5 憧憬――鈴歌迂月――
授業が終わると、後は待ちに待った放課後。
ここから家に帰るまでの間、僕達は僅かな自由を満喫できる。
学園には学園の。
家には家の不自由さがある。
だからこの僅かな隙間こそが、僕達にとって唯一の自由時間なんだろう。
それが金曜日で、明日から連休だと思えば、その喜びも倍増するというものだ。
朝からの雨がようやく上がった事もあり、気分も自然上昇していく。
その気分でなんとなく&なにげなーく
調子に乗るわけじゃないけれど、折角特別――は言い過ぎかもしれないけど、そういう特殊な呼び方、あだ名のようなもので呼び合うようになったのだし、せめて帰りの挨拶でも、と思っていたのだが。
「――残念」
少し肩を落としつつ教室を出た僕・
「あ、そう言えば……部活……」
僕は一応理科部という文化系の部に所属している。
理科部とは、理科に関わる色々なものを実験したり、作ったりする部活動だ。
そんな理科部の一番メインの活動は文化祭に行う”発表会”。
ただその内容は発表会という言葉からイメージされるものとは微妙に――いや多分、大幅に違う。
いや、発表会というのは嘘ではないのだが、決してそれが全てを現しているわけではないのだ。
メインの活動のメイン……すなわち発表会の実態。
それは、色々なものの販売だ。
綿菓子や味噌汁、スライム、蝋燭などを科学的……理科的に解析・分析し、実際に作り、販売する……それが一番の見世物にして売り物だったりする。
これがまた実に楽しかったりする。
自分が文化祭の他の出し物を見に行く事を忘れるくらいに。
その後の、売上を使った”反省会”も実に魅力的だったりするし。
そんな発表会をメインにおいている理科部は、発表会時期ではない事もあり、今現在は特に主だった活動をしていない。
皆で集まり、今後の事や理科的、科学的なネットニュースにも触れつつ雑談に興じるのが、今の時期の活動だったりする。
まあ、もっとも。
大半の部員の目的は、そんな『活動』だけではなく他にあるのだが。
ともあれ、僕は部室に行ってみる事にした。
理科部の部室……というのは、実は第二理科室だったりする。
活動をするためには実験などに使う器具が要るので、ここがもっとも都合がいいのだという。
「こんちわー」
挨拶しながら部室に――教室に入る。
すると、仲間である所の部員の皆がそれぞれに声をかけてくれる。
「よー」
「伏世君こんちはー」
「相変わらずのボケ顔で、老け顔だな」
「ははは……泣くよ、おい」
苦笑しつつ、僕は今週の指定席である黒板前の席に座った。
皆それぞれにお気に入りの場所があって、そこを指定席にしている。
新たな部員などの入部で指定席がかぶってしまった時は話し合いによって解決されたり。
ちなみに、僕が今座っている席は希望者が多いため、基本一週間ごとの交代ということになっている。
その席に座って数分後……”その理由”が僕の前に立っていた。
「皆さん、こんにちは。今日も楽しく活動しましょう」
その女生徒……いや、女性と言ってもいい大人びた『そのヒト』は、その”かんばせ”に綺麗な笑顔を乗せて言った。
お模わずうっとりしてしまうような綺麗な声に、皆は「いえっさー!」とか「はいはいはい!」とか「了解ですー!!」とかそれぞれ熱気の籠もった返事を返していた。
この学園の生徒会長を務め、この理科部の部長も務める、才色兼備という言葉がこれ以上ないほど良く似合う、そんな人だ。
今日出会った切那さんの綺麗さが精巧で繊細な綺麗さとするなら、この人の綺麗さは温度がある曖昧な綺麗さ……そんな感じだ。
どちらもまごうことない綺麗さだが、それには違いがある。
というより、美しさとかはそういう『違い』がなければいけないと僕は思う。
一つの価値観の究極が全てが同じ、なんていうのは間違っている気がする。
ともあれ、この人はこの部活にいる部員にとって憧れの存在なのである(男女とも)。
……まあ、その。
僕も決して例外とは言えなかったりするのだが。
