花園の女王蜂②



「ねえ、そう思うでしょ? ――センセイ。来栖くるす五百奈いおなセンセイ」


 舌なめずりをする咲弥を前に、その女性は目に見えて狼狽うろたえた。言っている意味が分からない、としどろもどろに声を絞り出す。


「え……き、鬼頭さん? これは、なんの冗談かしら……?」


 体育館、その壇上から語り掛ける咲弥に対し、の来栖五百奈が顔を曇らせる。


「やだなぁ、ボクは冗談は言っても嘘は言いません。そもそもこれは、冗談ですらない真実じゃないですか」


 しかしその顔はあまりにも艶やかだった。なまめかしい、と言ってもいい。「あれ、冗談に聞こえましたか?」と小首を傾げる様も、来栖五百奈を挟んで離れた位置にいる俺からよく見えた。

 ……そう、ここまで香りが届いているのだ、内心の焦り様は表面の比ではないだろう。


「そもそも、呼び出したのは墨染さんです。彼女はどこに……!?」

「うん、同意の上で騙してくれましたよ?」

「な……なんてこと! 遠野さんの死から喪が明けずにこんな非道を目論むなんて……!」

「みんな失楽園を受け入れてくれた。空っぽの巣の中で女王蜂でいるのは限界じゃないかしら?」


 押し問答に飽きたのか、咲弥が壇上からひらりと飛び降りる。


 ――女王蜂。

 その表現が皮肉なほどに、来栖五百奈の容姿は美しかった。


 美しさにも千差万別の種類がある。好みがある。それは道理だが、美貌は頭のてっぺんから爪先まで研磨したかのような不自然さがあった。

 自分磨き、などという比喩表現ではない。爪、髪、肌のキメや血色、目鼻立ちを含めた骨格……それらすべてのパラメータを限界値まで上げたような不自然さだ。努力どうこうどころか、生まれ持った資質だけでもこうはなるまい。


「……これを見ても、まだそんな口が聞けるなら感動ものだけど」


 咲弥がポケットから恭しく取り出したのは、一枚の写真だった。こちらからはおぼろげにしか見えないが、内実は周知の元だ。


「っ!」


 それは、来栖五百奈の写真。

 


 新年度の折、同窓会の広報紙用に撮られた、ほんの数か月前の姿――今とはまるで別人。


「人間は急激に痩せると、皮が余っちゃうなんて話、センセイも聞いたことあるんじゃないですか?」


 しかし、来栖五百奈の痩身にそんな努力の痕跡は見当たらない。

 【エス】として『変質』する際、莫大なカロリーを必要とする。それゆえ心を病んだ【エス】は、人喰いの怪物へと堕ちる……ここまでは一般論だ。

 、思いがけない事実だったが。


「しらばっくれるのも、そろそろ限界じゃないですか?」

「しらばっくれるもなにも、本当になにを言っているのか、さっぱり分からないわ――」


 きびすを返した来栖五百奈が、俺へと体を寄せる。

 濃密な花の匂いが、蠱惑的に鼻腔をくすぐった。


「――ねえ、そう思いませんか? 鬼頭さんの付き人さん」

「申し訳ありませんが、」


 しなだれかかってきた体を押し返して、顔を背ける。


「俺はそうは思いませんし、あいつの付き人でもありませんよ。あと失礼ですけど、香水の匂いがキツいです」

「あ、え?」

「あはははは! フラれちゃった!」


 呆気に取られた来栖五百奈が、笑い声に弾かれたように咲弥を睨みつける。


「十近く年下の男に色仕掛けとか、見境なさすぎですよ~」

「い、色仕掛けなんて、そんなはしたないこと……」

「自分のフェロモンが通じなくて、内心凄く動揺してるんじゃないですか? ――この期に及んでカマトトぶるのはみっともないですよ、センセイ」


 煽るばかりで話が進まないと嘆息して、俺は「同じような反応があった……その相手が遠野綿花ですね?」と切り出した。


「フェロモンも万能ではない。効かない相手がいる――その絶対条件までは分かりませんが、遠野綿花の家族の証言から浮かび上がりました」


 それは、俺や咲弥にも当て嵌まる。


「は――」

「遠野綿花は恋心か憧憬かは分かりませんが、思いを寄せる相手がいたということです」


 呪縛をほどくのは真の愛だとは、童話もかくやの条件だったが。

 四十歳に差し掛かったアラフォー女性が、なんの魔法か、若い自分達よりも美しく変貌を遂げて誘惑し、挙句「永遠に若く、永遠に美しく、永遠に楽園で過ごせる」という甘言を弄して処女の生き血を求めてくれば、誰しも吸血鬼と呼ばざるを得ない。かつ、フェロモンと相まって、女子高生には真として捉えられたと考えられる。


 心から酩酊した少女達の花園――貪り食らうは女王蜂。


 ……そう、女王蜂だ。

 所詮しょせんは新興宗教を気取りながら、高校のいち教室でしか君臨できなかった虫ケラでしかない。


「俺も咲弥も、もうその席は予約済みですし、遠野綿花もまた同様だったということですよ」

「そういうこと。残念ね、椅子取りゲームで負けちゃって」


 そのデリカシーのない一言が、とうとう堪忍袋の緒を切ったのだろう。


「あ――」

「あ?」

「あんたみたいな小娘が! 知ったような口を利くなッ!」


 美貌は鬼面と成り果てる。


「いいわよねぇ家も顔も、頭まで恵まれてて! それを当たり前だと甘受して! これまでなんの苦労もしたことなかった温室育ちのくせに……みんなみんなあたしを莫迦にして! 行き遅れだの女が終わっただの、誰にも迷惑かけずに生きてるだけなのに、なにが多様性の社会ダイバーシティよ! 結局は寛容さのポーズってだけじゃない!」


 とうとう本性を露わにした来栖五百奈が、髪を振り乱して怒鳴りつける。

 若さへの嫉妬――否、色眼鏡ステータスでしかものを見ない社会への憤怒。これが彼女の『病因』か。


「有り余るほど持ってるなら、あたしが少しくらい貪ったっていいじゃない! どうせあんた達には、明るい未来って奴があるんだから!」


 五百あまたに示した大いなる来栖じゅうじかは、偶像としての在り方を完全に失った。


「あたしに逆らうなッ!! 他の木偶の坊みたく、あたしに血を捧げてりゃいいのよ!!」

「あははは、面白いこと言うわね」


 咲弥が冷ややかな眼差しを送るのも無理はない。若さは弱さへの擁護に繋がるが、輝かしい未来に待ち受けているのは、先人達の負債である。今の子供達は、明るい世界いまを生きてはいない。それが分からない以上、彼女も無責任な大人の一人である。


 来栖五百奈の異議申し立ては、結局のところ被害妄想が誇大化した、身勝手な搾取の自己弁護に過ぎないのだ。


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