第63話 喜劇染みた契約

「さあ、笑顔で自分をお客さんだと思ってですね」

「にかーw」


 会社の休憩室にて、朝の配達を終えたミクルが化粧鏡を前にして、ジーラにスマイリーな表情を練習中であった。


「……駄目だ。自分にはできない」

「諦めんな、ジーラ。この際、作り笑いでもいいんや」


 ケセラが一本の割り箸を水平に口で挟んで、この世の始まりのような笑顔を見せる。

 だが、目は一向に笑ってなく、まさに作り笑いそのままであった。


「ケセラさん、それでは騙してるような気がしますが?」

「だからって、無愛想な顔で接客するわけにはいかんやろ?」


 いくら人目が少ない配達業でもお客さんと接することはあるし、何よりお客さんあっての商売である。

 ふれくされた顔で対応し、変なイメージをさせると、その寸前から契約打ち切りという状況もあるのだ。


 さらにそこからあの配達員は失礼な人という噂が広まり、立て続けに契約を失うという恐ろしいパターンもある。

 そうなると、全開ばたんきゅー。


「店の信用にも繋がりますからね」

「おおっ。ミクルも分かってるやんか」

「だてに六十年は接客してませんからね」

「いや、その年数はおかしいやろ?」


 どこの老舗旅館の女将だろうか。

 ミクルはまだ十代のはずなのに、その設定はおかしすぎる。


「ミクルはサバを呼んでいる」

「どこの漁師の台詞やね」

「……地中海援軍」

「これ以上人手は入らんわ‼」


 この仕事は基本的には夜目に足を忍ばせ、一人でやるための仕事であり、住人の目を覚ます勢いのある大人数でやるものじゃない。

 そうなると配達員どころか、自衛隊の軍隊である。


「さあ、ジーラ。笑顔の練習の続きですわよ。アン、ドゥ、トランス!」

「にへーw」


 バレエのリズム、いや、抜群にクールなダンス音楽に付いていけず、笑う方向が揺らいでいるジーラ。


「いや、リンカも癒し音楽で逝かせるなや。ジーラが燃え尽きてるやろ?」

「……デヘヘ」

「ああ、言ってるそばからこうやで」


 トランスとはその名の通り、自己陶酔に酔いしれる癒しのメロディーであり、聞き慣れない者が聴くと眠りに落ちてしまう。

 ジーラは意識があるだけマシだ。


「ケセラちゃん、ジーラさんを笑顔にさせるという店長の言葉をよく鵜呑みにしましたわね」

「まあ、これからは一人でやっていく職場だからね。そうなると、今までのようなフォローも難しくなるし……」

「あのゲーマーで陰キャなジーラにできるかしら?」

「リンカも長いことジーラと連れ添ってるんやろ。少しはジーラの成長を見届けろや」


 お姉さんなリンカを何とかケセラが説得させ、そのジーラを見送る。

 ケセラもリンカも母親のような存在感に満ちていた。


「じゃあ、ジーラさん。次は笑いながら半回転して、牛乳瓶を片手に接客してみましょうか?」

「ウフフー、さーあーw」

「いや、それやと接客通り越して、ただの喜劇やろ?」


 そう、悲劇と喜劇はよく呼び方が似てるもの、実際には全然違う意味ということに──。

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