第14話 犯罪組織の通過儀礼
運送会社の通常勤務終了後。
ムルティスは、ガナーハ軍曹の導きで、港沿いの湾岸倉庫にやってきた。
潮風で錆びたフレームにも、屋外に積み上げられた磯臭いパレットにも、犯罪組織の拠点にふさわしい怪しさがあった。
敷地内で監視カメラが機能しているが、管理しているのは運送会社であって、警察ではない。
もし犯罪に不利な証拠があっても、録画から消去されるのがオチだ。
ガナーハ軍曹は、監視カメラに顔を見せながら、湾岸倉庫のドアをノックした。
ドアの向こう側に、人間が立つ気配があって、のぞき窓から来訪者を確認。
鍵が解除されて、ドアを開けたのは、ワーウルフのリゼ少尉だった。
「ようこそ、【新人】の上等兵くん」
まさかリゼ少尉までクロだとは思わなかったので、ムルティスはごくりと息をのんでしまった。
魔法使いまで犯罪組織に引き込んでいるとなれば、チェリト大尉は本格的に裏の商売をやっているんだろう。
もちろんムルティスは、彼らが犯罪組織を結成していることを知らない設定なので、困り顔のままリゼ少尉に話しかけた。
「大尉から、たくさん稼げる仕事があると聞いています」
「中に入って。大尉も待ってるから」
湾岸倉庫は、仕事道具の荷物置き場になっていた。自動車や銃火器の整備道具であるとか、窃盗や処刑に役立ちそうな怪しい道具である。
そんな倉庫の中央部に、ギャングのクラブハウスみたいな一角があった。
チェリト大尉は、クラブハウスのカウンターバーで、カクテルを作っていた。
「お前は第六中隊の仲間だから、特別扱いで念のために聞く。なんでもやる覚悟は本当に決まってるな? もしその気がないなら、いまから引き返してもいい。なにも知らなかったことにして、普通に運送の仕事を続けろ」
もし同じ部隊の仲間じゃなかったら、この時点で帰ろうとしただけで、口封じのために始末されるんだろう。
だがムルティスは、第六中隊の仲間だから、温情をかけられている。
それだけ信頼されているのだ。
しかしムルティスは警察の犬であり、すでにチェリト大尉を裏切っている。
ずきりと心が痛む。自分がいかに薄情者か自覚した。
だが妹の心臓移植を成功させるためには、立ち止まるわけにはいかなかった。
「大丈夫です、やれます」
力強い返事をした。裏社会という名の茨の道を走る抜けるために。
「わかった。ならそれを証明してくれ」
チェリト大尉は、カウンターの下から白く煌めくものを取り出した。
軍用のコンバットナイフ。
元軍人であれば、誰でも知っている武器である。戦場では兵士の標準装備であり、ムルティスだって装備していた。
そんな使い慣れた武器で、なにを証明するのか?
ガナーハ軍曹と、リゼ少尉が、ある男を連れてきた。
留置所で一緒だった、青い鱗のリザードマンである。彼は売人をやって稼いでいるはずだが、なぜかロープで縛られていた。
「こ、殺さないでくれ、頼む! 悪気はなかったんだ、本当なんだ!」
どうやら彼を殺すことが、犯罪組織に入るための通過儀礼になるらしい。
チェリト大尉らしい合理的な踏み絵だ。
殺人という共犯関係を成立させれば、密告や裏切りを防げるし、なにより犯罪組織に入るための覚悟を見極められる。
だがなんの理由もなく処刑しろといわれても、いくら戦場で大暴れしたムルティスでも抵抗があった。
「大尉、この男と留置所で一緒だったんですけど、いったいなにがあったんです?」
チェリト大尉は、空のポーションボトルを取り出した。
「うちの【積み荷】を盗んで、勝手に売りさばこうとしたのさ」
青い鱗のリザードマンが売人として取り扱っていた違法なブツは、BMPだった。
しかも正当な取引ではなく、チェリト大尉の組織からBMPを盗んで、勝手に売りさばこうとしたようだ。
きっと裏社会のルールで考えれば、こんな間抜け死んで当然なんだろう。
ムルティスだって、自業自得だと思う。
だが、いざコンバットナイフを握ってみたら、急所に突き刺す気持ちが湧いてこなかった。
殺人そのものに抵抗があるわけではない。
戦場では何百人と殺しているんだから、いまさらウブな【童貞】みたいなことを言えるはずがない。
しかし戦場を離れてから二か月も経過しているし、なにより自分の利害に関わらない相手を殺すことに抵抗があった。
兵士として戦場で敵兵を殺すのと、犯罪組織の一員として敵を殺すのでは、殺人の重みも意味合いも違うようだ。
だがしかし、いますぐ売人を殺せなかったら、犯罪組織に入る覚悟もないのに裏社会に近づいた愚か者として、ムルティスが処刑されてしまう。
ガナーハ軍曹が、助け船を出した。
「大尉。いくら上等兵でも、戦場を離れてから二か月も経っているわけですから、ナイフキルは抵抗があるでしょう。オレの拳銃を貸してもいいですか?」
チェリト大尉は、厳かにうなずいた。
「いいだろう、許可する」
ガナーハ軍曹は、懐から拳銃を取り出して、ムルティスに握らせた。
「敵は防弾装備を身に着けていないから、胴体を狙えばいい」
ムルティスは拳銃を握ると、スライドを軽く引いて薬室をチェック。すでに弾丸が装填されている。普通の九ミリ弾だ。
だが拳銃は密造品らしく精度が悪い。ガナーハ軍曹のアドバイスどおり、頭を狙わずに胴体を狙ったほうがいいだろう。
