三つのお願い

「……ではこうしましょう。アリシア妃殿下が三つの・・お願い・・・をお聞きいただけるのであれば、お引渡しいたします」

三つ・・……それは少し、傲慢ごうまんではなくて?」

「いえいえ。僕は自分の立場を危うくしてまで、アリシア妃殿下のご希望に沿おうというのです。これはかなり破格ですよ」

「…………………………」


 微笑みこそ崩さないけど、アリシア皇妃の視線は鋭さを増す。

 僕のような“けがれた豚”に下手に出ないといけないのだから、心中穏やかではないだろう。


「……それで、ルドルフ殿下のおっしゃる三つの・・・お願い・・・というのは?」

「はい。まず一つ目は、ネズミが今後天蝎てんかつ宮に現れないよう、皇宮の外・・・・で飼っていただくこと。そうですね……帝立学園なんか、飼育に向いていると思います」


 大体、フレドリクとオスカルは学園寮に入っているというのに、ロビンだけ皇族特権を活かして皇宮から通っていること自体、おかしいんだよ。

 最初から大人しく学園寮に入っておけよと言いたい。


 まあロビンからしたら、帝立学園にいる他の子息令嬢から優秀な二人の兄と比較されているわけだから、せめて皇宮で僕をいじめて精神のバランスを保ちたいって考える気持ちも分からなく……いや、分からないよ。


「一つ目については分かったわ。確かにあなたの言うとおり、それに越したことはないわね」


 アリシア皇妃が納得の表情で頷く。

 どうやら彼女自身も、ロビンを学園寮に入れることに賛成みたいだ。


「次に二つ目ですが、僕としてもこんな間抜けなネズミに侵入されるなど、恥もいいところです。できれば、このことはアリシア妃殿下の胸の内に留めていただき、全てなかったことにしたいのですが」

「あら、よろしいので?」

「もちろんです。ただ、なかったことにするということは、昨日までの日常と何一つ変わらないようにするということ。ですので、たまたま・・・・ここにいる金牛宮の者達も、同様にいつもどおりにしていただくということです」

「「「「「っ!」」」」」


 その言葉を聞いた瞬間、従者や使用人達が顔をほころばせた。

 つまりは、彼等の処遇をこれまでどおり保障するということだからね。


「ウフフ……少し意外だったけど、ルドルフ殿下の二つ目のお願いも承知したわ」


 アリシア皇妃が柔らかい笑みを浮かべ、従者や使用人達を見つめる。

 彼女からすれば、自分で何もしなくてもなかったことにでき、しかも使用人達に手を下す必要もなくなったことで無用な軋轢あつれきを生まずに済んだんだ。二つ返事で受け入れるよね。


「そうすると、残る一つのお願いは何なのかしら。できれば、先の二つのお願いのように、お互いにとって良いものであればいいのだけど」


 ここまでくれば、三つ目も悪い条件ではないと考えているのだろう。アリシア皇妃は、先程までの鋭い視線とは打って変わり、興味深そうに僕を見ている。


 ええ、ご想像のとおり、そんなに悪い話ではないと思いますよ?

 ただし……せっかく救った息子に、裏切られることになるかもしれませんが。


「では、三つ目のお願いです。妃殿下もご存知のように、僕はこの皇宮で幾分肩身の狭い思いをしております」

「…………………………」


 その元凶の一人・・・・・としては、なかなか耳が痛い話なのだろう。アリシア皇妃が、眉根を寄せる。


「もちろん僕は、僕自身のことを理解しています。所詮、皇帝陛下の愛人でしかない母が、まるで宝石をねだる感覚で、私生児にすぎないこの僕の皇位継承権を求めてしまったが故に、疎まれていることを」


 そう告げると、いつの間にか僕の後ろに来ていたリズベットが、顔を伏せて僕の服をつまんでいた。

 とても、悲しそうな表情で。


 心配しないで、リズベット。

 別にこれは、自分を卑下ひげしているわけじゃないんだ。


 何より、僕にはかけがえのない君がいるのだから。


「……結局、ルドルフ殿下は何が言いたいのかしら」

「あはは、少し回りくどかったですね。要は、僕は分を弁えていると言いたいのです。僕自身、皇位継承には興味がありませんし、なれるとも思っていません。ただ、静かに余生を過ごしたいのです」


 十四歳の台詞セリフとは思えないほど枯れているけど、これが本心なのだからしょうがない。

 僕は、リズベットと穏やかに過ごせれば、それでいいのだから。


「ですが、僕は彼女……リズベット殿と婚約をしたことで、図らずもファールクランツ閣下の後押しを受けることとなりました。これを機に、疎遠だった兄弟同士で親交を深めるのもよいかと考えています」


 ここまで言えば、頭の切れるアリシア皇妃なら気づくだろう。

 僕が、ロビン……ではなく、第一皇子のフレドリクと手を結びたいと考えていることを。


 そうなると、ファールクランツ侯爵を後ろ盾に持つ僕は、彼女の瞳には魅力的に映るに違いない。

 何せ、フレドリクが唯一持ち合わせていない、軍事力を手に入れることに繋がるのだから。


「……ウフフ、まさかネズミを一匹手に入れようとしただけで、ルドルフ殿下にこんなにも大きな借り・・を作ることになるとは、思いもよらなかったわ」


 アリシア皇妃が扇で口元を隠し、笑いをこらえている。


「それで……いかがでしょうか?」

「殿下のお願い、全て受け入れさせてもらうわ。特にあの子・・・も、あなたのことをずっと気にかけていたもの」

「……そうですか」


 よく言うよ。フレドリクが僕のことなんて、歯牙にもかけているものか。

 物事を全て合理的に考え、自分にとって有益かどうかのみで動く、あのフレドリクが。


「あとは、アリシア妃殿下にお任せしてもよろしいでしょうか?」

「ええ、もちろんよ」

「ありがとうございます。では、僕はこれで失礼いたします」


 僕は胸に手を当てて一礼し、リズベットの手を取ってこの場から立ち去ろうと……。


「ルドルフ殿下、一ついいかしら」

「……何でしょうか?」

「あなたは母親……ベアトリスのこと、どう思っているの……?」


 はは……僕が母を……あの女を、どう思っているかって?

 そんなの、決まっている。


「何も……何も、思っておりません。あの人はあの人、僕は僕です」

「そう……」


 アリシア皇妃は、寂しそうな表情を浮かべて目を伏せる。


 僕は、今度こそこの場を後にした。

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