第18話

 商店街の一角に他の店に挟まれるように建っているこの店は、店内の広さは雪丸の部屋の二倍程度の大きさだ。しかし天井近くまである背の高い本棚が四方八方に置かれているため、圧迫感があり、本来の広さより狭く感じる。

 圧迫感を感じさせる原因の本棚にはぎっしりと本が詰め込まれており、店内に並んでいる本は普通の古本屋にある昔の中古本だけではなく、信幸の家で見たような紙の束もあった。


「これはなんですか?」

「うん? ああ、これかい。これはね、この地に伝わる妖怪伝説について書かれたしょだよ」


 紙の束にふと興味を覚えた雪丸が店主に尋ねると、店主は優しく微笑み、紙の束について説明してくれた。


「妖怪伝説?」

「そう。日本国内のさまざまな土地に、この本みたいに妖怪はいるって記された書記が残っていたりするんだよ」

「へぇ、ということはここにも妖怪が?」

「この町というよりは隣町の衣様町だね。衣様町にある山に天狗が住んでいるという伝説があるんだよ」

「えっ、そうなんですか⁉︎ 知らなかった……」

「おや、もしかしてきみは衣様町の子かな?」


 雪丸の驚いた反応を見て店主はそう問いかけた。雪丸は素直に頷く。


「はい。今年から衣様にある祖母の家に住んでいるんです」


 今はその隣の信幸の家だけど、と心の中で付け足しながら店主と会話を続ける。


「そうかい、そうかい。きみは妖怪は信じるのかな?」

「信じ……えーと」


 店主の問いに、思わず口籠る。妖怪はいる。雪丸は見たことがあるのでそれは疑うつもりはない。けれど妖怪を見たことがある、と他人に言うのは少し抵抗があった。

 そんなことを言えば、大抵の人はなにを言っているんだこいつは、という反応を取るだろう。


「おじいさんはどうなんですか?」

「私かい? 私は信じているよ。ここだけの話、昔河童を見たことがあるんだ。まぁ、妻も当時働いていた会社の同僚も、誰も信じてはくれなかったけどね」


 雪丸が答えに困って質問で返すと、店主はそう言って悲しそうに肩をすくめた。


「へぇ、そうなんですか」


 雪丸は河童を見たことはない。けれど妖怪はいるのだから、店主が河童を見たという言葉を一概に嘘だとは思わなかった。

 店主の話をとくに疑う様子のない雪丸を見て、店主が口を開いて提案する。


「もしよかったらお茶でもしないかい? 見ての通り店に客が来なくて暇で暇でしかたがないんだよ。きみは妖怪に興味があるみたいだし、よかったら年寄りの話に付き合ってくれないかな?」

「あっ、いや……はい、お邪魔します」


 妖怪に興味がある。店主の放ったその言葉に、心を見透かされているような気がして、雪丸は少し慌てたが、店主も妖怪の存在を信じているのなら少し話を聞いてみたい気もする。

 それに電車の時間まで余裕はある。せっかくだし、と一度断ろうとしたものの思いなおして雪丸は店主が出してくれた椅子に座り、一緒にお茶をすることになった。


「まずは先程話した衣様の山に生息すると言われている天狗の話をしようか」

「はい」


 店主は雪丸が目に止めた妖怪伝説の書かれた書記を本棚から取り出し、丸椅子に腰掛けた。

 店主はレジを挟んだカウンターテーブルの向こう、店の奥に座り、雪丸はそれに向き合うようにカウンターテーブルの反対側に置かれた椅子に座っている。

 持ってきた書記をレジの設置されたカウンターテーブルの上に置くと、ページを何枚か捲る。


「おお」


 最初の方のページは達筆な文字でなにか書かれており、信幸の家で見たときと同じようになにを書いてあるか読めない。しかし店主が手を止めたページには紙一枚分を丸々使って、天狗らしき絵が大きく描かれていた。


