「ガンバレ」の話(上)

 テストである。



「ぎゃあああ」



 もう一度言う。テストである。

 来週の六月頭から、まーたテストがありやがるのである。


 私の記憶が正しければ、つい先月にも全教科のテストがあったばかりだ。

 なのに何でもうやるんだよ。いくら何でもスパン短すぎんだろ。


 ……はぁこの前のは一年の時の振り返り? ほぅ今度やるのは中間テスト?

 うるせー知らねーバーカバーカ。


 三学期制はこれだからダメなんだ。一、二か月に一回、必ず大きなテストがやって来る。

 これが二学期制であったならどんなに気楽だった事だろう。中間期末がワンセット消えるとかズルいにも程がある。


 テストなんて半年に一回やるくらいで良いんだよ。

 なんだったら一年に一回、いや、そもそも試験自体全部無くていい。


 平等がどうたら差別がどうだの色々叫ばれる現代社会、まず子供の頭をランク付けする悪習を正す事から始めませんか?


 NOテスト、NO赤点。テストが無ければ赤も無い。

 それでも受けろというのであれば、私はペンを取らずに空を見上げよう。


 そこに飛ぶ真っ白なハトが平和の象徴だというのなら、真っ白な答案もきっとその筈なのだから――。






「そうかよかったな。訳分らん事言ってないでいいから問題解け」


「あい……」



 放課後の図書室。

 隣席で私の勉強を見てくれている髭擦くんが、魂の啓蒙たわごとをバッサリと切り捨てた。



「お前からテスト勉強誘ってきたんだろうが……トンチキ漫談を聞きに来た訳じゃないんだから、ちゃんと頑張れよ」


「ハイ……すんません……黙ってやります……」



 続けてひでぇ事を言いやがる。

 私はそんな人の心の無い髭擦くんに涙を落とし、目の前に開かれた問題集にイヤイヤしっかり向き合って――。



「……思ったが、真っ白な答案と赤点ってお前のカラーリングだな」



 とりあえず最初の問題は『美少女チョップ』が正解みたいなので、早速髭擦くんの脇腹向かって記入した。







 例え赤点を取る事が避けられないのだとしても、流石に全教科で赤点を取るのはイヤなのだ。


 義務教育だし、頭が悪い程度じゃ留年とかは無いだろうけど、それでもその状況を甘受し続けたくはない。

 まぁちょっとおバカな方が可愛いとは言うし、実際私は美少女な訳だが、やっぱり平均点くらいは取って憂いの無い学校生活を送りたいのである。


 ……と、そんな訳なので。

 友達で私より頭の良い髭擦くんにテスト対策の勉強を教わる事となるのは、極々自然な成り行きであった。






「ぐぅ……い、いや確かに自分でもちょっとアレな事言ったなとは思ったが、そんな思いっ切り突いてくる程か……?」


「あんたも配慮の勉強とかしろや。割かしヤバいラインだかんなさっきの」



 私以外に言ったら法廷もんだぞ。

 脇腹を抑えて恨みがましげな白目を向けて来る髭擦くんに言い返し、難解な国語の問題にまた頭を悩ませる。


 そんな私に髭擦くんは納得がいっていないようだったが、やがてそんなもんかという風に溜息を吐いた。



「……まぁ、嫌な気分にさせたなら謝るが……お前もあんまり暴れるなよ。図書室だぞ」


「これくらいなら大丈夫だよ。でかい声でバカ笑いでもしなきゃ何も言われないからさ」



 この学校の図書室はそれほど雑音に厳格ではなく、それなりに寛容だ。


 実際室内に居る他の生徒も軽く談笑しているし、白目男の小さな悲鳴くらいなら注意される事も無い。そこら辺の線引きは一年生の時に把握していた。



「……よく来るのか? 普段のお前見てると、あまり縁無い場所だと思ったが」


「これでも勉強は昔からそこそこ真面目にやってんだ。全っ然身になんないけどさ」


「あー……いや、身になってそれなんじゃないか。やらなかったらもっと酷かったと考えれば……」


「ほんと何なんだよその絶妙な無神経加減はよぉ」



 とはいえコイツなりの励ましなのも分かるので、溜息ひとつで流してやった。



