第8話 勇者様、見つめ合う
オレンは走る、少女の影を追って。息を切らして、ホテルを駆け回り、階段を駆け上がり、ピンク髪の少女を探す。見失った周囲からホテルの通路を虱潰しに駆け回る。しかし、時すでに遅く少女の姿をみつけることは叶わなかった。流石に個室一つ一つを調べるわけにもいかず、途方に暮れていると、ふと外につながるバルコニーが目に入った。
それは昨日の夜、少女が空を飛んでオレンの元にやってきた場所。今少女は、そこにいないが、オレンはなんとなく気になってバルコニーに降りてみる。そして、そこから昨日の出来事を思い出し、ちょうど自分の馬車が空を飛んだ当たりをみつめる。外を眺めながら、昨日起こった事、そして、今日言われた言葉を噛みしめる。それは、質の悪いイタズラだったんじゃないかと思えるほど、そのどちらもがこれまでの日常から逸脱した出来事だったが、紛れもない現実だった。それを確かめる為に、オレンはもう一度、ヒナを探そうと振り返る。そして偶然にも、その振り返りの視界の中に、庭園を歩く特徴的なピンクの髪をみつけた。
オレンはすぐさま全力で走った。庭園でみつけたピンク髪の少女のところまで。そして、息を切らしてヒナの前に立った。
「はぁ…。はぁ…。あの、ヒナさん。」
「なんですか?」 荒い息のオレンを前にしても、ヒナの反応はさきほどと変わらない無表情である。
「今、少しお話できますか?」
「はい、みんなが来るまでなら。」 その即答は、オレンにとって意外な応えだった。
その短い言葉と、昨日の出来事から憶測すると、おそらく、ここで『メティスの大盾』のメンバーと待ち合わせでもしているのだろうとわかった。いつまでかはわからないが、取り合えず会話ができて、オレンは安堵する。自然と二人は、庭園を並んで歩きだした。そして、オレンは息が整うにつれて、気づく、この今の状況に。この状況は自分が望んだものだが、その望みが叶った後の状況に対応できるだけの経験が、オレンにはまだなかった。自分を「特別な人」と言った異性を、意識せずにはいられない。だが、どうするのが良いのか、という知識も経験も覚悟も用意できていなかった。数秒前の安堵が嘘のように鼓動が高鳴る。「特別」の意味を聞きたいのだが、緊張が思考を鈍らせる。鈍った思考で、オレンは取り合えず昨日のことをペラペラと捲し立てていた。
「あの、俺、家がリンゴ農家で今朝もリンゴ取って出荷してきて、それで昨日も、リンゴの納入でこのホテルにきて、そこで偶然、君の就任パーティーみて、そこでブラッドさんと会話して、この六年間の重荷から解放された気になって、その帰りで君の魔法で空飛んで・・・」
昨日の出来事をただただ羅列しただけの、まるで幼児が書いた日記の朗読。それは、相手の気持ちなど1mmも考慮していない、会話とは言えないシロモノだった。今この瞬間を、大人になって振り返ったとき、吐き気を催すレベルの完全なる黒歴史。オレンが大人になってから「もし、昔に戻って何かをやり直せるなら、いつに戻りますか?」 と聞かれたら、間違いなく今を選ぶだろう。しかし、今を生きる坊やは止まらない。
「あ、それであの時助けた猫。ピアちゃん? は元気ですか?」
「元気。ご飯もよく食べる。」
普通の女性なら99.99%不快に思う会話に対して、ヒナの反応は変わらない無表情だった。
「でも今日は、しょうがないから妹に預けてきた。」
無表情のなかにみせる、少しの不機嫌さはオレンとは関係のないことに対してのものだった。
「え? 妹がいるんですか? 俺にも妹がいるんですよ。2つ下でミーヤっていうんですけどね。ミーヤも魔法が使えるんですよ、そらもう勇者のヒナさんと比べたら、全然大したことないですけどね。親代わりの俺の心配をよそに、学校でお友達と好き勝手してるみたいです。まあでも、なんだかんだいっても、可愛いもんですよ、妹は。」
変なスイッチが入ったままのオレンは、一方的な会話を続ける。並んで歩いていた二人だが、このオレンの言葉を聞いて、ヒナはピタリと足を止めた。
「それでミーヤは、すごい勇者オタクで、あ、こう言うとアイツ怒るんですけど……。 ん? あれ?」
オレンは話続ける中、数歩進んでから、隣にヒナがいないことに気づく。
(あ…… やっちまったー!!)