ムルティスは、戦場でも散々やったように、銃口を売人に向けた。
売人は、女みたいに悲鳴を上げた。
「こ、殺さないでくれ! 同じ留置場に入った仲だろう! たのむ、たのむぅ! おれには妹がいるんだ、妹を食わせるために、この仕事をしてるんだ! 頼むよぉ、なんでもするから、殺さないでくれ!」
ムルティスは、衝撃を受けた。
よりによって、自分と同じ動機で裏の仕事に手を染めているなんて、射殺するのが難しくなってしまった。
どうせ赤の他人を殺すなら、相手の事情なんて知らないほうが気楽に撃てた。
だがちょっとでも顔見知りになってしまうと、引き金を重く感じてしまう。
すべては妹のため、すべては妹のため。
いつもと同じおまじないを唱えてなんとかしようとしたら、青い鱗のリザードマンにも妹がいることを思い出して、さらに気が重くなった。
彼の妹は、どんな子なんだろうか。うちのミコットと同じように、いい子なんだろうか。
もしこの男を殺したら、彼の妹は困らないだろうか。
あれこれと葛藤しているわけだが、これ以上時間を引き延ばすと、ムルティスが口封じのために殺されてしまう。
自分の身を守るため、妹のミコットの心臓移植を成功させるため、ついに引き金を絞った。
戦場での経験が総動員されて、機械的に五連射した。
拳銃弾で相手を確殺したければ、一発ではなく複数回命中させなければならない。
売人の胴体に五つの赤い染みが生まれて、まるで糸の切れた人形みたいに倒れた。
目は虚空を見つめていて、呼吸も停止している。
売人を確実に殺した。戦場で学んだ技術を使って。
いくら潜入捜査であっても、平和な都市の内部で誰かを殺すことは罪深い。
しかし他の道がなかった。やるしかなかった。
すーっと深呼吸して心を落ち着けてから、拳銃に安全装置をかけて、ガナーハ軍曹に返した。
「助かりました軍曹。ナイフと違って抵抗が少なかったです」
ガナーハ軍曹は、こくこくとうなずいてから、拳銃をドラム缶に入れた。
「証拠はすべて隠滅だ。自分の武器を持つチャンスはない」
ドラム缶は化学薬品で満たされていた。どうやら死体を溶かすために用意してあったらしい。
ムルティスは、なんでガナーハ軍曹の拳銃が、あんなに精度の悪い密造品なのか理解した。
「最初から使い捨てるために、密造銃を持ってたんですか。軍曹らしくないと思ってましたよ」
「裏の仕事で使う武器は、一度でも使ったら廃棄処分だ。なんでも証拠になるからな」
ガナーハ軍曹は、売人の死体を担ごうとした。
「手伝いますよ、俺が撃ったんですから」
ムルティスは、死体の下半身を持った。
自分の手で射殺した死体を運ぶと、ちくりと心が痛んだ。
彼の妹は、一人で生きていけるんだろうか。路頭に迷わず、強く生きてほしいが。
と考えていたら、リゼ少尉も死体の腕を持った。
「あたしも手伝ってあげる。こんなの重いだけで簡単だからね」
ムルティスは、営業用のスーツを着たリゼ少尉が死体を運んでいることに、哀愁を感じた。
「少尉みたいな高級人材が売人の死体運びなんて、とんでもない世の中になりましたね」
リゼ少尉は自虐気味に笑った。
「とんでもない世の中になったから、こういう仕事に抵抗がなくなったのよ」
きっと軍人が不当な扱いを受けるほど、裏の仕事に走るやつが増えるんだろう。
ムルティスだって不当な扱いを受けてきたから、チェリト大尉の犯罪組織をそこまで悪いことだと思えなくなっていた。
ただし売人を射殺したことで、彼の妹が生活に困っていることを想像してしまって、とても気持ちが重くなっていた。
あとで売人の家を調べて、彼の妹がひとりで生きていけるのか確かめよう。
そう思いながら、売人の死体をドラム缶に放り込むと、チェリト大尉が蓋を閉じた。
「どうだ上等兵。裏の仕事は、戦場にいたころと同じだろう?」
ムルティスは、チェリト大尉の言葉を噛みしめた。
売人の死体をドラム缶に運ぶときの雰囲気は、まさしく戦場にいたころと同じだった。
それは善悪では語れないほど、己の魂に染みついた生活習慣と合致していた。
もちろん法律や倫理で語るなら、射殺した売人の死体をドラム缶に放り込んで、証拠の拳銃と一緒に化学薬品で溶かす行為は【悪】である。
しかし三年間の戦争で染みついた魂の香りに、あまりにも適合しすぎていた。
潜入捜査を始めるまでは、てっきり戦争さえ終われば、自分は普通の人間に戻るんだろうと思っていた。
だが違っていた。
あの三年間は、平凡な男子高校生を、血と硝煙にまみれた十九歳の獣に変えていた。
だがしかし、妹のミコットを救いたい気持ちは本物だ。
ならば潜入捜査の仕事をきっちりやったほうがいい。
売人の死体が溶けたころ、ムルティスはこっそりブローチを調べた。
まったく反応していない。どうやらこの湾岸倉庫にも暗黒の契約書はないらしい。
だが暗黒の契約書の厄介なところは、形状が本であるため、持ち運びが容易なことだ。
いま湾岸倉庫に置いていなくとも、いつか持ち込まれる可能性があるため、常に警戒しておくべきだった。
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