第七話〈斎王と共に〉

 斎王が伊勢へと旅立つ時が訪れた。

 泰正、英心、蓮、久遠は、各々共の者に挨拶を交わしていると、斎王が挨拶をしたいと呼ばれた。

 お供は数百人もおり、仕える男官は朱い衣装、女官は、笠を被り、白い衣装に身を包んでいる。

 対して泰正と英心は狩衣、蓮と久遠は、魔鏡師の出で立ちで、修行僧のような格好をしていた。

 お供達の先頭に見える輿の前に、泰正達は連なって歩いていく。


 斎王は葱華輦そうかれんという、輿の中で静かに出立を待っている。

 厚い布で覆われているため、その姿は視認できない。


「斎内親王、件の陰陽師と魔鏡師でございます」


 斎王は呼びかけにこたえ、話かけてきた。


「此度は、私と伊勢へと参られるこの縁に深く感謝いたしまする」

「いいえ……! お供できることを、光栄に存じます」


 英心にならい、泰正、蓮、久遠も揃って挨拶を述べて、感謝の意を示す。

 斎王は小さく笑うと、言葉を続けた。


「伊勢への道は、山賊や魑魅魍魎も出現していると聞いております、どうかお力をお貸し下さい」

「ハッ! 心得ております!」

「我々は少し離れてついて行きますが、異変があればすぐに察知できます故、どうかご安心下さい」


 英心に続いて泰正が伝えると、斎王は小さく返事をして、それきり押し黙る。


 斎王はこれから、数百人のお供を連れて、途中の河川で精進潔斎を繰り返しながら伊勢へと赴く。

 京都と伊勢を結ぶ官道阿須波道を歩き、群行は勢多、甲賀、垂水、鈴鹿、壱志へと、延べ六日をかけて伊勢へと向かうのだ。


 斎王の出立の時を、帝が離れた場所で見守っていた。


 その視線の先は、英心と泰正が存在しており、強き想いが胸中に渦巻く。


 ――永響を、酷い目にあわせるでないぞ。



 英心はふと空を見上げて瞬いた。


 ――今、誰かの声が……?


 “さあ、征け”


「永響?」

「英心、大丈夫か?」


 泰正に手を握られた英心は我に返り、頷いた。


 永響の影響を受けて意識を失ったあの日、泰正には己に何があったのかを話している。

 永響と完全に一体化しようとする魂についてや、貴族から泰正を助けたのは英心だという事実も。


 ――私の中に永響が完全に溶け込む前に、浄化することを泰正が望んでいる。


 私は紫倉宮英心として、視素羅木泰正の傍に在りたいと願う。


 永響は反抗する気配もなく、大人しくしていた。



 群行が都を出立してから、まもなく勢多に辿り着こうとしていた。

 木々が鬱蒼と生えた、けして広くもなく平坦でもない道を歩き続けた泰正達は、すでに足が棒であった。

 途中で斎王が河川で精進潔斎を行うために休めはしたが、回復にはいたらず、頓宮に入る頃には倒れ込みそうになった。


 群行は順調に進み、いよいよ最後の宿泊となる壱志の頓宮にて、各々身を休めていた。


 食事は肉と酒は禁止である為、菜食が中心の献立を口に運ぶ。

 泰正は隣に座る英心にふと目線をやる。

 彼は感情の読めぬ顔色で、食事に集中していた。


 次に、向かいに並んで座り、食事をしている蓮と久遠を見やる。

 久遠が小声で「まず」などと文句をいうと、蓮が注意していた。


 各自食事が終わると、英心が男官の一人に呼ばれた為、席を外す。

 蓮と久遠は寝こけていた。

 仲睦まじい光景に思わず口元をほころばせて、腰を上げた。


 境内に降りて、ぼんやりと月を眺めていたら、人の気配を感じて、顔を向ける。

 そこには、頭から厚い布をかぶった女人がたたずんでいた。

 目的は明らかに、泰正に声をかけるためだろう。

 慌てて顔を隠したようだ。

 月に煌々と照らされた姿は、顔は見えずとも、神秘的に感じられる。


 斎王は、闇に溶けるような甘かやな声音を発した。


「視素羅木様がうらやましい」

「……それはどういう意味でしょうか」


 声音が震えていたので、直前まで泣いていたのか、誰かと揉めていたのかもしれない。

 泰正は斎王の次なる言葉を待つ。

 一陣の冷たい風と共に想いを吐露された。


「私には想いあう殿方がおりました。婚姻間近にこのような目にあうだなんて」


 泰正は一考し、口を開く。


「務めが終われば、想い人と一緒になれます……どうか気を落とされず……」


 慰めの言葉を聞いた斎王は言い捨てる。


「叶いませぬ! はじめから分かっておりました! 私は己の為には生きれぬと!」


 その叫びに泰正は口籠った。

 同時に胸中に寂しさがわきあがる。


 ――斎王はまだ歳若い。過酷な運命だ。


 首を横に振り、やるせなさを噛みしめる。

 斎王はまたもや言葉を発した。


「視素羅木様、私は正気を失うかもしれませぬ。その時は、紫倉宮様と共に、どうか私をお止めください」

「何をおっしゃる」

「視素羅木様が、紫倉宮様を想って舞をされるのを見たら、私はきっとおかしくなってしまう!」

「……っ」


 “想いあう様を見せつけるそなたらが憎い”


 ――っ!?


 今、確かに憎悪の声が脳内に響いたが、斎王はすでに背を向けて立ち去っていた。


 泰正は俯き、思考を巡らせる。


 ――落ち着け……! 私は、己のすべき事をするだけだ。


「泰正!」

「……っ」


 突然の想い人の声に息を呑み、振り返ると抱きしめられた。

 その肉体の感触と温もりを、つい恍惚と無言で味わう。


「泰正?」

「……な、なんだ?」

「いつの間にかいないから捜したぞ? 冷えるから中へ」

「あ、ああ。すまない」

「他人行儀なことをいうな」

「あ……こ、こら!」

「ははっ」


 頬に口づけられた。ふいうちに怒ると腰を抱かれて笑われる。

 明るい顔をする彼を見るのは、幸せだ。

 泰正は思わず頬を緩めて、身を擦り寄せた。

 不安な気持ちは薄れていた。 




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