いや、恋愛的な意味ではなくて、推し的な意味で――でもまぁそれだけだと自分で思えないほどに時々ドキドキしてしまうのも否定できないわけで。
「伏世君?」
「ひゃ、ひゃい?!」
そんな事を考えていた事もあって、部長の接近に思わず声が裏返ってしまう。
入学してこの部に入って一年。話した事自体は結構あるが……まあ、なんというか、それとこれとは話は別だ。
これだけ綺麗だとついつい緊張してしまう。
部長はそんな僕ににっこり微笑みかけてくれた。
肩まで伸ばしたウェーブのかかった髪が微かに揺れる。
「相変わらず、ナイーブというか……もっと気を許してくれると、わたくしは嬉しいんですけど」
「そ、その……前向きに善処させていただきます、ハイ」
「よろしい、ですよ」
部長はそう言うと、ふわり、と手をかざし、僕の頭を優しく撫でた。
……その瞬間、部内でブーイングが巻き起こった。
「ずるいぞー伏世ー!!」
「お姉さまー私にもー!」
「後でリンチー」
ぬう、かなり物騒な事を言われてるような。
「あら、そう言わないで下さいね。伏世君も私も困ってしまいますよ」
そう言って頬に手を当てて、部長は微笑んだ。
……いつもそれだけで事は終わる。
どんな不平や不満も、この微笑みの前では雲散霧消してしまうのだから不思議だ。
というか不思議じゃないような気にさえなってくる。
とまあ、そんな感じで始まった部活は、いつもどおりに進行し、だべりのネタが尽きた頃に下校時間となって、皆で帰路につくこととなる。
理科室を出て……下駄箱に降りた辺りで、皆それぞれのグループに別れていく。
クラスが同じ者、用事が同じ者、帰り道が同じ者……あとはそれぞれの組み合わせでの下校となる。
「じゃな、伏世」
「また今度ね」
「またお会いしましょう、伏世くん」
「はい、また」
皆との挨拶に笑い合った後の鈴歌部長の言葉と表情にどぎまぎしながら僕は答える。
やっぱり、思わずドキッとするばかりでまだまだ慣れないけど……ソレはソレで悪くない気もした。
そうして、雨上がりの茜色の世界へと進んでいく人たちを見送ってから、僕は靴を取り出した。
……僕の場合、偶々上記の理由に該当する人がいないので、基本一人での下校となる。
少し寂しくはあるが、僕はそれが嫌いじゃなかった。
騒いだ後の、静かな下校。
それは僕になんだか大切な事を教えてくれているような……そんな気にさせる。
例えばそれは、いつか終わる”祭り”……楽しい日々の事だったり。
例えばそれは、一人でしか見れない事の大事さだったり。
そんな、きっと、誰もが一度は思うような事だ。
「……なんてね」
そういう事を考えている事自体に苦笑しながら、僕は靴を履こうとする。
と、そこで、僕は忘れ物をしている事に気付いた。
「っと。あの教科書、今日は使うんだった」
普段、大抵の教科書は教室に置き去りしているのだが、今日は宿題が出ているので 持って帰らないとお話にならないのだ。
ので……特に焦る事もないのでゆっくりと教室に戻る事にした。
紅く染まった校舎は、素直に綺麗だと思えた。
いつもと何も変わる事はないはずなのに、何かが変わって見えた。
それに見惚れる事はない。
そこまで珍しい風景ではない。
でも、綺麗である事に変わりはない。
だから、僕は今この時ここにいてよかったと思えた……大袈裟かもしれないけれど。
「……よし」
目当ての教科書は今日使ったばかりだったので手前の方にあってすぐに見つかった。
その数学の教科書を薄っぺらい鞄に入れ直し、僕は誰もいない教室を後にした……その時だった。
『………ぁ……』
音が、響いた。
「……? なんだ……?」
水が叩きつけられるような音と何か、いや、誰かの声……?
よく分からなかったが、そんな印象を受ける”それ”が響いた。
遠くから聞こえているのに、すごく近いような、おかしな音の伝わり方が耳に――いや、僕の中に直接届いたような、そんな気がした。
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