「というか、今更だが何で俺に声かけたんだ? いや、俺としても復習になるから別にいいんだが……勉強教わるなら、他に適任なのが居るだろ」


「足フェチの事? アイツに頼み事したら何されるか、この呼び方で分かんだろ」


「……お前ら仲いいんだよな?」


「……そうなっちゃったの、ちょっぴり後悔してんだ。最近」



 最初はただの明るいヤツだと思ってたのにな……。


 初めて喋った時の事を思い出してブチブチ言いつつ、どうにかテスト範囲の問題集のページを埋め切った。

 そして次にその答え合わせをしながら、間違えた部分の答えに至る過程を振り返りつつ修正する。去年よくやっていた勉強方法である。



「……国語って、今お前が使ってる言葉だぞ。何でこんなに間違えられるんだ……?」


「う、うるさいな。いちいち聞いてばっかないで先いけ先」



 そうしてパッと見でもうどれだけ間違えたのかを察したのか、ちょっと引いた様子の髭擦くんを急かし間違い直しを始める。

 その際互いの肩が軽く触れ合うが、変な反応とかは一切ない。楽だなほんと。



「じゃあまず初っ端の問一からだが……どんな感じに間違えたか分かるか?」


「……主部が違ったんだろ。最初はこの部分かと思ったんだけど、何か違うなって思ったからこっちにしちゃった……」


「いや、最初のそこで合ってたんだが……まぁ分かってるならここは良いか。なら次は――」



 ……意外と言っては失礼かもしれないが、髭擦くんの教え方はそれなりに上手かった。


 簡潔かつ淡々としていて、余計な回り道は一切ない。

 ぶっきらぼうと言えばそうだけど、アレコレ深く解説されるよりはまだスムーズに入って来る。


 そうして、私にしてはサクサクと勉強を進めていけた――のだが。



「……何で毎回はじめに正解書いてから、間違いに書き直してるんだ……? わざとなら俺も流石に怒るぞ」


「ちがうんだよぉ……何か最初に書いたのって私のじゃないみたいでキモいんだよぉ……」


「意味が分からん……!」



 しかし私の間違え方があまりにも酷すぎたのか、髭擦くんの教えにも少しずつ熱が入り。

 するとそれに伴い言い返す私の声も大きくなり、繰り返す内やがては言い合いに進化。

 ……そうして騒ぎすぎた結果、私達はいつの間にやら騒音の線引きを越え、図書室を叩き出されたのであったとさ。バーカ。







「くそぅ……私だって真面目にやってんだっつーの……」



 なし崩し的に髭擦くんと別れ、一人で歩く帰り道。

 私は彼への文句をぶちぶち愚痴りつつ、足元にあった小石を蹴っ飛ばす。


 いやまぁ勉強見て貰ってありがたいとは思ってるし、感謝だってしっかりしてる。

 しかしもうちょっとこう……何とかならんもんかね。


 髭擦くんの成績もそんな上の方って訳じゃないらしいけど、やっぱ赤点取った事ないからバカの気持ちとかって分かんないんだ――……いや、やめよう、自分で自分が悲しくなるだけだこれ。



「はぁ~ぁ……」



 何で私はこんな勉強出来ないんだろうな。

 今までだってそれなりに頑張って来たと思うんだが、それでも結果に繋がらない以上、ほんとに勉強の才能がぽっかり欠落しているとしか思えない。


 ……だったらもう、諦めた方が良いんじゃなかろうか。


 赤点追試も仕方ない事としてぶん投げて、代わりに足フェチの誘いにでも乗って運動部で結果を出せば、成績悪くても何となく許される雰囲気になりそうではある。

 ガチな部活動には興味ないけど、私なら適当にやっても相当上まで行けるだろうし。


 正直あんまり好きな考え方じゃないけれど……幾ら勉強頑張っても無駄なら、そっち方面で頑張った方がなんぼかマシなんじゃないかって――。




『――ガンバレ!!!!』




「っ!?」



 鬱々とした気分に沈み始めたその時、どこからか大きな声が轟いた。


 一瞬私に言われたのかとも思い、咄嗟に周囲に首を振り――通りがかった公園の門柱あたりに、何やら妙なものが見えた。



(……何だ、アレ)



