第120話 ジャックジャックという復讐者

       ▽第百十八話 ジャックジャックという復讐者

 目を閉じるだけで思い出す。

 かつてのユグドラは細やかながらも栄えており、活気があり、世界でも珍しい「人の温かみ」なるものがある……そのような気がする土地だった。


 理由は単純である。


 ユグドラ家が化け物揃いでいて、世界最強の騎士たるゲヘナが守護していたからだ。人々の元には安心感と余裕とが供給されていた。

 魔王災害のまっただ中だというのに、ユグドラは牧歌的でさえあれた。


 何もしていなかったわけではない。

 領地の守りをゲヘナに任せ、アシュリー率いる部隊で魔王四天王が一翼《契約殺戮のノックスハード》を打倒さえして見せたのだから。


 ユグドラは全盛期だった。


       ▽

 妖精が踊るような花畑に、その可憐な少女は座り込んでいた。

 心地よい四月の風が吹き抜けて、花弁を空に盛大に捧げている。少女は花にて冠を作り、それを執事服の青年に突き出すようにして差し出す。


「こ、これ」

 ぷい、とそっぽを向きながら、少女――アシュリー・ロー・ユグドラは言う。

「ほしいのなら、くれてやってもよろしいですわよ? ほしいわよね、ヨハン?」


 ヨハンはあらゆる意味で苦笑した。

 せっかくのお洋服が汚れてしまうこと。

 良い年をして花で冠を作ること。

 素直に作ったモノを渡せないこと。


 何よりもあの《殺戮契約のノックスハード》を討伐してきて、初めにやることが花畑で遊ぶことだったのだ。

 普通なら寝るなり、食べるなり、休むなり……するだろうに。

 何ともアンバランスなご令嬢である。若き執事・ヨハンは気障に腰を折り、剣をいただく騎士のように受け答えた。


「是非、わたくしめにアシュリーさまの冠をいただく名誉をお与えください」

「よくってよ!」


 嬉しそうに冠を被せてくるアシュリーに、ヨハンはジト目を向けた。ハンカチで泥だらけの手を拭いながら、


「アシュリーお嬢様。ユグドラ家を継がれる貴女様が、このようなはしたない行為をしてはいけませんよ。私とゲヘナ以外の臣下の前ではお気をつけください」

「違うわヨハン。わたくし家を継がないことにしましたの」

「ん? それはどういうことですかな?」

「今回、わたくしはノックスハードを討ったでしょう? この功績で次期領主ではなく、騎士にしてもらうのですわ。今後は同僚ですわね、ヨハン」


 目を剥くヨハンに、アシュリーは顔を真っ赤にして言う。


「だ、だから……わたくしの、その、あなた、は。ええと」

「今なら間に合いますお嬢様。ご当主さまに今からでも――」

「これでわたくしと貴方は対等! ですから! 貴方を! わたくしの……お婿に迎えましょう。断りませんわよね!?」

「………………は?」


 目を丸くするヨハンは、しかし、自然とアシュリーの手を握っていた。色取り取りの花々に囲まれて、二人は見つめ合う。

 やがてアシュリーははにかんだ。

 ホッとしたような、花咲くような笑みだった。


「受けてくれて良かったですわ。安心しました」

「え、や……あの」

「たくさん幸せになりましょうね。一緒に生きて、老いて……子どもだけではなく、たくさんの孫や小さな子孫たちなんかに囲まれて――幸せな人生だったと笑って死んでもよくってよ、ヨハン」


 あまりもの勝手ない言いように、ヨハンは苦笑することしかできない。彼とアシュリーお嬢さまとの付き合いも長い。

 性格もともに熟知し合っている。

 ヨハンは整えた髪を手で解した。軽く花冠に触れてみる。いずれ、もっと良いところで愛を告げねばならないな……そうボンヤリと覚悟を決めていた。


 その光景をジッと見つめる怪物の姿に、彼らは致命的に気づけなかったのだ。


       ▽

 このような時勢でもユグドラは繁栄していった。


 しかし、その繁栄は突如として終わりを告げた。


 話にしてみればくだらない。

 いわゆる男女関係によってゲヘナが出奔してしまったのだ。否、ゲヘナはべつに害意があったわけではない。ただ、ただ、彼は全員の幸せを願って一時的に離脱しただけだった。


 エルフは見栄と虚勢の生き物だ。

 ヨハンを除いた誰もが、ゲヘナのアシュリーへの深い恋心に気づかなかった。


「約束っすよ、ヨハン。お嬢を頼んますわ」


 ゲヘナはヨハンにそう言い残し、しばらくユグドラ家から離れた。


 寿命の長いエルフにとって、その行動は「種族的な動き」でしかなかった。気持ちの整理をつけるべく、仲間から離れて十年くらいを過ごすことなんて、エルフならば誰でもやる。人の社会でいうところの夏期休暇くらいのニュアンスだ。そうして長い寿命と折り合いをつけ、精神的に研ぎ澄ませていくのがエルフという種族の種族特性である。

