。


背広の前を開けたり、着崩きくずしたり、ネクタイを緩く締めたり等していない。

衣服を売る店の陳列窓ショーウインドウに立つモデル人形のような姿だった。

一言で言い表すならば、キッチリとしている、という表現になるだろう。


彼の傍らには脚車キャスター付きの大型旅行鞄。

それを牽く反対の手には、車輌に乗った後に解いたのであろうマフラーがあった。


彼はイリュリチカに軽く会釈をして、すぐに扉の向こうに消えてしまった。

それからおおよそ一時間、未だに出てきてはいない。


イリュリチカは考える。

彼はどういった人物だろうか、と。

彼女の趣味は人間観察であった。


目に付いた人物がどのような背景を持つのか、何のためにそこにいるのか。

多くの事をその所作や風貌から導き出すのだ。


その人物に直接聞く事はしない。

勝手に観察し、考え、そして答えを出して納得する。

ただそれだけだ。


ある意味、悪癖あくへきと言えるかもしれない。

それを自覚しつつも、彼女は物語ひとを読む事を止める気は無いのである。




さて、では彼は一体何者だろうか。

その服装から、少なくともただの観光客では無い事は明白だ。

背広スーツを着ているという事から仕事のために鉄道を利用しているのは間違いない。


では仕事はなんだろうか。

少女は扉を開けて入ってきた時の彼の姿を詳細に思い出してみた。


まず、彼の利き手は右だ。

脚車キャスター付きの旅行鞄を右手でいていたからだ。

そして、その中指にはが見て取れた。


つまり、彼の仕事はペンを日常的に、それもかなりの頻度で使う仕事である。


一番簡単な想像は、商会などの事務担当者だろう。

だが、答えを急いでしまうのはつまらない。

もう少し考えたい。


彼はヴァスニエーツから乗車した。

かの町はライフェスト大陸東側の玄関口だ。

東方の島国や南方の群島と海路で繋がる港町である。


となると商会であったとしても貿易を行っている商会である可能性が考えられる。

貿易には様々な書類手続きが必要だと聞く。

それならば、相当程度の書き物をする機会があるだろう。


イリュリチカはそこまで考えて、本当にそうだろうか、と疑問に思う。

貿易を行う商会の人間が、内陸へ進むこの鉄道に乗る理由とはなんだろう?


貿易は、国外の物品を仕入れて国内で販売する、その逆もあるだろう。

だが、そのやり取りは基本的にヴァスニエーツで完結する。

国内への流通は別の商会が行う事が殆どだ。

勿論例外はあるが、それを考えていてはキリがない。


貿易商会の事務員、という結論は一旦置いて、別の可能性を考える事にした。




背広を完璧に着こなしているという事は、着崩せない理由があるのではないか?

だらしない姿を見られてはならない職業とはなんだろうか。


ふと、思い当たる。

役人という可能性は無いだろうか。


規律を重んじるおおやけの奉仕者としての矜持きょうじ、と考えればおかしくはない。

ソツァニア共和国の首都チオエスタは内陸にあり、この鉄道の停車駅がある。

そこまでは大陸横断鉄道で六日程度、大型鞄も理解できるだろう。


となるとここから六日、彼とは同室になる。

それもまた旅だ、何かしらの交流があるかもしれない。


しかし、何かが引っ掛かる。

イリュリチカは目をつぶり、再び彼の姿を思い浮かべた。

今度は更に細かく、足元から頭の先までしっかりと。


何かに気付いて、彼女はスッと顔を上げた。


そうだ。

おおやけ徽章きしょうが無い。


役人は基本的にその身分を示す物を明示するように身に付ける。

軍人や警察、裁判官はもとより、役所の事務員も小さな徽章バッジを付けている。

ソツァニア共和国の場合は、地平線から昇る朝日とそれに重なる針葉樹だ。


その徽章を彼は付けていなかった。

キッチリと背広を着こなす彼がそれを付け忘れるとは思えない。


そうなると、役人である、という仮定は間違いだと言えるだろう。




イリュリチカは再び思案にふける。


彼は乗車時点で背広を着ていた。

仕事であるとしても移動しかしない日に背広を着るだろうか?