やっとスイッチが切れたオレンは、自分が何をやったのか理解する。耳の裏が熱くなるような照れくささを感じながら、慌ててヒナのところに駆け寄った。そして、その場に立ち止まっているヒナの顔をうかがう。しかし、そんなオレンの不安をよそに、
「妹は……可愛い……。」
そう呟いたヒナは、これまで見せたことのない満面の笑みを浮かべていた。そして、その笑顔は、オレンの心を打ち抜くのに十分な破壊力があった。たったそれだけの事が、これまでの事を全て霧散させ、オレンは言葉を失う。二人は丁度向かい合う位置となり、偶然にも見つめ合う恰好になっていた。その身近な笑顔は、オレンにとって永遠の瞬間だった。だがしかし、ヒナがオレンを見つめているかどうかには疑問の余地がある。そしてその永遠は、数瞬で破られた。
「あっれれれ~~。」 聞き覚えのある声が、オレンの後ろから飛んでくる。
「ひぃ~なちゃ~ん。その人どなた?」
ヒナのところに走ってきたのは、『メティスの大楯』のメンバーであるエルフのルーナ。今日は昨日のドレスとは違い、革製のコルセットに合わせたパンツスタイルの動きやすい出で立ちだった。ルーナはエルフの長い耳を大きく揺らして、とても嬉しそうな表情でヒナにまとわりついてみせる。
「この人は、特別な人。」 ルーナの問に、ヒナはその言葉を三度、応える。
「あらあらあら。まあまあまあ。」
「うちのヒナがお世話になっております。」
ルーナは今度はオレンの方を見て、長い耳を一層激しく揺らし、まるで母親のように、頭を下げ挨拶する。そして頭を上げて目に映ったその見覚えのある顔に、すぐ気付いた。
「あら? 誰かと思ったら昨日のパーティーの少年じゃない? ヒナの彼氏だったのね。」
「違います!」 ルーナの言葉に、かぶせ気味にオレンは即答する。
「え? どういうこと? んー、まさか…。ストーカーかなにかなのかしら?」 ルーナは茶化して尋ねる。
「違い……。」
「ます」と言いたいところだが、追いかけて来て、ウザがらみしてるという、自分のやっていることを顧みると、否定できないことに気づくオレン。その反応をみて、ルーナの表情から笑みが消える。
「ふーん。 そういうこと…。あんたさぁ…、いい度胸してるじゃない!」
ルーナの言葉に怒気が込められると、ルーナが握りしめた手の辺りに氷の結晶の様なものがキラキラと光りだす。周囲の温度が下がり、オレンはゾクッと寒気に襲われる。
「ルーナさん。やめて。」 と、ルーナの開いている方の手を引っ張って、ヒナは言う。
ヒナがそう言うと、ルーナの握りしめた手が緩む。それに伴い周囲の温度も戻り、氷の結晶も姿を消した。
「なによなによ、ヒナがいいならいいけど。ホントにいいの?」 怪訝な表情のルーナ。
「いい。それより皆のところに行こう。」
そう言いながら、ヒナはルーナの背中を押す。押されながらルーナは、
「少年! 次はないからね!」 と、捨て台詞を吐いて、二人は去って行った。
オレンはあまりに理不尽に怒られて、その場に一人取り残された。呆然自失のオレンには、それ以降のその日の記憶がない。頭が回らない状態で、身体だけが覚えている行動をとる。その後のオレンは、いつものごとく馬車に乗ってホテルを出て、いつものごとく村に戻り、いつものごとく家に帰り、いつものごとく明日の準備をして、いつものごとく食事をし、いつものごとく妹と会話して、いつものごとく寝た。
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