烏天狗からすてんぐという天狗が衣様町の山奥に住んでいるという伝説が残っているんだ。これがその烏天狗だよ」


 黒くて大きな翼に人と同じ二足立ちをしているが、顔は鳥そのもの。

 墨で書かれた絵だからだろうか、見た者に臨場感を感じさせる絵で、雪丸は少し怖いなという印象を持った。


「天狗と言ったら顔が赤くて鼻が長いイメージがあったんですけど」


 雪丸の知っている、想像するのは赤い顔で鼻が長く、なにかの葉っぱを持って下駄を履いている天狗だ。書記に描かれている天狗とはだいぶイメージが違う。

 雪丸が烏天狗を見て素直な感想を漏らすと、店主が補足する。


「きみが想像しているのは鼻高天狗だね。この書記に書かれている天狗は烏天狗だから、同じ天狗でも種類が違うんだよ」

「なるほど……そういえばおじいさんは河童を見たって言ってましたけど、どこで見たんですか?」


 雪丸の問いに店主は待ってましたとばかりに嬉々として口を開く。


「なんとね、衣様町で見たんだよ」

「えっ、衣様には河童もいるんですか?」

「もう亡くなってしまったんだけどね、私の友人が衣様町に住んでいて、昔その友人の家に遊びに行った帰りに見たんだよ」

「衣様のどこでですか?」


 一言で衣様町、と言っても実は衣様町はかなりの広さを誇っている。衣様駅周辺も衣様町だし、雪丸たちの住む家やその裏にある山、そしてもう少し先の本当に自然以外なにもない場所も衣様町なのだ。


奥衣様おくいざま神社じんじゃという神社の近くにある小さな池だよ。水面に顔の一部、目から上が出ていたんだ!」

「奥衣様神社?」


 奥衣様神社とは聞いたことのない神社だ。雪丸は首を傾げた。


「ああ、きみが知らなくてもしかたがない。山の方の、辺鄙へんぴな立地に建てられた神社で、私が行った十五年前にはすでに神主もいなかったし、誰も管理していないのか雑草も伸びっぱなしで放置されていたからね」

「へぇ、そんなところがあるんだ……知らなかった」


 祖母なら知っているだろうか。しかしわざわざ海外にいる祖母に電話してまで確認することでもないなと雪丸は思った。


「でも、なんでそんなところに行ったんですか?」

「私は写真を撮るのが趣味でね」


 店主は店の奥へ視線をやった。雪丸のその視線を追うと、そこには随分と年季の入ったカメラがある。古そうではあるが、高級そうなカメラだ。毎日手入れされているのか埃が積もっている様子はない。まだ現役なのだろうか。


「へぇー……じゃあ河童の写真は撮れたんですか?」

「いや、それが残念なことにカメラを構えたときにはもういなくなってしまっていたんだよ」


 店主曰く、首にカメラをぶら下げて池の近くまできた店主は、河童らしき生き物を発見するとすぐに写真に収めようとカメラに手をかけた。しかしその一瞬で河童らしき生き物の姿は消えていたと言う。


「ちなみに、誰かが池で泳いでいた可能性は?」

「ないだろうね。ちゃぽんという音が聞こえたから池の中に潜ったんだろうけど、それっきり十分くらい池の前で待っていても、誰かが水面に出てくることはなかったから。ほら、人間だったらそんな長時間潜っていられないだろう?」

「たしかに、それもそうですね。人だったら絶対息が苦しくなって上がってきますもんね」


 人間が水中で息を止められるのは一分か、長くても二分程度。それをはるかに上回る十分もの間、息を止めて水中にいたとしたら、それは人ではない可能性が高い。


「そうなんだよ。だから私はあのとき見たあの生き物は河童だと信じているんだ。数年前に再度、奥衣様神社に行ったときには姿を現してくれなかったけどね」

「それは残念でしたね。俺も河童見てみたいなぁ」


 しばらくの間店主と楽しく妖怪の話をして盛り上がり、雪丸は店を出た。帰りにお土産だと言ってチョコレートのお菓子まで頂いてしまった。


「うちの町に天狗がいるという伝説が残っているというのは初耳だったな。あと河童も」


 自称とは言え、陰陽師が近くにいるというのに妖怪のことを全然知らないんだなと雪丸は自身の知識の無さに少しショックを覚えながら駅に向かう。

 本当は商店街を一通り見て回るつもりだったが、店主と話し込んでいたためそんな時間はない。数分後には駅に雪丸が乗る方面に出発する電車が来てしまう。


「……」


 店を出た途端にまたどこからか視線を感じながら、雪丸は駅へと急いだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る