 そこにあったのは、サラリーマンらしき中年男性の姿。

 そして門柱の上に腰掛ける……何だろう、何か青い、おもちゃのロボットのようなものだった。



「……、……、……」


『ガンバレ ガンバレ オマエナラ デキル ヤレル だから ガンバレ!!!!』



 大きめのソフビ人形サイズのそのロボットは、頭も身体も四角くて、ぴかぴか光る目とくるくる回るぜんまいの耳とを持っていた。

 それらを激しくぴかぴかくるくるさせながら、遠目にも分かる程にくたびれた格好のサラリーマンを応援しているのだ。


 そのひび割れた甲高い機械音声は相当に耳障りだったが、一方で当のサラリーマンは特に気にした様子もなく、ただじっと俯いたまま何事かをぶつぶつと呟いている。


 ……その訳の分からない光景に、頭の中が困惑で埋め尽くされた。



(……ええと、人形遊び……か?)



 あんなおっさんが? こんな往来で?

 自分でも疑問にしか思わなかったが、他にどう受け止めれば……ああいや、あのサラリーマンが芸人か何かで、青いロボットを使ったネタの練習をしているとかの可能性もある……のか?


 分からん。何も分からん。

 どう反応すべきかも迷った私は、そのまま何となしにその様子を眺め続けて――。



『ガンバレ ガンバレ デキル デキル マケルナ ガンバレ ヤレル イケル だから ガンバレ!!!』


「……そうだ……俺だって……」



 そうする内、サラリーマンの様子が少しおかしくなってきた。


 くたびれ曲がった背筋が徐々に起き上がり、光の無かった瞳がギラギラと輝き始め。

 ロボットの応援に背中を押されたかのように、その雰囲気がやる気に満ち溢れたものへと変わっていく。



「……が何だ……納期が……修正が、俺は……」


『ガンバレ ガンバレ ヤレル イケル マケルナ ガンバレ ガンバレ ガンバレ ガンバレ だから、』


「――おれはやるぞおおおおおおおおお!!!!」



 そして突然大声で叫んだかと思うと、脱兎のごとく駆け出した。


 砂利を大きく跳ね上げて、地面に深い足跡すら刻み込み。

 そこに先程までのくたびれた雰囲気はまるで無く、呆気にとられる内にその背中はどんどんと遠くなり、やがて何処かへと消え去った。



「……え、えぇ……?」



 ……何なんだ、一体。

 最早そういうドッキリなのかとも思い、周りにカメラが無いか探してみるけどそれも無く。



「――あれ?」



 ふと気づけば、青いロボットの姿も無くなっていた。

 私が見逃しただけで、サラリーマンが持って行ってたのだろうか。よく覚えていない。


 なんというか、心底から意味不明なもん見ちゃったな……。

 得体のしれないモヤモヤ感が胸に留まり、その収まりの悪さに首筋をさすった



「……がんばれ、ねぇ」



 なんとなく、青いロボットの繰り返した言葉を呟く。


 それはあのサラリーマンに向けられたもので、私には何の関係も無い。

 とはいえあそこまで連呼されてんのを聞いてると……なんか、ねぇ?



(……帰って勉強の続きしよ)



