16話
ビーフシチューは、長く煮込まれた牛肉が口の中で溶けるようでとても美味しかった。
奏さんは落ち着いた雰囲気を作り出してくれる上に話題も豊富で、僕と南野は初めての家にも関わらず気持ちから胃袋からすっかりリラックスさせられていた。
「それで、お二人は恋人さんなのかしら?」
ゴホッ!
だからだろうか、ニコニコした奏さんに急にそんな質問をされて、咄嗟に僕は飲んでいたお茶で咳き込んでしまっていた。
「…………いえ、僕と南野は友人ではありますが、そういう関係ではないですね。それに、彼女は学校でも人気者なので、僕なんかがこうして仲良くなれたのも本当に偶然といいますか」
「あら、そうなの? 部屋に来ていただいてからも、随分とお似合いの雰囲気だったからもうそういう関係なのかと思っていたわ。うーん、駄目ね、こういう職業をしていると、ついついすぐそういう見方をしてしまって。なるほどなるほど、
そう言って奏さんはニコニコしながら、今度は南野にも顔を向けて質問をする。
「いや、だから違う――――」
柔らかい表情に騙されそうになるが、強引に、そして完全にそっちに結びつけようとする奏さんに、僕が少し素で突っ込もうとすると、南野が笑って言った。
「あはは、取材する気満々ですね。そういえばうち、小説家さんにお会いするのって初めてです」
小説家。
そのジャンルは数あれど、その中でも奏さんはミステリ恋愛小説とでも言うのか、少し不思議な物語の中での、高校生や大学生の青春物語を得意とすることで有名な作家、それが門脇奏という女性だった。
ペンネームではなく本名らしく、作品の中には本屋大賞を受賞したこともあり、僕も南野もその名前は知っていた。
美咲さんから最初話を聞いた時は耳を疑ったものだ。
そして、その時に、猫を預かる際に、お話も聞きたいと言っているということも聞いていた。
高校生に会うこともなかなか無いので、参考にしたいとのことだったが、なるほど、作品を知りながらにして
僕と南野は、確かにシロを拾った縁から親しくなったし、お互いに少し素の表情を知り合った仲ではあるし、気安い関係を築けているとも思う。
ただ、やはり学校での南野を見ていると、僕は少し住む世界が違うとも感じてしまうことがあった。
確かにそれは素では無い南野ではあるのだろう。でも、そもそもとして、演じているからといって学年で一二を争う人気者になれる時点で、やはり南野は魅力的であることには変わらないし、偶々今は僕に知られたというだけで、素も含めて受け入れてくれる男など沢山いるだろう。
そんな南野が、僕と恋人かと疑われるのは、分不相応と思ってしまう。それはどうしようもなかった。
しかし、僕のそんな内心とは裏腹に、南野はその持ち前のコミュニケーション能力をふんだんに発揮し、猫との出会いから、僕との関係についても面白おかしく話し始めていた。
奏さんもまた、ニコニコしながらふんふんと首を振りながら聞いている。
聞きながらノートにガリガリと文字が埋まっていっているようだが、次の作品に猫と美少女と冴えない男が登場しないことを祈ろう。
少しいたたまれなくなった僕は、お手洗いを借りるために席を立った。
廊下に出てトイレで用を足して出ると、足元に暖かな感触が広がる。
シロが頭を擦り付けるようにして、僕の足にちょっかいを出してきていた。
「良かったな、奏さんはいい人そうだ、いい子に育つんだぞ」
そう言って白い頭を撫でると、思った以上に強い力で押し返してくる。身体ごと僕に押し付けてくるかのようだ。
僕はそのまましゃがみ込んで、シロの耳の後ろを少し爪を立ててカリカリと掻いてあげる。すると、そのまま左膝に前足を載せて、もっとやれというようにこちらを見てくるのだった。
「ふふ、最後だからな、今日は思う存分やってやるよ」
しかしながら、トイレの前の廊下でずっといるわけにもいかない。
僕はシロを抱き上げてリビングへと戻る。
「あら、最後なんて寂しいわ、よければ、また来てあげてくれるかしら? 勿論千夏さんと二人でもいいし、一人で来てくれてもご飯くらいはご馳走できるわよ」
そうすると、先程の独り言、というかシロへの言葉が聞かれていたのだろうか、奏さんがそんな事を言ってきたことに僕は驚く。
「南野と一緒にってのは、結構奏さんの創作意欲のためな気もしますが、でも、良いんですか? その、僕なんかにそんなに」
奏さんはいわゆる有名人にあたる。
そんな彼女と近づきたいファンの方はそれこそ大勢いるだろう。
社交性も高くて、魅力的な南野はわかるが、偶々子猫を連れてきた僕にまで親しくしてくれるのは美咲さんの紹介というのもあるのだろうか。
「勿論よ…………聞かせてもらった千夏さんのお話でも、今のシロちゃんへの表情でも、ハジメ君は優しい子ってわかるから。そんな子はいつでも歓迎させてもらいたいわ」
「……光栄です」
ちらっとどんな風に話したのかと南野に視線を向ける。
気づいた南野は、ぐっと親指を立ててきた。違う、そうじゃない。
「ただ、さっき千夏さんとも話していたのだけど、『僕なんか』、っていうのはちょっと減点ポイントね。ハジメ君は、自分で思っているよりもよほど素敵な男の子よ。大丈夫、この私が保証してあげるわ」
「いや、出会って2時間も経っていない方に保証されましても」
まるで長い付き合いかのように保証する奏さんに呆れたように言う。
「そんなことないって、佐藤はもう少し美咲さんのところでバスケやってる時みたいに自分を出したら素敵だと思うよ」
「南野まで乗っかって僕をからかわないでよ。でもまぁ、ありがとう。それにそうだね、また様子を見に来るから最後ってのは違ったかな?」
なーに? というように喉を鳴らしてこちらを見てくるシロを撫でながら、僕は言った。
「そうよ、シロちゃんもその方が良いわよね?」
ニャ―。
普段めったに鳴かない声を、いいタイミングでシロが挙げるものだから、ふふ、と三人で笑ってしまう。僕はまだ、シロとお別れというわけではないみたいだ。そして、おそらく南野とも。
こうして、ふとしたことで拾った子猫は、優しい飼い主のもとに届けられることになったのだった。
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