間章

幕間


「ふぅ……」


 南野涼夏みなみのすずかは、誰もいない個室の中で、ため息をついた。

 つい先程、最近新たに担当してくれた弁護士の方に、すべての情報を投げたところだった。


 常識のないこのような時間帯でも対応してくれるのには驚くしかなかったが、紹介してくれた、最近知り合った年下の知人との関係性からなのだろうか、かなり優遇してくれている。


「あの子に、連絡してきちんと話さなければね」


 誰にというわけでもなく、そう呟く。

 呟きに返してくれる人はおらず、一抹の寂寥感に駆られる。


 着信履歴から娘の名前を押そうとして、まだ押せないでいた。これから話さなければならないことが、その指を重くしていた。


「……きちんと話してあげてください、か。――――はぁ、ほんとにどちらが子供かわかったものじゃないわね」


 娘の友人、というかおそらく恋人に間も無くなるのではないかと期待している少年のことをふと思う。

 まだ数回しか会っていないが、とてもいい子だった。

 ――――そして、同時にとても、哀しげな。


 涼夏は、千夏のことは、どうしても幼少から見てきたからか、子供として扱ってしまう。

 まだ16歳なのだ。身体は大人になりつつあっても、子供。そんな境界の時期。

 でも、電話越しに聞こえたハジメ君の言葉は、涼夏にも刺さった。


『貴方の言う通り、僕らは子供なのでしょう。でも、本当に貴方は僕らくらいの頃、何も考えていない子供でしたか?――――僕は、僕らは子供でも、何もかもよくわからない程子供じゃないんですよ』


 涼夏にも思春期は勿論あった。もう思い出せないほど昔のことのようで、どこか昨日のように思い出すこともできる、そんな時期のことを。

 

 普通に恋をして、友人と遊び、勉強に厭気がさしながら、親とも喧嘩もしながら過ごした、でも今にして思うとかけがえのなかったあの日々。


「ハジメくんは、そんな時に、大人にならざるを得なかったのね」


 そうポツリと呟く。

 そんな彼だから、涼夏は少し期待するようにお願いをしてしまった。

 でも、きっとそれは、本来あってはならない甘えだった。

 

 まさか、あの人があんな強引な無茶をするとは思ってもみなかったのは事実。

 自分にも他人にも甘く、家族には強い内弁慶のようなところはある人だったが、それで夫婦として20年近くやってきたのだ。わかっているつもりだった。


 勿論教育や子育ての方針の違いや、それでいて千夏には耳触りの良いことしか言わないずるさは好きではない部分だった。涼夏の仕事が軌道に乗ってきてからはすれ違いも多くなったのもその通りだ。

 千夏の中学での揉め事以降、喧嘩も絶えない中で外で不倫をしていたことを許すつもりも毛頭ない。

 ――――でも、生まれてからの15年間、自分一人で千夏を育てられたとは全く思わないし、千夏のことを大事にしていたのは、良い父親であったことは確かだった。


 そして、その結果の見込み違いが、家族ではなくなろうと、道が分かたれようとしている中で、勝手にそこだけは変わらないだろうという思い込みが、本来巻き込むべきではなかったハジメ君にまでしわ寄せを向かわせてしまった。


 確かにハジメ君のおかげで、今後の話し合いは優位に働くだろう。でも、本来それを彼に負わせてはならなかった。声だけで、千夏の盾になってくれていたのがわかった。

 きっと必死で、守ろうとしてくれていた。


 あの人との口論を聞かれた後の気の遣い方。叔父の伝手つてですが、と言いながら弁護士を紹介してくれた件。初めて会った時からの受け答え。

 とても高校生とは思えない。――――その有り様が、物哀しくなるほどに。


 彼を見ていると、どうしようもなく、大丈夫だと言ってあげたくなるのだ。

 それが、同情なのだろうと自覚しつつも。

 だからこそ、千夏との仲をからかう時には見せる、年相応の照れや、戸惑いは好ましかった。


「ふふ……私が言える立場でもなくなってしまったけれど、千夏は男の子を見る目があるわね。ちょっとどころではなく背中を押してしまいたくなるくらい。…………そうね、あの子達次第ではあるけれど、今回のこともあるし、それも選択肢の一つかしら?」


 正直、自分が高校生の時に、ハジメ君のような子に興味をもつことがあっただろうか。そう考えて、そうではなかったから今の自分になっていると自嘲気味に思った。


 昔を懐かしむほどにまで年を取ったつもりはないが、自分の娘と、彼を見ていると感じてしまう。邪魔にはなりたくはなかったし、邪魔をさせたくはない。原因の一つである涼夏にはその権利すら無いかもしれないのに、願わずにはいられない。



 ――――どうか、彼ら二人に祝福を。その道程みちのりに幸運を。



 感傷的になっている自覚はあった。気を取り直して、やるべきことをやる。

 

「さて、まずは、きちんと娘と対話しますか」


 スマホを見て、コールを押した。千夏は出てくれるだろうか。

 娘に大人として会話するのも、母親としてではなく一人の人間として話すのも緊張する。

 傷つけてしまうこともあるだろう。気づかなくて良かったことに気づかせてしまうかもしれない。


 それでもきっと、娘を一人にしないでいてくれる子がいるから。


「…………もしもし、千夏? うん、そうね…………一つずつ、話していなかったことも話していくわ」


 せめて、私からも親としての愛情を伝えて。


「まずはごめんなさい。そして、全部話す前に一つだけ…………私はね、貴女が私の娘であってくれて良かったと、いつも想っているわ――――」


 その後の事はきっと、甘えて託してしまってもいい部分ではあるはずだから。


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