事の起こり⑤



 草薙初音の家は、マンションの二部屋にまたがっている。仕事や応接を行う側は、それこそデザイナーズオフィスのように小洒落ているが、いわゆる生活圏である側は真逆だ。

 もっとバリアフリーに特化しているとかではなく、単純な話、生活感に溢れて汚いというだけのこと。


 それを片付けるのが俺達の仕事なのだが……いかんせん骨が折れる。たかだか一日でどうしてこうも汚れるのだと内心毒づきつつ、今日もまた丁寧に掃除を行い、貴重な汗水を垂らす。


「おー、お疲れ様。それならお茶にでもしようか。貰い物のお菓子はないけれど」

「えーっ! ボクお腹空いたんだけど! カルボナーラ、ベーコン抜きが食べたい気分!」


 そうして終わった頃、別件を済ませたらしい草薙さんが戻ってきた。


「はいはい。それは君のところであったっていう、吸血鬼事件の話をしてからね」


 どうやら別件の合間に、咲弥早退とその理由がメッセージかなにかで届いていたらしい。そりゃそうだ。一応保護者兼雇い主なのだから当然である。

 さしもの咲弥も納得したらしく、ぶーぶー文句を言いたけな唇を尖らせたまま、大人しく引いた。


 談話のお供となるのは、空腹をおもんばかって紅茶だ。

 ティーバッグだが、ミルクをたっぷり入れて安物の渋みをごまかす。


「うん。ありがとう、大和くん」


 使用人の俺に茶の一つでも淹れるスキルがあればよかったのだろうが、草薙さんもお茶の味をとやかく言うほど細かい性質タチではない。メイドなどでも、掃除をするのと食事や茶の提供をするのは別業務らしい。そんな蘊蓄うんちくを説いていたのが草薙さん本人なのだから、これで本当に構わないのだろう。


 終わらなければ食事ができないと理解した咲弥は、観念したように先程の話を復唱した――被害者の遠野綿花。由緒正しい家柄の多い中学入学組で、同じく中学入学組のリーダー格である墨染薫とは、幼馴染の間柄。高校入学組の織田澪子。

 そして、生贄スケープゴートにされかねないのが、我らが鬼頭咲弥。


「……なるほどね。嫌な状況だ」


 紅茶でぬくもったはずの吐息が冷めている。


「確かに良くない状況ではありますけど、そんなのこいつを一旦自主休校させればいいじゃないですか」

「それはもう三条の方と話をつけてある」

「ええーっ……まあいいけど」

「いいのかよ」

「勉強とか内申点は困るけど、死ぬわけじゃないし――この場合は『殺されるかもしれないし』が正しいのかしら」

「物騒なこと言うな」

「なってるじゃない、物騒なこと」


 それはそうなのだが、とにかく舌を出してまであっけらかんと言うことではない。


「とまあ、早い話が三条の方でも『秘密裏に解決してほしい』という依頼が来ているらしくてね。それがなんと墨染薫の父親と来たもんだ」


 ……嫌に話が早すぎる、と思わざるを得ない。

 むしろ愛娘が疑いの目と危機に晒されたのだから、それくらいがむしゃらに動いて然るべきなのだろうか。


「明らかに怪しい、と眉をひそめる気持ちは分かるよ。大和くん」


 どうやら顔に出ていたらしい疑念を、草薙さんは指摘する。


「斥候たる私達が失敗すれば、あのクラスは時期をちょっと先取りした新型インフルエンザにかこつけた学級閉鎖だ。自宅待機という軟禁状態にされてまで、正体を隠し通せるお利口さんな【エス】はいない」

「……俺達に『わざと失敗しろ』ってことですか?」

「ああ、違う違う」


 俺の考察を否定するように、草薙さんは空っぽのカップを振る。


「依頼してきた墨染薫の父親は、自分の娘が【エス】だなんて微塵も思っちゃいなかったよ――『自分の娘には、なに不自由なくさせてきた。だから【エス】に付け入られる隙などない』とね」

「なるほど……」


 親莫迦、ここに極まれり。だが筋は通っている。


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