25-2
滞在するホテルは区立体育館から目と鼻の先だ。疲れてもすぐにお風呂に入り寝られるというのはありがたい。ホテルは二人部屋で、部長のあたしは一年生の和食さんと同室だ。千屋さんと北原さんが同室で、どんなふうに過ごすのか少しだけ不安だが、尖っていた千屋さんはもう完全にいないから大丈夫だろう。
曜さんと海宝さんは居酒屋へ繰り出した。そこにはお姉ちゃんも着いていった。お姉ちゃんは誘われると、
「海宝さんとは話が合いそうだから是非」
と言って嬉々として出掛けていった。
あたしも和食さんも部屋備え付けのシャワーを浴び、ベッドで寛いでいる。やらないといけないことがあるのだが、やる気にならずぐだぐだと時間だけが過ぎてしまう。
隣のベッドからシャッター音が聞こえ、顔を向けると和食さんがスマホをあたしに向けていた。
「阿河先輩のリラックス写真いただきました」
「またSNSにでも載せるの?」
「載せてもいいですか? 鍵アカで」
「まあいいけど」
あたしはようやく起き上がって、荷物の中から課題を取り出した。平日に休む代わりに担任でもある数学の先生から課題プリントを渡された。合宿を認める代わりに月曜に出せ、と言われてしまった。あたしの成績を危惧している担任からのありがたいプレゼントだ。
部屋に一つしかない机と椅子に座り、課題と向き合ったが、なにが書かれているのかさっぱりですぐに眠くなってきた。
シャッター音が響き、あたしの眠気が吹き飛んだ。和食さんがまたスマホをあたしに向けていた。
「今日はレアショットがいっぱいです」
一年生は気楽でいい、と思ったが一昨年はあたしがその立場だった。
「阿河先輩は人気なんですよ。すぐいいねがつきます」
SNSとは無縁のあたしにはその感覚がいまいち分からない。そんなことよりも、もっと練習してほしいのだが、あたしはどう接したらいいのか分からずにいる。
「合宿でも勉強なんて、熱心ですね」
「いや、これは強制的にやらされてるだけ。本当は今すぐ寝たいくらい」
「千屋先輩も課題やってるんですか?」
「そのはず」
あたしは小さな嘘をついた。成績に特に問題のない千屋さんには課題は出されていない。そのことを後輩に説明するのは情けなさすぎる。
「三年生は大変なんですね」
この先どうするとか、この先どうしたいとか、この先どうなりたいとか、今のあたしには考えられない。日本一になる、それだけだ。いろいろなことはそれから考えればいい。
次の日、朝八時に体育館へ集合し準備運動と簡単なパス練習をした。九時になり、実業団チームと試合を行う。今回の合宿の目的は試合経験の少なさを埋めることだ。東京近郊のチームだと、不遜な言い方になるが、実力差がありすぎてあまり練習にならない。かと言って去年の優勝校である銀渓高校に試合を申し込んで実力を見せることもありえない。そこで今回の合宿だ。
「昨日は社会人選手としての矜持を語ったつもりだけど、まったくのまれてないね」
試合開始前にネット際で両チームが握手をすると、海宝さんがあたしを見上げて笑った。
「負ける気は全くないので」
今日も明日も時間が許す限り試合を行う予定だ。一セット二〇分前後で、一日十数セットはやれるだろうと曜さんは言った。大会では例年一日で最大九セットやる場合があるから大袈裟な数字ではない。
「自信と傲慢は若者の特権だよ。やってみな」
今回の合宿はあたしがメインでアタックを打つ。あたしのローリングはまだ完成度や精度が低く、なにより一度も試合で打っていない。今までは千屋さんに頼り切っていた。そこを克服しないことには日本一になれない。今のあたしの課題だ。
午前中に六セットを行った。大会ではストレート勝ちもしくは負けでちょうど三試合分になる。
最初に二セット連取したが、その後四セット連取された。あたしのローリングは通じる、そう思ったのも束の間、自信はもろく崩れ去った。
「ほい、お弁当」
休憩になると同時にお姉ちゃんが大きな袋を渡してくれた。全国チェーンのお弁当屋の袋で、中にはお弁当が六個入っていた。
「数間違えてない?」
「一人二個食べる人もいるかと思って」
あたしは千屋さんと北原さんを見たが、二人とも首を横に振るだけだった。
「食べないと保たないでしょ。しょうがないねえ」
お姉ちゃんはそう言うと袋からお弁当を一個取り出した。
「これは私が食べる。彩夏は二個食べな。食べて大きくなるのも大事だから」
それはまだ成長期の和食さんに言うべきではないだろうか、と思いながらあたしはすでに二個食べる心づもりでいた。そもそも背はもう伸びていない。
あたしたちは二階の観客席に移動してご飯を食べることにした。合宿関係者以外に利用者はいない。
あたしは勢いよくお弁当を食べ始めた。お弁当二個を消化するには、満腹になる前に押し込むに限る。
負けが込んでいるからか、あたしたちの口数は少ない。和食さんもそんな雰囲気を察しているのか、スマホで無闇に写真を撮ろうとしていない。
そんな中、「よ」とか「ほ」とか言いながらリフティングをしているお姉ちゃんの声がよく通る。
