第34話
「魔力制御には問題ありません」
蟄居を言い渡されてから7日目。
カインがエスクード侯爵邸のポンプの魔法陣に魔力を入れ終えると、宮廷魔導士が感嘆の声を漏らした。
「問題がないどころか、私が見た誰よりも素晴らしい精度です」
褒められて悪い気はしないが、そもそもこの実験はカインの魔力制御の能力を疑う貴族達が増えたことが原因だった。
「俺は用無しのようですね」
「マール。静かに」
万が一魔法陣が壊れた時の為にと、ジルダが連れてきた錬金術師のマールが呟くと、ジルダも小声で諫めた。
随分と親しいように見える。だが、シトロン伯爵家が錬金術師を雇ったという話は聞かない。
カインは少し不愉快な気持ちを抱いたが、無視した。
結界の魔法陣に細工がされていなかったのなら、カインの魔力制御に問題があったのではないかと、議会が騒ぎ出したのだ。
その結果、エスクード侯爵邸のポンプの魔法陣を使って実験することになった。
王宮を除くと、首都で最も大きな邸宅であるエスクード邸のポンプであれば、空の状態から魔力を満たすまで一刻半はかかる。
その間、一定の魔力を注ぎ続けるのだ。熟練の魔導士でも骨が折れる。
それを、たかだか17歳のカインがいとも簡単にして見せたのだ。とても魔力制御に問題があるとは言えない。
魔導士がエスクード侯爵邸を後にすると、ジルダもマールを連れて帰って行った。
茶を用意させていたが、声を掛ける隙もなかった。
帰る時もジルダは、マールを自分の獣車に乗せて行った。
シトロン伯爵がジルダに獣車など与えられるだけの財力はない。
婚約が決まったと同時にエスクード侯爵から贈られた獣車だった。
使用人を一緒に乗せる事もある。だが、あいつは少なくともジルダの使用人でないことだけは確かなのだ。
あの男の態度を見るに、ジルダとの関係は短くはないだろう。
だが、ジルダが恋人を作るとは思えないし、ましてやその男をカインの前に連れてくるとも考えられない。
どうでもいいじゃないか。彼女のことなど。
カインは考えを振り切ると、父の書斎を訪ねた。
「もう戻られるのですか」
カインが扉を開けると、侯爵は既に身支度を済ませていた。
「ああ。議会に出て、そのまま領地に戻る」
いつもの優しい父の声だ。
「次の結果への魔力は、魔導士が行うことになっている。次に来るのは――そうだな、春の月になるか」
冬の月の間は、侯爵は領地から出ない。
妻を亡くしたこの時期は、侯爵は決して人と会おうとしなかった。
カインは、しばらく会えない父の胸に抱き着いて、子供のように別れを惜しんだ。
「蟄居が解かれたら領地に来るといい」
思いがけない父の言葉に、カインは喜んで顔を上げた。
だが、続いた言葉はカインを絶望させるには十分だった。
「ジルダ嬢との結婚について準備を始めなければならないからな」
ジルダへの嫌悪感は、一時期と比べて穏やかになっていることは、カインも理解していた。
この短期間に2度も命を救われているのだ。感謝しないはずがない。
だが、結婚――以前から決められていたことだ。
15歳になったばかりの頃、父から告げられた。
「ジルダとの婚約について、どうしたい」
と。
その当時のカインは、まさか自分が本当に結婚したいほど愛する女性に出会うなどと思ってもなかった。
ただ、遠くから秋波を送る貴族の女性達に辟易としていた時期だった。
あんな女達と生涯を共にするのなら、ジルダの方がマシだ。どうせ、婚約を解消したところでジルダは3日に1度やってくる。
それなら、結婚して共に暮らす方がお互い楽だろう。
そんな程度だった。
「そのまま続けてください。結婚も、引き延ばすだけ無駄ですから、18で成人の儀を迎えたらすぐに」
そう言ったカインの胸は、なぜか少しだけ高鳴っていたのを覚えている。
父が侯爵邸を後にした途端、カインの足はイレリアの部屋へと向かっていた。