 そうせねばエルフは自殺してしまうから。


 しかし、その当たり前がユグドラにとっての致命傷だったらしい。


 羅刹○が曰く、騎士や英雄が男女関係で道を外れることはよくある物語だとのこと。


 その僅かな外れがユグドラ家の終りだった。


 真祖吸血鬼ヨヨは……その時に現れた。

 ヨヨが行ったことは単純だった。ただ圧倒的な武威で以てユグドラ家を蹂躙し、その長女たるアシュリーをあらゆる道具や呪いにて傀儡にした。


 ユグドラ家も強かったのだ。

 本来ならばゲヘナなしでも大抵の敵には勝てるはずだった。客観的な事実としてユグドラはゲヘナに頼り切りの領地ではなかった。


 ただ相手が理不尽なまでの規格外だった。

 結果、傀儡と化したアシュリーとヨヨの手によって、ユグドラ家は終わらされた。


 当時。


 魔王災害も深刻化しており、メテオアースは混沌を極めていた。

 国を防衛する王族たちはこの際、ヨヨと契約を交わすことによって「異例」でヨヨを領主として認めてしまったのだ。


 魔王とヨヨ。


 二つを同時に相手取れば、国は滅びるしかなかった。王が守ったのは「より多くの民」だった。つまり、国はヨヨ単体に対して全面降伏し、土地をひとつ移譲させられたのだ。

 国と国との敗戦条約に近かっただろう。

 おめおめと生き延びたヨハン・アーガートは……復讐を誓ったのだった。


       ▽

 それからはレベリングの日々だった。

 現状のヨハンではヨヨや三騎士はおろか、配下の吸血鬼にさえ勝てない。ろくな実戦経験もなかった。


 ゲヘナはエルフランドの狩猟部隊に所属してしまっていた。


 一時的とはいえ、エルフランドの兵になっていたゲヘナは動けない。ゆえにヨハンは孤独な戦争を開始した。

 初めに手をつけたのは、ヨヨが雇った暗殺組織の壊滅だった。

 ヨヨは三騎士に加えて暗殺者たちを雇っていた。その暗殺者組織こそが「快楽殺人鬼の寄り合いクラン」である――《ジャック・ジャック》だった。


 クラン《ジャック・ジャック》は凶悪な快楽殺人鬼が集まってできた集団である。


 彼らが捕まらないように、好き勝手に殺せるように、集団となった恥知らずの組織だ。集団を維持するために仕事として殺しを受けもする。

 その組織にヨハンは一人で戦争を仕掛けた。

 一人を殺すために何度も死にかけた。部位を失ったことも一度や二度では効かない。負けて捕まって拷問を受けたこともある。


 それでも恨みの力だけで殺し尽くした。


 あくまでも《ジャック・ジャック》という組織はプロではなく、殺人同好会に過ぎなかったのだ。ゆえに、戦闘素人のヨハンであっても、工夫と殺意と悪意……恨みがあれば届く命だった。


 やがてジャック・ジャックを皆殺しにしたヨハンは、その組織を一人で引き継いだ。

 かつての名は捨てた。

 薄汚い殺人鬼として,復讐の甘やかさに酔った暗殺者として……ヨハンは、ジャックジャックは今――ユグドラに足を踏み入れていた。


       ▽

「あおうはア同げはうゅかうとげをゅ身ヴだはう゛ゅとヴはけをりけみ??」

「アトリ殿」


 屋敷最奥へと続く、長い廊下の途上にて。


 くすんだ黄金の長髪を振り乱し、砕けた爪にて己が頬を掻き毟る、怪物が立ち塞がっていた。見目だけは抜群に華麗であるが、その様はあまりにも――みすぼらしく惨たらしい。

 少女の名をアシュリーといった。

 真祖吸血鬼ヨヨが要する三騎士……それに加えられた、敵の切り札のひとつ。


 かつて魔王四天王さえも打倒した少女が、そこにはいた。


 変わり果てた少女へとジャックジャックはレイピアを突きつける。皺の刻まれた表情は、色が抜け落ちたかのように無色。

 共に駆け抜けていた愛弟子へと鋭い声をぶつけた。


「このお方は儂がやらねばならぬ。申し訳ございませぬが、ヨヨの足止めをお願いできますかなアトリ殿。合流されては詰みですじゃ……連携できぬのかもしれぬが」

「ボクが先にヨヨを殺す」

「ふむ、ヨヨを殺すのは一筋縄ではいかぬのですじゃ。くれぐれもお気をつけて。奴は絡め手はございませぬが……おそらくアトリ殿の上位互換でしょうな」

「……関係ない」


 ジャックジャックのレイピアが光を帯びた。

 が、開始の合図なんて待つことなく、凶暴な獣のようにアシュリーが飛びかかってきていた。爆撃のような拳が煌めいた。


「熱烈な歓迎ですな、お嬢様」


 ジャックジャックは苦笑した。


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