「お姉さん上手いですね」
和食さんが感心するから見ていると、二〇回くらい続いていて、確かに上手いと思わせる。お姉ちゃんは今日も暇なのか、試合の合間に一人でリフティングを勝手にやっている。だれもなにも教えていないし、お姉ちゃんもだれかに教えを請うたりしていない。
午後はさらに十二セットの試合をした。トータルだと7対11で負け越した。実業団チームの意地を見せられた形だ。今日の試合では千屋さんはほとんどアタックを打っていない。千屋さんを使えばきっと、と思ったところでその甘い考えを捨てた。
お姉ちゃんは最後のほうになると、リフティング連続五〇回をやってのけた。
「すごい? どう? すごい?」
元気があり余っているお姉ちゃんは誇らしげにあたしに話しかけてきたが、疲れきっているあたしはおざなりに褒めてからホテルへ向かった。
先に部屋のシャワーを浴びて浴室から出ると、和食さんが狭い部屋のわずかなスペースでリフティングをしていた。和食さんはあたしに気がつかないほどボールを凝視し、集中している。
ボールがベッドの上に転がり、ようやく和食さんがあたしに気がついた。
「急に練習なんて、どうしたの?」
「いや、えっとその……」
和食さんは妙に言いづらそうにしている。悪いことをしているわけではないから責める気もなく、あたしはそれ以上聞くつもりはなかったが、和食さんがおずおずと口を開いた。
「阿河先輩のお姉さん、リフティング五〇回簡単にできちゃったじゃないですか。私はまだできていないのに」
ラクロスで日本代表になったお姉ちゃんはかなり運動神経がいいが、慰めにもならないだろうと思い黙って聞くことにした。
「先輩たち全員すごいし、一緒にいると私もなんとなくそんな気分になってきちゃって……。でも、勘違いですよね、私はなにもできていないのに……」
和食さんはうつむき、黙り込んだ。
あたしはベッドの上に転がるボールに手を伸ばし、うつむく和食さんに渡した。
「ボールは持ち上げるイメージ」
和食さんはぽかんとした表情をし、ボールとあたしを交互に見やった。
「練習するんでしょ、まだ。あたしからのアドバイス」
和食さんが顔を輝かせ、リフティングを再開した。あたしも途中で少しだけ口を挟み見守った。
リフティングを熱心に続ける和食さんの傍ら、あたしは課題を取り出し、机に向かった。
合宿最終日は午前中で終わった。余力はまだあるが、大阪から東京へ帰ることを考えると午前中で切り上げるしかなかった。
結果は3対5でまたも負け越した。この結果に曜さんは、
「ギリギリ勝ち越すかと思ってたけど。まあ社会人のレベルもまだまだ捨てたもんじゃないと思うことにしよう」
と不満げだった。
それはあたしたちも同じで、晴れやかな顔をしている人はいなかった。全セット取れるとはもちろん思っていなかったが、勝ち越すつもりではいたからだ。
「唯ちゃん以外にも高校生でローリング打てる人いるとは思ってなかったよ。チームも強いし。とはいえ、まだ高校生に負けるわけにはいかないから、勝ち越せてよかった」
最後の試合後、海宝さんは安堵したような表情であたしと握手をした。
「夏には追い越しているはずです」
あたしが強気でそう言うと、海宝さんは嬉しそうに大笑いした。
近くの銭湯で体を洗い、行きと同じメンツで車に乗り込んだ。また六時間くらいかけて東京へ帰る。出発して五分もすると和食さんが寝息を立て始めた。
今日の和食さんは今までで一番練習をしていた。試合の合間は常にボールを蹴っていた。技術も体力もこれからだ。
あたしもすぐに眠気が襲ってきた。余力があるつもりだったが疲れがたまっていたようだ。でも、寝てしまう前にお姉ちゃんに言っておきたいことがある。
「お姉ちゃん、ありがとう」
「車のこと? 私が彩夏の試合を見たかったから出しただけだよ」
お姉ちゃんは前方を見たままであたしのほうは見なかった。
「それもあるけど、和食さんのこと。お姉ちゃんがリフティング五〇回あっさりできちゃったから、危機感募らせたらしくて」
「ああ、そのこと。暇だから遊んでただけ。和食さんがどう思ったかは私には関係ないよ」
そう言いつつお姉ちゃんがどこまで考えていろいろ行動しているのか、あたしでも分からないときがある。和食さんが真剣に取り組めるようにお姉ちゃんが仕向けたのではないか、と考えたけど眠くて頭が回らない。
「有意義な合宿だったんじゃない」
「そうだね。試合できてよかった」
車の揺れが心地よく、さらに眠気に拍車をかけ、適当に相槌を打つことしかできなくなってきた。
「それもあるけど、海宝さんみたいな人に出会えたのは大きいよ。これから先を考えるきっかけにも参考にもなるしね」
お姉ちゃんが言うこれから先、とはなんだろうか。進路の話だろうか、いやセパタクローの合宿なんだからセパタクローの話か……。
お姉ちゃんはまだなにか言っているが、眠いあたしの耳はそれを素通りさせた。あたしは限界を迎え、目を閉じた。
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