蟄居の身では屋敷とはいえ行動は制限されている。当然、イレリアにも会うわけにはいかなかった。
しかし、結婚の話を切り出されて――昔を思い出し――気が付くとイレリアの部屋の前に立っていた。
言いようのない苛立ちと、耐え難い頭痛がカインを襲い、扉を掴む手ももどかしかった。
半ば乱暴に部屋を開けてイレリアの姿を見ると、途端に頭痛や胸のつかえが嘘のように消え去った。
久しぶりに見るイレリアは、以前にもまして美しさを増していた。
以前は束ねるだけだった長い髪を美しく結い上げ、細い均一な繊維で織りあげた麻生地の部屋用のドレスをゆったりと着こなす姿は、もう貧民街の薬師見習いではなかった。
イレリアの細い体を抱き締めると、カインはやっと息が付けるような気がした。
「カイン――苦しいわ。私にももっとあなたの顔を見せて」
イレリアの嬌声が、カインの耳には心地よかった。
もう少し意地悪をしてやろう。
カインは、イレリアの要求に答える事なく、イレリアの首筋に、胸元に唇を這わせた。
イレリアの温もりは、カインを細部まで満たしてくれた。
カインはそれをもっと感じていたいと、イレリアを強く抱きしめる。
小さくイレリアが声を漏らしたが、その声さえカインの心を温める。
そうだ。僕にはイレリアが必要なんだ。
ああ――この人は。
ジルダは魔力を吸収しながら、流れ込んでくるカインの心を防ぐことは出来なかった。
蟄居中だというのに――
毎回ではないものの、時折カインは人目を忍んでイレリアの元に行っているようだった。
原因は判明していないものの、あの暴走はカインが原因ではないことだけは判明しているのだから、罰を受けるのはお門違いだという事はジルダにも理解している。
だから、このくらいのことは見逃した方がいいのだと、呆れながらも顔に出さないよう努める。
ここ最近穏やかだったカインの表情は、またジルダを見るなり険しくなっている。
その理由は聞かなくてもわかる。
カインから流れ込んでくる記憶。
イレリアにのめり込めばのめり込むほどに、カインは自分を嫌悪するようになる。
それは仕方のない事に思えた。
だって、彼らからしてみると邪魔者は私なのだから。
「終わりました」
「ああ」
カインの目は――夫人と生き写しの青い瞳は――自分を見ない。
いつもの事だ。慣れている。
「また3日後――は、蟄居が解かれる日ですわね。では、2日後にいたしましょう」
ジルダの言葉に、カインは明らかな拒絶の色を示したが、一瞬の逡巡の後、溜息交じりに言った。
「わかった」
返事を聞いてジルダが立ち上がると、アレッツォが素早くジルダに白い毛皮の上着を着せた。
秋の月の中頃に毛皮にはまだ早いと思ったが、長雨が続いて冬のように寒い。
ジルダの小柄な体をすっぽりと覆うフェリスの毛皮は、ふわふわと柔らかそうな手触りで、とても暖かそうだった。
「その毛皮――」
言いかけてカインは口ごもった。
確かアレッツォに……だが、思い出そうとすると頭痛が襲う。
「大丈夫ですか?顔色がお悪いようですが」
「触るな!」
ジルダが触れようとした手を、カインは咄嗟に弾いた。
その手は自分を助けてくれる手だ――いや、自分を支配する手だ――僕の……いや、国の命を握って、人々の運命を支配する手なのだ。
ジルダへの嫌悪がカインの中で増幅するのが分かった。
ジルダが帰ったらイレリアに会おう。またあの柔らかい胸に抱きしめてもらえば、こんな頭痛消えるんだ。
「早く――帰ってくれ」
ジルダの顔を見ないよう、顔を背けて声を絞り出すので精一杯だった。
ジルダはカインをじっと見つめると、少し息を吐いた。
「では――また2日後に」
ジルダはそう言うと、頭を下げて今度こそサロン出て、エスクード侯爵邸を後にした。
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