3話


 朝食を食べ終わって少しして、千夏が何かを言いたげだったのは気づいていた。


 珈琲は千夏が用意して、その間に洗い物は僕がやったりする。

 関係が変わっても、これまで一緒に過ごしていた際のペースは急に変わることはなかった。


「えっとさ、今更なんだけど、ご家族に、うちも挨拶したいな…………その……ハジメの彼女です、って」


 千夏がそう口にしたのは、食後少ししてからだった。

 その言葉にあぁなるほど、と思って、同時にそう言えば一度もあの部屋に入れていない事に気づく。

 僕もまた、千夏を紹介したかった。


「うん、そうだね、僕も紹介しないと……多分、本当に会うことがあったら、めちゃくちゃ喜ばれたか、それか疑われたと思うんだけど」


「……うち、喜んでもらえたかな? っていうか疑われるとは?」


 不安そうな顔をしつつ、その後怪訝な表情となった千夏を見て、生前の家族を思い返す。

 何だろう、別に思い出さないようにしていたわけでもなく、家に居て毎日線香はあげていたのだけど、何だか自然と思い出せる記憶に色が付くような気がしていた。


 ううん、違うか、それは嘘で誤魔化し。

 僕は、思い出さないようにしていたんだ。


 記憶の中にある僕の家族は、よく笑う人達だった。

 その記憶の中の僕もまた、笑っている。だから僕はきっと。

 ――――そして、この変化は、昨日涙を流せたから、千夏のおかげなのだろう。


 当たり前のように、家族のことが口を突いて出ていた。


「千夏みたいな美人を彼女ですって紹介してたら多分…………わかんないけど、母さんは無言で誘拐を疑って、美穂はじとっとした目で美人局つつもたせを疑って、父さんだけがめちゃくちゃハイテンションで信じてくれたかな。うざ絡みしそうだけど……まぁ、そんな家族だった」


「……美穂さん、写真見た、めっちゃ可愛い子だった」


 そうか、部屋には写真が貼られてあったね。それを見たのか。

 僕はそう納得するように頷いた。


「まぁ、写真も後で見てみる? 仏間はこっち、元々は父さんと母さんの寝室が一階にあって、二階が僕の部屋と美穂の部屋、それにもう一部屋が叔父さんが来たときとか、後はお客さん用の部屋だったんだけど、今は一階の部屋を仏間にしてる」


 そう言って、リビングから廊下に出て、奥の部屋へと向かう。

 基本的に洋風の家の中で、唯一寝室は畳が良いと主張した母親によって和室にされた部屋だった。

 扉を開けると、微かに残る線香の匂いと、後は三人の写真。当時わからないながらに少し良いものを買った仏壇がそこにあった。

 飾られているのは、正装で笑っている写真が良いからと、美穂が中学に入学した時に撮った写真だった。


 作法は特に無いのだけど、折角だからと二つ並んだロウソクにそれぞれ火を点ける。


 父さんは割りとノリで生きている人だったけど、母さんはそういう事にも厳しい人だった。

 外見も内面もどっしりとした母さんに、実はイケメンで前の家の近所の奥様方にも密かに人気だったらしい父さん。そして、その整った面立ちを受け継いだ美穂に、父さんに似ていないことから母さん似だねとよく言われた僕。


 千夏にそんな風に、簡単に写真を指さして紹介しながら、線香を半分に折ってロウソクの火にかざした。


「……父さんと母さん、それに美穂……めっちゃ恥ずかしいけど、こちらが千夏、僕の……彼女です」


 そして、改めて千夏を紹介する。きっとそんなことはあり得ないのだけど、この言葉が家族のいる場所にまで聞こえていたらいいなとそう思いながら。



 ◇◆



 ロウソクが溶ける匂いと、線香の匂い。

 ハジメがその前に座って、千夏のことを紹介してくれて、手を合わせる。


 数秒経って、ハジメがその場所から離れて、代わりに千夏が座った。

 仏壇の前の座布団に、知りうる限り礼儀正しく、きちんと正座して、ハジメが灯してくれたロウソクに、同じように線香をかざす。


 写真を見る。

 ハジメはお母さんに似ているって言っていたけど、お父さんに似ている部分もちゃんとある。

 目や鼻は確かにお母さんだけど、耳の形や口元はお父さんにそっくりだ。

 美穂ちゃんの笑顔がとにかく可愛い。会えていたら、仲良くなれただろうか。


(部屋の真ん中に飾ってあるのが友達でも恋人でもなく、お兄ちゃんとのツーショットなあたり、もしかして美穂ちゃん、キミはブラコンだったのかな? だとしたら、もしかしたらうちとは喧嘩になったかもしれないね)


 内心でそんな事を思う。

 ハジメを囲むように一緒に居られたら楽しかったかもしれない。そんなあり得たかもしれない光景を幻視する。


「お父さん、お母さん、そして美穂ちゃん。何度もお邪魔しているのに、ご挨拶が遅れてすみません。ハジメくんの彼女になることができました、南野千夏です」


 仏壇に手を合わせるという行為をしたことはあっても、その先の相手に語りかけたいと思ったのは初めてのことで、ただ、手を合わせると、不思議とスラスラと言葉が出てきた。

 心のおもむくままに、話す。

 届いているわけでは無いのだけど、ここには自分とハジメしか居ないのだけど。

 そこに居たら聞いて欲しかったであろう言葉を。


「ハジメ君とはクラスメイトで、この秋まで全然会話もしたことなかったんですけど、そんなうちにもハジメ君は優しくて、きっと、素敵なご両親に育てられたんだなって思います。そして、うちは一人っ子だから、兄弟がいるって言う感覚はわからないけど、きっと、良いお兄ちゃんだったんじゃないかなとも」


 後ろでハジメが動く音がした。

 多分だけど、少し照れてる。見なくてもわかる。

 せっかくだから、ハジメの家族に伝えるつもりで、全部ハジメにも聞いてもらってしまおう。めいいっぱい照れちゃってほしい。そんな風に思う自分のあざとさが新鮮で、でも話したかったのも事実で。


 千夏はそのままありのままを口に載せて、少しの間話し続けた。

 出会ってから、どんなことがあって、千夏がどんな風に感じたか。

 仮面の奥を見つけてもらってどんなに嬉しかったか、知ることができてどんなに苦しかったか、助けてもらってどんなにドキドキしたか。せっかくなら、一度でも直接お話したかったと。


 それは、昨晩の熱を語ってしまって、耐えられなくなったハジメが扉を開けて出ていっても、きちんと話を終えるまで続いたのだった。


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