普段着でも問題無いはずだ。


移動中に着る普段着をわざわざ持ってくる必要が無い、と考えればどうだろう。

つまり、今日も明日も背広を着る、という事。


となると、彼の降車駅は明日停まる青の森 ―スィーエス― になるはずだ。

二駅先の極寒の豪雪地帯『エーラズィラ』までは更に三日かかる。

そこまでずっと背広で、というのは流石に考えにくい。


青の森スィーエスには何があっただろうか。


『青の森』にはその名の通り、広大な平野に茂る針葉樹林がある。

それ故に林業や木工業が盛んな町だ。


木材の生産、家具の製造、この鉄道の枕木もかの町で生産されている。

文字通り、大陸横断鉄道の土台を支えているのだ。


その買い手バイヤー、即ち貿易商社であっても国外、という可能性。

それならば、現地での目的は買い付けで、すぐさまとんぼ返りもあり得るだろう。

合理的ではないか?


イリュリチカは考えながら、窓の外を見る。

目に映るのは駆け抜けていく景色。

だが、頭に浮かぶのは東の果てヴァスニエーツを中心とした地図だった。


かの町から東に船で四日ほどの場所に島国がある。

島というには中々大きなそれは、大陸東方においてその存在感を示している。


ヴァスニエーツから真南に船で十日ほど行くと南方群島。

寒くもあるこの地ソツァニア共和国とは異なり、常夏の地である。


それらの国から木材もしくは家具を買い付けにやって来た。

買い付けが終わったら、ヴァスニエーツへ戻って祖国に帰る。

人間と物の動きから考えても、決して非合理的な動きではない。




そこまで考えた所で彼女は気付いた。

額縁の向こう側が真っ黒に塗りつぶされている事に。

考えを巡らせている内に日が傾いていたようだ。


アレザドラ号の出発は正午の少し前。

思案を始めたのがそれから一時間程度後。

既に五時間近く経過している事になる。


悪癖だな、とイリュリチカはつくづく実感し、静かに首を左右に振った。

と同時に腹の中の凶暴な怪物が可愛らしい鳴き声を発する。

早めの昼食だった事で、夕食には早い時間であるが目覚めてしまったようだ。


討伐せねばなるまい。

幸いにして、すぐ後ろの車輌が食堂車だ。

イリュリチカは、椅子からすっくと立ち上がった。




食堂車はまさに移動するレストランだ。

客車を仕切る壁が無い事で、車輌の広さがよく分かる。

中央左右の壁際に半円状の細机カウンターがあり、料理人が手際良く料理を生み出していた。


生み出された料理は器に盛られ、彼らの前の細机に並んでいる。

その料理を各人が好きに取って勝手に食事をする形だ。

町のレストランでは見られない奇抜とも言える方式である。


乗員が限られる列車ゆえの省人化。

こうした部分にも、この列車には多くの知識が組み込まれている事が分かる。

まだ人が少ない効率的な空間を見回しながら、イリュリチカは感心した。


なお、一等車輌ではコース料理が、三等車輌では作り置きの料理が出るらしい。

追加料金を払えば一等食堂車での食事も可能、一度行ってみてもいいかもしれない。


そんな事を思いながら料理を取り、イリュリチカは窓際の席に掛けた。

床に固定された机も椅子も質素。

でありながら、ほのかな気品が感じられる。

職人の技が見て取れる良い品だ。


その上には彼女が運んだ皿が並ぶ。


凍土鮭の牛酪焼き ―ザミチヴァシブーイール― 。


大陸北東部の極寒の川で漁獲される鮭に小麦粉で衣を付け、牛酪バターで焼いた料理。

イリュリチカの目の前にあるそれには、薄まった茶色のソースがかかっている。

白のみなもとは牛酪であり、茶色の源は醤油、東方の島国のソースである。


この鉄道は長大な距離を走る。

各停車駅で食材を搬入はんにゅうする事から食堂車で出される料理も区間で異なるのだ。

極東区間では、東方の島国や南方群島の物が多い。


主役の凍土鮭の牛酪焼きザミチヴァシブーイール

ドレッシングを弾くほどに新鮮なサラダ。

玉ねぎが甘みを出す透き通ったスープ。

しっかりとしていながら柔らかく、ほのかに甘い丸パン。


支払った金子きんすの元を取ろうとする者もいるが、幸い彼女には時間がある。

今回の食事はこの位で十分だ。


ゆったりと時間をかけてそれらを平らげ、食堂車を後にする。

と、その前に料理人に声をかけてからにしよう。


今日の料理や使われている食材についていくつか話をする。

彼は手を止めず、だが聞いてくれた事を喜びながら多くを語った。

イリュリチカは思わぬ土産を貰い、今度こそレストランを後にする。




旅の居所へと戻り、暫く長椅子に掛けていたが、やはり向かいの彼は出て来ない。

食事もとらずに寝てしまったのだろうか?

