7話


「千夏、ちょっとこっちに来なさい」


 佐藤が扉を開けて外に行ったのを確認して、涼夏すずかが呼ぶ声に千夏は近づいた。


「何? そりゃちょっと男の子を、その……お母さんがいない間に連れ込んだのは良くなかったと思ってるけど、うちと佐藤はそんなんじゃ――――」


「違うの、いえ、確かにそういう事を元々は言いたかったんだけど、今はそうじゃないの」


 またお小言かと思っていたが、千夏は涼夏に近づいて気づいた。

 ぶっ倒れて入院をしないといけないほど弱っていたくせに、父親が出ていってからあまり会話も無くて、仕事ばかりだったのに、まるで少女のようなキラキラした目をしていることに。

 そして、この目をつい最近見た気がした。具体的に言うと三鷹のマンションで。


「あまり待たせちゃいけないから一度しか言わないわよ………………でかしたわ千夏」


「…………は?」


 溜められて、涼夏の口から出てきた言葉に、千夏はぽかんと口を開けた。

 ――――ハジメがここに居たら、やはり似ていると思ったかもしれない。


「は? じゃないわよ、いい? ぜーったいに逃しちゃ駄目よ? あんな好物件……もしかしたら二度と無いかもしれないわよ?」


「…………」



「あのね、高校生とか、若いうちはそりゃあ外見とかそういうものにしか目がいかないかもしれないけどね。誠実で、優しくて、きちんとした金銭感覚もあって、しかもそれを他人のために自然と使えるハジメ君みたいな子は、それこそ大学とか社会人になったら見つけられてあっという間に持っていかれちゃうからね!」


「…………」


「ええ、あの子なら良いわ、いくらでも連れ込みなさい。…………節度はきちんとしないといけないのは言うまでもないけれど、私が許可します。千夏、あなたせっかく可愛く生まれて育ったんだから、積極的に行きなさい、頑張りなさいよ?」


 無言となる千夏に、涼夏は病人であることを忘れたように矢継ぎ早に言葉を投げつけていく。

 ――――いや、熱の影響もあるのかもしれない。きっと。


「…………おかあさん?」


 南野千夏は、ジト目で自分の母親を見るという経験を生まれて初めてした。



 ◇◆



 あの後、改めて売店で言われたものを買って涼夏に渡し、再度繰り返すかのように、まさかの男子との仲を応援された千夏は、なんとも言えない表情で病室を出た。


「お疲れ様、ゆっくり寝れば問題ないって話だったし、ずっと仕事で張り詰めていたみたいだったから、却ってお休みを取れてよかったのかな?」


「うん……仕事場の方も働きすぎだって、有給もあるから消化しなさいって言ってくれたみたいで。……本当に良かった、ありがとう。うち一人じゃこんなにちゃんと病院に連れてきたりとかできなかった。それに、タクシー代も、一時的な病院代も、着替えとかも全部――――」


「良いんだって、叔父さんにも生きたお金の使い方をしろって言われてるし、お母さんにまたちゃんと返してもらうから。本当、南野の助けになれてよかったよ…………正直、こんなんじゃ全然返せてないんだけどさ…………あ、ちょっとタクシー捕まえてくる。夜だしそのまま南野の家伝いで、僕ももう家まで乗っちゃおうかな」


 話しながら病院の外に行くと、そう言って佐藤がロータリーへと先に歩いて行った。


 佐藤は優しい。

 そう、佐藤はやはりずっと優しかった。


 変装に気づいたのが千夏の匂いだと言われた時は、恥ずかしさよりも先に笑ってしまったが、よく考えたらそれは匂いで見分けられるほど千夏のことを知っているということで、何ともくすぐったかったし、それで照れる佐藤は可愛かった。


 なのに、当たり前のようにクレープ代は千夏の分も払ってくれて、場所代がわりね、と言ってふんわりと笑う様は、千夏にはスマートに見えた。

 何よりまずいのは、その仕草にも行動にもちょっとどころじゃなくクラっと来ている自分だった。

 

(部屋の中で、お母さんが帰ってこなかったら、絶対あれは――――)


『いくらでも連れ込みなさい。せっかく可愛く生まれて育ったんだから、積極的に行きなさい、頑張りなさいよ?』


 母親にあるまじき――というかあんなことを言う人だと思っていなかった――声が聞こえる。


 いやいや、いくらでも連れ込みなさいって何よ!?


 千夏は赤面しつつ、頭の中から今更新たな面を見せた涼夏を追い出す。叱られると思ったらまさか全力でゴーサインを出されるのは予想の斜め上だった。


 そう、涼夏のこともそうだ。

 あの佐藤の、緊急時の頼り甲斐は何なのだろうか。

 ――――やはり、一人で全てやらないといけなかった経験によるものなのだろうか。


 タクシーに涼夏を載せてくれて、お医者さんの説明にも一緒に付き添ってくれて、起きた涼夏への挨拶も、何というかびっくりするほどに大人っぽかった佐藤。

 かなでさんとの会話もそうだったが、その、佐藤は高校から外に出れば出るほど輝きを増すような気がしていた。


「南野、オッケーみたいだからこっち……ってどうした? 何か顔赤いような」


 佐藤がそう言って迎えに来たのに、ううん、何でも無い、そう答えて千夏は佐藤の隣に並ぶ。

 1ヶ月前よりは、少しばかり近い位置取りで。


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