第13話 犯罪組織の入り口

 ディランジー少佐と綿密な会議をした結果、妹の心臓移植についてチェリト大尉に明かすのは、初任給の支給日に決定した。


 なぜ初任給の日になったかといえば、いくら事情があるとはいえ、勤務して二日目に高額報酬の仕事を欲しがるなんて、絶対に怪しまれるからだ。


 こうして三週間ほど、普通に運送会社の社員として働くことになった。


 肉体的には大変な仕事だが、精神的には充実していた。


 ひとりの人間として適切に扱われるので、いっそのこと潜入捜査を忘れることにした。


 そうすれば、嘘をつくだとか、暗黒の契約書だとか考えないでも、ただ真面目に労働者をやればいいだけだからだ。


「軍曹、労働はいいですね」


 ムルティスは、額に汗しながら、一生懸命働いた。


「お前も仕事に慣れたんだな」


 ガナーハ軍曹は、いつものように淡々と感情表現していた。


「軍曹のおかげですよ」


 ガナーハ軍曹とコンビを組んで荷物を運ぶのは、どんな娯楽よりも楽しく、労働の喜びに酔いしれていた。


 お昼の休憩、トラックの座席に座ったまま、総菜パンとインスタント食品を食べているだけで、幸せだった。


 もういっそこのまま普通に働きたいので、暗黒の契約書なんて消えてしまえばいいのにと思っていた。


 だが現実はムルティスの淡い願望を打ち砕いた。


 決行日がやってきた。


 給料日である。


 運送会社の社員たちが、事務所で配られた給料明細を見て、ああだこうだと感想を述べていた。


 ムルティスも事務所で給料明細を受け取ると、周囲の社員たちの流れにあわせて、ぼそっとつぶやいた。


「あれだけ働いたのに、給料はこんなもんですか」


 本当は給料の額に満足しているのに、犯罪組織に接近するために嘘をついた。


 最初に食いついたのは、仕事の相棒であるガナーハ軍曹だ。


「国内の平均よりやや低い月収だが、悪いものではないはずだ」


「そういうことなんでしょうけど、もっとたくさん稼ぎたいんですよね」


「車でも欲しいのか?」


 きっかけを作るための質問を、ガナーハ軍曹がしてくれた。


 本当にありがたい。


 だが嘘をついて会話の流れをコントロールするのは、心苦しかった。


 しかしもう引き返せない。


 妹を助けるためには、やるしかないのだ。


「妹が心臓の病気なんです。しかも心臓を移植しなきゃ治らないらしくて、そのための費用を稼ぎたいんですよ」


「なんだって?」


 ガナーハ軍曹の表情が露骨に崩れた。


 普段、感情表現の少ない男が、こんなに驚くなんて、よっぽどの情報だったんだろう。


 ムルティスは演技の手ごたえを感じつつ、やはり嘘をつくことへの罪悪感で心が重くなった。


 しかし妹のやせ細った姿を脳裏に思い浮かべることで、罪の意識を消し去ると、詳しい内容を語った。


「戦争いってる間に、診断が出たんですよ。妹は生まれつき心臓が弱かったらしくて、もはや移植以外じゃ生き残れないって。でも移植費用って高いじゃないですか。だからもっと稼ぎたいんですよね。残業とかしたら、もっと給料増えるんでしょうか?」


「移植費用は、いくらなんだ?」


「二億ゴールド」


 桁違いの金額に、ガナーハ軍曹は表情を曇らせた。


「…………普通に働いたら、その金額は稼げないな」


「そうですよね……」


 ムルティスは落胆した。演技ではない。ガナーハ軍曹みたいな戦場でお世話になった兄貴分に、お金の現実を突きつけられると、悲しくなったのだ。


 だが潜入捜査としての狙いは成功したようだ。


 給料と心臓移植の会話は、デスクワーク中のチェリト大尉も聞いていた。


「ムルティス上等兵。たくさん稼ぎたいのか?」


 かかった、とムルティスは内心ガッツポーズした。


 だがまさか獲物を捕まえたハンターみたいな顔をするわけにはいかないので、驚きの表情を浮かべる。


「え、あ、はい。残業とか、ダブルワークとか、なんでもいいですから、稼ぎを増やしたいです」


「……上等兵、どんな仕事でもするか?」


 チェリト大尉の問いかけには、裏社会の匂いがぷんぷん漂っていた。


 運送会社を隠れ蓑にした、犯罪組織へのお誘いだからである。


 あとはどれぐらい自然に勧誘を受けて、どれぐらい自然に加入するかだ。


 だがしかし、ムルティスが望んでいない事実も発覚してしまった。


 ガナーハ軍曹が、チェリト大尉と意味深に目を合わせて、なにやら小声でぼそぼそ会議しているのだ。


 確定だ、ガナーハ軍曹も犯罪組織の一員である。


 兄貴分である彼には、裏の仕事に関わっていてほしくなかった。


 だが現実として、黒い流れに組み込まれていた。


 戦争の爪痕は、彼みたいな情に厚い人間ですら、おかしくしてしまう。


 ムルティスは、かなり落ち込んだ。だが表情に出すわけにもいかないので、新しい情報に戸惑う新人を演じた。


「あのぉ大尉、その稼げる仕事というのは、かなりのハードワークなんでしょうか?」


 チェリト大尉は、まるで最前線にいたときみたいな深刻な顔で、ムルティスに耳打ちした。


「多くは語れないんだが、とにかく金になる仕事がある。ただし…………いろいろ捨てる覚悟がいるぞ」


 どんな鈍感なやつでも、こんなどす黒い圧力をぶつけられたら、普通の仕事ではないと察するだろう。


 もしムルティスが、潜入捜査なんて任務を請け負っていなかったら、この誘いを断っていたはずだ。


 だが断れば、潜入捜査に失敗して、妹の心臓移植は実現しなくなってしまう。


 すべては妹のため、すべては妹のため。


 自分を納得させるおまじないを心の中で唱えてから、ムルティスはうなずいた。


「なんでもやります。妹を助けたいんです」

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