旅の過ごし方は人それぞれであるが。


夜もけてきた。

そろそろ寝るべき時間だ。

くぁり、とイリュリチカが口を開けて鳴いた。


それに続くように、がらり、と座る彼女の正面の扉が開く。

少し焦った様な表情を浮かべた相部屋の彼が現れた。


イリュリチカには目もくれず、客室から出ようとする。

だが扉に左手をかけた所で立ち止まり、引き戸の取っ手から静かに下ろした。

同時に、はぁ、と溜め息をく。


振り返った彼の右手には懐から出された懐中時計がある。


その動きでイリュリチカには彼の行動の理由、考え、心境の推移が理解出来た。


何かに集中していて時間を忘れていた。

時が経っている事に、はっ、と気付き、食事をとっていない事を思い出す。

深夜時間帯は食堂車が営業しない事に焦り、急いで飛び出そうとした。


時間を確認するために背広の内ポケットから懐中時計を出す。

ちらりと確認したら既に営業終了時間を過ぎていた。

食事抜きが決まり、落胆の溜め息。


こんな所だろう。

実に分かりやすい。


とぼとぼと眼鏡の彼は自室に戻ろうとしていた。


彼の目の隈を見た時点で、こんな事になるんじゃないか、と考えていた。

そして、勝手ではあるがイリュリチカは対策を用意している。


「ねぇ。」

「?」


夜のしじまに溶け入るような澄んだ声。

前を通り過ぎようとしていた所に声を掛けられ、疑問符が浮かんだ。

この少女は自分に何の用があるのだろうか、と。


そう思っていると、少女は自らの右側、机に置かれたを、すっ、と差し出した。


平らな皿の上に置かれた二つの白い山。

料理人によって握られた穀類の塊、つまりは『おにぎり』だ。

己にとっては実に馴染み深い食べ物である。


彼女の夜食だろうか、それほど食べるようには見えないが。


不思議に思っていると彼女は一言、どうぞ、と言った。

自分用に食堂車から持ってきたであろう物のはずだが・・・・・・。


ぐう、と空腹に耐えかねた我が腹がを上げた。

有難くもらっておくべきだろう、明日のためにも。


「ありがとうございます。」


礼を言ってそれを受け取り、扉を開ける。


親切な少女だ。

今の自分にとっては、おにぎりの妖精だ。

・・・・・・白いし。


そのおにぎりは冷えていたものの塩がき、中の焼き鮭も良い味だ。


あっという間に平らげて、ごちそうさまでした、と一言。

おにぎりに対して、料理人に対して、そしてこれをくれた妖精に対しての言葉だ。


人心地ひとごこちついた事で急に眠気が襲ってきた。

シャワーを浴びたいところだが、まあいい、起きてからにしよう。

明日は目的地だ、早めに寝てしまった方が良いだろうからな。




イリュリチカは寝所へ入り、寝るために着替える。

彼が何者であるか、もう少しだけ踏み込めた事に彼女は少し満足げだった。


先程差し出した物は、とある国の常食じょうしょくだ。

それおにぎりが何かを問わず、見慣れぬ物を見るような表情も浮かべる無く受け取った。

彼はその国の出身であるとみて間違いないだろう。


東の果てから海を挟んで更に東にある島国。


という事は、食事の前に考えていた事の否定が出来る。


かの国は木の国、技術の国。

