14話


 昔が楽しかったなんて思うものじゃないって言葉があったけれど、昔を思って、今が一番楽しいって思うのは、きっと許されるだろうか。

 駅の前で一人立ち、僕は本を読みながら、作中に出てきたセリフにそんな事を思っていた。


『(千夏)せっかくの変装なしの初デートだから、完璧にしていきたいけど、最後のセットがうまくいかないから遅れるごめん』

『(ハジメ)大丈夫、ありがとう、楽しみに待ってるね』


 電車合流よりも、待ち合わせデートという経験をしたいと千夏が言ったので、僕はここ30分ほどの時間を最寄りの駅の前で待っている。流石に電車で一人で目的地まで行って待ち合わせるのも一緒にいる時間が少なくなってしまうので、いつもの高校がある駅前での待ち合わせだ。


 少し早めに着いたから、約束の時間より20分程遅れたくらいの時間ではあるけれど、千夏が僕を楽しみにさせてくれるメッセージを送ってくれたからか、それとも惚れた弱みというやつなのか、待つ時間は全然苦ではなかった。


 1月も末に近づいて、あっという間に一年の最初の月が終わる。

 部活のためだろう、何人かうちの高校の制服姿も見かけるし、中には見知った顔もいた。

 サッカー部もバスケ部もバレー部も、朝から休日は練習なのだろう。僕も中学の時はそうだったし、それを懐かしむ気持ちもかつてはあったけれど、今はもうそう感じることも無くなった。


 そうして道行く人達を眺めながら立っていると、一瞬、僕と同じように待っている、あるいは立っている人達の目が、はっと一点に引き寄せられるのを感じた。

 僕もまた、その女の子に見惚れるようにして、目線を向ける。

 信じられないことに、そんな女の子は、僕にとびきりの笑顔を向けてくれるのだった。


「待った?」


「……正直めっちゃ待ちました」


 千夏の言葉に正直に返すと、「そこは今来たところって言うところでしょ!」と千夏がむくれる。


「ただ、少し待った位でこんなに彼女が綺麗でやってきてくれるなら、これから先のデートでも、いつでも全然待ちます。ありがとう、千夏」


 僕は本心からそう言った。

 正直、僕はそこまでファッションや化粧に詳しいわけじゃないけれど、千夏が、今日のこの時のために凄く時間を使って、頑張って来てくれてるんだなっていうのはわかる。


 それにお礼を言える権利がもらえているというは、何て幸せで、贅沢なことなんだろうか。


「…………うむ、そのセリフは合格です」


 へへ、と笑って、千夏は僕の腕に絡みつく。

 同時に色んな視線が刺さっているような気もするけど、些細なことだと思った。


「では、恋人らしいデートコースめぐりに出発!」


 何故なら、こんなに魅力的な女の子がこんなに幸せそうに隣で笑ってくれているなら、それだけでいいと思えるのだから。

 きっとそう思う僕は、どうしようもないくらいに彼女にやられている。



 ◇◆



 いつも以上に、目一杯の時間と手間をかけて、コーデを考えて、濃くなりすぎないように軽く化粧もして、お母さんにもチェックしてもらって家を出た。


「何ていうか、一緒にずっといるのに、それでもそんな感じを維持できるのは、凄いわねぇ。でも、とても可愛いわ、自信を持っていってらっしゃい。ハジメくんによろしくね」


 そう言われて送り出されて、待ち合わせの鉄板の「待った?」をやってみた。

 まぁ、ハジメは全然鉄板通りに返してくれないわけだけれど、続いた綺麗っていう言葉に満足する。


 多分ハジメは意識してないだろうけれど、『可愛い』とはいつも言ってくれてとても嬉しいのだけど、こちらが決めて行った時だけ、『綺麗』って言ってくれる。

 だから、その言葉がもらえた時は、自分の中で、よしってなるのだ。


「今日は、予定通り待ち合わせして電車に乗れたので、水族館に行って、お昼もそこで食べて、観覧車に乗ります。これぞデートって感じをしてみたかったんだよね」


「うん、僕もそういうのしたことないから嬉しい。それに初めて行く水族館だから楽しみ」


「他にも色々行こうね、ハジメはどこか行きたいとこある?」


「うーん、せっかくなら、どこかで遊園地とかも行ってみたいね」


「……遊園地か、恋人が行くと待ち時間のイライラや、実は話題が無かったり沈黙に耐えられなくて別れるって噂があったから、ちょっとだけ初回には怖くて今回は水族館にしたんだけど……まぁ、ハジメはそういうのは気にしないよね?」


「あ、そうなの? そういう噂もあるんだね、普通にいくらでも時間は潰せるのになぁ」


「例えば?」


「……んー、そもそも千夏といても、話してて途切れたことってあまりないし、無言になってもあまり気にならないからなぁ。極端な話、家で一緒に居る時みたいに、僕が本読んでて、千夏がゲームしたりしてても、多分僕ら雰囲気悪くならないでしょ?」


「…………確かに! じゃあ次はいっそディズニーとか行ってみる? あ、後はね、旅行とかも行ってみたいんだよね、うちもバイトしてお金貯めるからさ。……そう不安そうな顔しないでよ、ちゃんと前に言ってたの覚えてるからさ。女の子しかいないケーキ屋さんとかどうかなって思ってるんだけど」


「……何も言ってないのに、彼女に悟られてめちゃ恥ずい、でも色々ありがと」


 割りと何事も淡々としているハジメが、うちの言葉にはこうして照れるのを見るのも好きだった。

 電車で二人で並んで、当たり前に未来のことを話す。その何気なさの中に、どうしようもなく幸せを感じてしまう。

 何で今なのかも全然わからないけれど、うちとハジメは、少しずつ、少しずつここまで来たんだぞって、誰に向けるでもなく叫びたくなった。



 最初は、距離感を測りながら、ハジメの家に恐る恐ると入って、その時にはあの小さな白い子猫がいないと理由が無かった。まだ、南野さんと佐藤くんから、が取れた頃のこと。


 そして、ハジメの過去に触れて、千夏の過去に触れてもらって、理由が無くても作って会いに行くようになった。お母さんに嫉妬するように、ハジメと千夏、になった。


 千夏のことを他人事じゃないってハジメが言ってくれて、言葉通り本当に助けてくれて、もう耐えられなくなって、感情にも関係にもきちんと名前を付けて。


 凍てつくほどに寒い街で、どうしようもない位に心を温めてもらって、改めて恋をした。何もかもをあげてしまいたくなって身体を重ねて、幸せには上限がないことを知っていく毎日。



「ねぇハジメ」


「ん? 何改めて」


「うちは、南野千夏はね…………佐藤一が世界で一番大好きです」


「え? …………っ! ちょっと…………電車の中で唐突にどうしたのさ」


「んーん、何だか無性に言いたくなったから」


 何も考えずに言葉に出して。

 その言葉に照れて、そして少し喜んで、続けて慌てるハジメを見て、千夏は微笑む。

 

 このまま、ただゆっくりと穏やかに。

 何でもない日曜日、デートに向かいながら千夏はそんな事を思って幸せの気配を全身で感じていた。

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