20 轟

「やめろ! 怪物を無闇に攻撃してはいけない! 人間の破壊衝動や憎しみを怪物に与えてはいけない!」

 大声でそう叫び、同時に山下理緒菜の頭を上からぐいと押さえつけて二人して瞬時にその場にしゃがみ込む。一瞬の静寂。そして耳を聾せんばかりの銃撃の轟音。

「うわぁぁぁぁ……」

 背の高い男の叫び声が聞こえてくる。思わず両手で両耳を押さえたぼくと山下理緒菜のその両耳の中に背の高い男の断末魔の叫び声が聞こえてくる。聞きたくもない声が聞こえてくる。

「馬鹿な! 何故言うことを聞かない」

 直後、落下の感覚があって怪物の姿は消えている。落下の感覚があって、ぼくと山下理緒菜が集合住宅十六階の非常用内階段の半階下に落ちている。落ちて転んで微かに手足を擦り剥いている。

「大丈夫か、怪我はないか?」とぼくが山下理緒菜に尋ねると、「ええ、大丈夫です。掠り傷程度です」と彼女が答える。だが、そう言いながらも顔を顰めいていたところを見ると実際にはかなり痛かったに違いない。

「とりあえずぼくの家に戻ろうか?」

「ええ、その方が良いみたいですね」

 山下理緒菜がぼくの提案に同意したので、ぼくたち二人は立ち上がって服の埃を互いに払って内階段を半階分ゆっくりと昇りはじめる。すると見知らぬ男が十六階の内階段扉のところに立っている。ぼくたち二人には見ず知らずの男が内階段扉のところに立っていて、ぼくたち二人を驚いたように見下ろしている。

「あなたは?」

「通りすがりの者ではありません」

 ぼくの質問に男はそう答え、その返答にぼくが怒り出す前に背広の内ポケットから名詞を取り出して、ぼくに差し出す。

「わたしはこういうものです」

 名詞を見返して、ぼくは言う。

「超常現象研究家・颯波健吾。性質の悪い冗談ですか?」

「もちろんそうではありません。ただその名刺を見せれば皆一様にいまの上原さんのような反応を見せてくれますからね」

「なるほど、それが目的ですか? わかりました。咽飴をぼくに買わせた人たちの仲間ですね。このタイミングでここに現れるからには他には考えられないでしょう」

「さすがにお察しが速いですね。では、この階段を降りながら少しお話をしませんか? わたしたちにとってはいまが千載一遇のチャンスなんです。もっともどうやら人が亡くなられたようなので、そういっては不謹慎かもしれませんが……」

 颯波健吾のその言葉にぼくの耳が勝手に反応して、ぼくはまた聞きたくもなかったあの背の高い男の断末魔の叫びを聞く。その断末魔の叫びに引き摺られるようにしてぼくの感情および表情が変化したはずだが、ぼくは自分に生じたであろうその感情や表情の変化を無視して颯波健吾に答えている。

「いいでしょう。お付き合いしますよ。コンクリートブロックに囲まれた集合住宅の内階段の中ならば盗聴器も機能不全になるかもしれないというわけですね?」

「お言葉のままに……」

 それで階段の下の方を振り返って、明らかに不審な表情を浮かべている山下理緒菜に先ほど男から手渡された名刺を渡しながら、ぼくは言う。

「超指向性スピーカーの使い手だよ」

「なんですか、それ?」

「アメリカ軍でも、政府の諜報機関でもない、秘密結社の人らしい」

 山下理緒菜はぼくの説明に納得した様子は見せなかったが、特に抗いもしなかった。

「ところで山下さんにはぼくたちのセッションに参加する義務はさらさらないわけだけど、どうしたい?」

「喜んでご同行しますわ。雑誌記者として」

「颯波さんもそれで良いですか?」

「結構です」

 その場の全員が同意して、ぼくたち三人がゆっくりと内階段を降りはじめる。二人の男の革靴と一人の女の頑丈そうなブーツがコンクリート製の階段に当ってカツンカツンという堅い音を連続して立てる。その音が陰気な集合住宅の内階段の上下で跳ね返って木霊する。跫が上下に木霊しながら衰弱していく。

 最初に口を開いたのは颯波健吾だ。「単刀直入に覗いますが、あれはなんですか? あの赤い大きな塊は?」

「あなたも見たのですね?」

「ええ。もっともわたしがここで見たのは最後の場面だけでしたが…… 階段の中に足を踏み入れた途端に赤い闇が襲って、すぐに叫び声が聞こえてきて……」

「残念ながらぼくにもあれが何なのかはわかりません。得体の知れない怪物であるという以外はわかりません。現時点ではアメリカ軍関係者も同じ結論しか得ていないと思います」

「しかし上原さんは仮説を持っていらっしゃるでしょう。あのプルプルした塊と今回の事件とを説明する仮説を…… 違いますか?」

「方法はどうあれ、あなたがぼくの発した情報を入手しているのならその内容については繰り返しません。ファンタジーですよ。ぼくの狂った脳細胞が作り出した空想科学的ファンタジー」

「ですが、上原さんはあの赤くヌメヌメと光る塊=怪物が地球外生命体だと確信しておられるのでしょう。あの事故、あの爆発、あのダム周辺の破壊は、人工衛星の落下によって齎されたものではなく、人工衛星に貼りついてこの地上に落ちてきた謎の地球外生命体によるものだと確信されておられるのでしょう。そしてその地球外生命体がわたしたちのものとは異なる文法を持っていたと考えておられるのでしょう。人間とは異なる種類の文法。地球周辺領域のものとは本質的に異なる論理。そして結果的に怪物になってしまった何者かが持っていた地球のものではない論理が、地球が本来的に持っていたひとつの論理に影響されて変化して、あるいは互いに共存しえずに反発して、わたしたちの住むこの世界にあの破壊を引き起こしたのだとお考えになられているのでしょう?」

「ファンタジーですよ。ぼくの示した考えは――もしそうであれば――あのとき起こった出来事にとりあえず説明がつくというだけの空想です。とりあえず説明がついて、起こった出来事に対してまったく説明がつかないときに心が陥る不安定な精神状態を一時的に免れるための方便ですよ。現在の怪物には知性のようなものは微塵も感じられませんが、この地に落下してきた瞬間のあれが知的生命体であり、その知的生命体が、ぼくたちが持つものとは異なる思考フレームの概念を持っていたからあの爆破や破壊が起こってしまったのだと説明できれば、とりあえずの心の安心を得ることができるでしょう。知的生命体が彼や彼女たちからすればごく自然に感じていたはずのわたしたちものとは本質的に異なる論理が地球周辺領域固有の論理に触れて物理的には破壊を齎し、そして同時にその接触が生命体を怪物に変えてしまったのだと想像できれば、怪物に対する対策の最初の一歩を踏み出すことができるでしょう。作業仮説が間違っていても、その方向性から本質が掴めることはままありますし、またそれがまるっきり方向違いであれば修正すれば良いだけのことです」

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