 さっきのヤツが何なのか、サッパリ訳分からんのは変わりないけど。

 とりあえず――もう少しだけ、私も頑張ってみようかな。イマイチ釈然としないまま、そんな気分になっていた。







「お、タマさんだ。おっすー」


「イ゛ッ……」



 翌日の放課後、街中のとある書店にて。

 良さげな参考書を求め棚の間をウロウロしていると、知った顔とばったり出くわし変な声が出た。


 一切のイヤミが感じられない柔和な顔つきに、一方でギラギラとした輝きを放つ極彩色の双眸。

 穏やかな雰囲気なのに目がヤバくてあんまり近寄りたくない系男子筆頭の犬山くんだ。助けて。



「どしたの、こんなとこで。俺はテスト前最後のあがきで色々探してるんだけど……ああ、タマさんも?」


「うーんまぁ、そんなとこー……は、ははは」



 適当な愛想笑いを浮かべつつ、さりげなく後退る。


 決して犬山くんを嫌っている訳では無いのだが、以前の一件を思い出すとどうしても緊張感が先に来る。

 そんな私の様子を察しているのかいないのか、犬山くんはいつもと変わらない様子で気さくに話を続けた。



「やー、俺もあんま成績良い方じゃないからさぁ、憂鬱だよほんと……」


「……そ、そうなんだ? じゃあやっぱり、赤点とかも……」


「ははは、流石にそこまでじゃないって。授業は普通に聞いてんだもん」



 私は普通に聞いてて赤点なんだが???



「それに今回は蠅も飛んでないしさ。前よりは点数上がる気はするんだよね」


「……蠅」


「ずっと鬱陶しくて、勉強なんてしてらんなかったからなぁ……今初めてまともにテスト対策出来てるよ」



 しみじみ語る犬山くんだが、私としては別の部分が気になってしょうがない。


 彼の言う蠅……確か百田くんだったか。一体どれだけの束縛屋で、今現在どんな状態になっているのだろう。

 とはいえ真正面から尋ねる気も無く、曖昧に笑って誤魔化しておく。



「あ、そうだ。せっかくだし、これから一緒に勉強会しようよ」


「う゛ぇ」



 突然の提案にまた変な声が出た。



「一人より二人の方が捗るだろ? この本屋の読書スペースあるし、買った参考書でそのままさ」



 犬山君の言う通り、この書店の窓際部分には、そこそこ広めの読書スペースが用意されている。

 椅子は勿論、机や自販機なども設置されており、その目的通り長時間の読書に耐えうる作りとなっていた。


 確かにあそこは静かだし、勉強するのにうって付けではあるんだろうけど……。



(いやぁ……ちょっとご勘弁……)



 この極彩色に輝く瞳を横に置いての勉強なんて、身が入る気が一切しない。


 同じクラスの髭擦くんはよくもまぁ普通に授業を受けられるもんだ。

 彼の図太さにいっそ感心すらしつつ、私は犬山くんへの断り文句を考えて――それが形になる前に、本棚の向こう側から大きな声が響き渡った。



「――ダーハハハハ! 流石に冗談だろそれはさァ!」


「っ!?」



 若い男のバカ笑いだ。

 本棚を一つか二つ挟んだ先から聞こえるそれは、この店に流れていた静かで落ち着いた雰囲気を木っ端微塵に粉砕していた。



「おー、おー、あー? んなワケねぇだろそっち一緒に居んだからさァ!! ダハ、いや当たり前だろ、ダハーハハハハ!!!」


「……うるせー」



 声の主はどうやら電話か何かをしているらしく、一人愉快に爆笑している。

 その周囲の事を全く考えない大音量と下品な笑い方に、うんざりと舌打ち一つ。


 たまに居るよな、こういう迷惑な客。外出て話すとか出来んもんかね。

 少しばかりイラっとはしたが……まぁ、タイミング的にはちょうど良かったのかもしれない。

 これを理由に退散しようと、私は犬山くんに声をかけ、



「――あれ?」



 が、居ない。

 つい先ほどまですぐ横に立っていた彼の姿はどこにも無く、影も残さず消えていた。


 どこ行ったんだアイツ。私は首を傾げながら、きょろきょろ周囲見回して。



「 ぉきゅ゜」



 ……突然、妙な音がした。


 それと同時に、高らかに響き続けていた笑い声がぱたりと止んだ。

 耳障りな騒音がいきなり途絶えた事で鼓膜がビックリしたのか、小さな耳鳴りがうっすら残る。



(……な、なんだ?)



 他の客も同じように困惑した様子であり、思わず互いに顔を見合わせるけど答えは無く、どこか不気味な沈黙が漂った。



「――で、どうする? 勉強会」


「きゃあ!?」



 ひょっこりと、本棚の裏から犬山くんが頭を出した。

 どこに行ったのかと思ったら、いつの間にやら本棚の向こうに回っていたらしい。


 あービックリした。私は大きく息を吐きながら、驚かされた事への文句を口にし、



「…………」



 ……今、コイツどっち側から頭出してきた?