林業はソツァニア共和国以上に盛んに行われている。

家具も多くの国に輸出されており、その評価も高い。

この列車の食堂車の机や椅子、細机もかの国の産物だ。


ソツァニア共和国の木材が良質とはいえ、わざわざ買い付ける程ではない。

選択肢を絞る事が出来たが、それゆえに彼の正体が謎に包まれる。


そんな事を考えていると、イリュリチカの意識はゆっくりと闇に呑まれていった。




翌日。


イリュリチカはすっきりと目を覚ました。

朝の支度をして、トランクケースから昨日と似たブラウスを取り出して着替える。


寝所から出ると先に起床していた彼が長椅子に掛けていた。

昨日の件もある、既に見知らぬ間柄ではない。

互いに朝の挨拶を交わして、イリュリチカは彼の対面に腰掛けた。


座る彼の隣には、脚車キャスター付きの大型旅行鞄。

青の森スィーエスへは、あと少しで到着するのだ。

考える時間はもうそんなに残っていない。

結論を出さなければ。


段々と列車の速度が落ちていく。

目の前の彼は緩やかになっていく窓の外の景色を見ていた。

その表情がある瞬間、強く引き締まったものに変わる。


何故?

彼の見ている物を見るためにイリュリチカもまた窓の外を見た。


ああ、なるほど。

そういう事か。

彼の正体が分かった。


青の森。

広大な平野に針葉樹が茂る地。


手前は終着駅。

先は豪雪地帯。

それ故にここにはそれがあるのだ。


終着駅まで辿り着いた列車の点検を行うために。

災害級の積雪に備えて、車輌の退避場所とするために。


長大な大陸横断鉄道のために先人達が森を切り開いて作り上げた巨大な整備拠点。

『車輌基地』だ。


そして、この地の車輌基地には他の基地とは異なる特徴がある。

それこそが彼の正体に直結する事柄だ。


青の森スィーエス車輌基地では車輌の設計や鉄道路線の設計を行っている。

それ故にある職業の人物が集まる場所なのだ。



彼は『鉄道技師』だ。



それもただの技師ではない。

東方の島国から招聘しょうへいされた人物だ。

東方の島国は長い国土にきめ細やかな鉄道網を築き、運用している。

その鉄路技術を大陸横断鉄道に活かせないか、という事だろう。


指のは設計の際に鉛筆を長時間走らせる仕事であるがゆえに。


背広を脱がなかったのは迎えられた側だったから。

現在乗っている鉄道はそれ自体が彼の目的地の一部、気は抜けなかったのだろう。


そして、昨日自室で時間を忘れる程に何かに集中していた事も理解できる。

彼は国を背負ってこの地へ来ているのだから。




龍がその動きを止め、到着の咆哮を発する。

彼は立ち上がり、イリュリチカに礼をして部屋から出て行った。


本当に彼が鉄道技師であるかは分からない。


だが、もし。

もし本当に鉄道技師であるのであれば礼を言わなければならない。


人々の移動の足、物資を運ぶ輸送手段、そして旅人の住処。

未来の鉄道をこれからも作ってくれるのだから。


イリュリチカは、姿の見えなくなった彼に対して言葉を発した。


良い旅をありがとう、と。

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