 方向からして、さっきバカ笑いが響いてた方向だよな?

 何でそっちから出て来るんだ? どこ行ってたんだ?


 ………………何、してたんだ、コイツ?



「……あれ、どしたの? 何かあった?」



 そう聞いて来る犬山くんの表情はやはり穏やかで、どこもおかしな様子はない。

 だが、どうしてかさっきより瞳の極彩色が濃くなっているような気がして、そうと分かる程に後ろへの一歩をとってしまった。やべ。



「あ……あー、いやー、そう、参考書いいの無くってさー! だからその、何も買わずに長居すんのもアレだし、今日はもう帰るよ。悪いけど……!」



 それは焦りながらの言い訳だったが、犬山くんは特に気にしていないようだった。

 素直に納得した様子で頷き、一切の悪意のない朗らかな笑顔を浮かべた。



「そっか、じゃあしょうがないな。お互い最後の追い込み頑張ろうね」


「う、うん、犬山くんも頑張って……えっと、そんじゃ!」



 シュビッと手を上げ、足早に立ち去る。


 その際、目がさっきのはた迷惑な客の方向を向きかけたけど、ぐっと堪えて。

 極彩色の視線から逃げるように、スタコラ書店を後にした。


 いやキツいって。






「はぁ……なんか、すげー疲れた……」



 とぼとぼ歩く帰り道。

 私は緊張に強張った身体をほぐしながら、テストへの憂鬱さとは別種の溜息を吐き出した。


 ……急いで店を出てきちゃったけど、あの後騒ぎになったりとかしてないかな。

 でも百田くんの時だって何ひとつ問題になってなかったし、今回もそうなるのだろうか。というかあれ何で後に引くもんが何も無かったんだ怖いわ。


 いやまぁ、犬山くんが何かやったって証拠なんて無いし、全て私の勘違いって事も全然あるんだけど、やっぱあの瞳見ちゃうとどうにも――。



『――ガンバレ!!!』


「っ」



 などなどぶちぶち考えていると、昨日も聞いた機械音声の応援が聞こえた。


 場所は少し先にある保育園。

 その庭から響く保育園児達の声の中に、あの青いロボットのざらついた声が混じっていた。


「……」なんとなく気になり、通りすがりに柵の外から覗いてみる。



『ガンバレ ガンバレ マケルナ ヤレル イケル ガンバレ イケル だから イケル ガンバレ!!』


「……うぅ」



 すると今回応援を受けているのは、小さな女の子のようだった。

 もじもじと緊張したように縮こまっていて、少し離れた場所で遊ぶ子供達のグループを羨ましげに見つめている。



(……一緒に遊びたいんだろうな、あの子)



 身に覚えがある構図に、苦い思い出がほろり。


 青いロボットはというと、その子の足元に無造作に転がり、またも目と耳をぴかぴかくるくるさせていた。

 昨日と同じく声以外に動き出す様子もなく、本当にただの人形のようだ。



(何かのアニメのおもちゃ……とかかな)



 私はアニメや漫画とかはサッパリだから分からないが、子供の間で流行ってるヤツだったりするのだろうか。

 それはそれで、昨日のサラリーマンのアレが余計に変な事になっちゃうけども……。


 そうこう思っている内、件の女の子の様子が少しずつ変わっていく。

 昨日のサラリーマンと同じく瞳がギラギラと輝き始め、ハの字の眉がきりりと上がり。今までの気弱な感じが嘘のような顔つきとなって――その一歩を踏み出した。



「――いーれーてっ!」



 ……それは少しだけ緊張に震えていたけど、遠くからでもハッキリと聞こえる声だった。


 呼びかけられた子供達も一旦足を止めると、身を固くする女の子の姿を認め……やがてその内の一人がにっこりと笑い、小さな掌を差し出した。



「…………」



 私はそれを見届けた後、そっとその場を立ち去った。


 ……ちょっと欲しいな、あのおもちゃ。

 この時はまだ、そう思えていた。



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