第31話

 ジルダが目覚めたのは、カインの渇きが限界を迎えようとした頃だった。

 部屋の暖炉は薪がくべられているが、その火は小さい。季節は冬に近付いている。

 何もかけずに眠っていては風邪をひくだろうと、カインはジルダを起こさないようできるだけゆっくりと、自分にかけられていた毛布を片手で手繰り寄せ、ジルダの体に羽織らせた。

 子供の頃にもあった気がする――だが、思い出そうとするといつものように頭痛が襲ってくる――そう身構えたが、不思議と頭痛は起こらなかった。

 そのかわり、記憶ももやがかかったように思い出せないのだが。

 その時、カインの手を握るジルダの手が小さく震え、ジルダが目を覚ました。

「珍しいな。君がこんな形で眠るなんて」

 目を覚ましたジルダにカインが揶揄うように声をかけると、ジルダは怒ったような顔をして、素早くカインから顔を背けた。

 カインから見える耳が赤くなってるのがわかって、カインは少し嬉しくなった。

「……ご無事でよかったですわ」

 ひと呼吸置いてジルダはそう言うと、カインの方に顔を戻した。その顔はいつもの無表情に戻っており、カインは少しがっかりした。

「魔法陣ですが、細工などはされていなかったようです」

 ジルダの言葉をカインは素直に受け取った。

 そもそも細工をされていたのなら、カインより魔力量が少ないエスクード侯爵が無事なわけがない。

 ジルダが眠っている間に考えていた事だ。

 あれは確実に僕の魔力を狙っていた。

「ですが――」

 ジルダは少し言い澱んだが、平坦な抑揚を心がけながら続けた。

「カイン様の魔力を注ぎすぎた為、魔法陣の一部が壊れてしまったそうです」

「結界は――」

 ジルダの言葉にカインは慌てたが、握ったままの手をジルダがそっと強く握り直した。

 優しい圧力が手から全身に広がるような気がする。

「幸いな事に壊れた箇所は修復が可能で、控えていた魔道士達によってすぐに修復されました」

「よかった――」

 カインは心の底から安堵の溜息をついた。


「魔法陣の修復は即座に行われ、結界への影響はありません。念のためフィアーノ伯及びティン=クェン卿の指揮の下、首都警護隊第三部隊で結界の調査を行っています」

 貴族院の議会室で宮廷魔導士が報告を読み上げた。

「――して、今回のカイン――公子の魔力暴走の原因は何だったというのか」

 王が白くなった顎髭を撫で付けながら、エスクード侯爵に目線を写した。

「あれは魔力暴走ではなく、仕組まれたものです。カインに落ち度はありません」

 侯爵は毅然と言って、目の前に並ぶ貴族たちを見据えた。

 その目は静かだったが、穏やかというには少し違うように見える。

「仕組まれたものと――?」

 この国には珍しい、青みがかった黒い髪を神経質そうに一つにまとめたオルフィアス伯爵が、その形のいい眉をひそめた。

「はい。シトロン公女の話では、息子の魔力は外部から無理矢理引き出されたのではないかという事です」

「シトロン公女はご子息の婚約者だ。……こう言っては何ですが、庇いだてなさっていても不思議ではないのでは」

 遠慮がちにフィッツバーグ子爵が声を上げた。

「通常ならそうでしょうが――」

 嘲笑混じりに漏らした男爵は、エスクード侯爵の視線を受けて、慌てて口をつぐんだ。

「失礼だが、ジルダ嬢は長年公子の婚約者でありながら、魔力の制御を担っているお方だ。例え、どのような仕打ちを受けていても、国の為にその立場を守ってこられた尊い方だ」

 そう言って、オルフィアス伯爵が紫色の瞳をエスクード侯爵へと向けた。

「そのお方が、たかだか婚約者だという理由だけで庇いだてするとは思えないな」

「そのとおり」

 エスクード侯爵が何かを言う前に、王が口を開いた。

 ざわついていた議会が、水を打ったように静まり返る。

「ラエル卿から聞いた話ですが――」

 スピネル男爵が遠慮がちに上げた声が、議会室に響いた。

「結界への魔力注入の前に、エスクード公子は、ティン=クェン卿と軽い口論になっていたと聞きました。それが影響したのでは」

「その話は私も卿から報告は受けている。その程度の事が影響するとは考えられない」

「ですが、それなら誰が公子の魔力を――」

 貴族達の言い分はもっともだと、エスクード侯爵は理解していた。

 彼らは恐れているのだ。

 この場にいる多くは、あの日カインの魔力暴走を経験している。

 ジルダの能力を目の当たりにもしている彼らは、ジルダの存在があるからこそカインの存在を許している。

 そのジルダでさえ、制御できなくなったとしたら――貴族達の恐れはそこにあった。

「今回の件については、アバルト侯爵家及び、ランブル侯爵家が責任をもって調査しよう」

 アバルト侯爵が言い切ると、王はそれを認めた。

 調査の結果人為的な物でなければ……エスクード侯爵は膝の上で拳を握りしめた。

 

「それだけでは不十分でしょう」

「どういうことだ。オルフィアス伯爵」

 王が顔をしかめると、オルフィアス伯爵は紫の瞳をもう一度エスクード侯爵に向けた。

「公子の魔力が人為的に引き出されたものだとしたら――そんな魔法が存在するとすれば、それは非常に脅威的な問題です」

 オルフィアス伯爵の言うことはもっともだった。

 魔法とは、魔法陣に魔力を通すことで行使される。その魔法は、必ず役割があるのだ。

 その役割が、魔力を暴走させることだとしたら、それはカインのみならず、全ての人間にとって恐ろしい問題となる。

 エスクード侯爵は、オルフィアス伯爵の紫の瞳を見つめた。

 彼の言葉は、貴族達の恐怖の対象をカインの魔力暴走から、そのきっかけへと逸らしてくれたのだ。

 

「ルシアス・オルフィアス伯爵――先程は……」

 議会の後の控室で、従僕から酒の入ったグラスを受け取っていたオルフィアス伯爵に、エスクード侯爵は静かに声を掛けた。

 周囲にはまだ貴族達が儲け話や、縁談について切り出そうと、世間話を続けていた。

「やあ――オレリオ。随分と他人行儀じゃないか」

 エスクード侯爵の姿を見て、オルフィアス伯爵――ルシアスは魅力的な紫の瞳を細めて見せた。

 同じ年のオレリオとルシアスは、親密な交流こそはないもの、顔を合わせると世間話をする程度の仲ではあった。

 ルシアスはいつもオレリオの名を呼ぶが、オレリオは頑なに彼を「オルフィアス伯爵」と呼ぶので、ルシアスは面白いのか、いつもこの言葉を返す。

「しかし、君はいつまでも若いな。羨ましい」

「君に言われると嫌味でしかない」

 ルシアスより魔力量の多いオレリオは、ルシアスより幾分か若く見えるが、ルシアスとて貴族らしい魔力のおかげで、50を目前にした現在も若々しい美しさを保っていた。

 オレリオが苦笑すると、ルシアスは従僕からもう一つ酒の入ったグラスを受け取り、オレリオに手渡した。

「ご子息への罰は残念だった」

「いや、何の罰も受けない方がカインには酷さ」

 グラスを合わせると、二人はグラスを口に付けた。

「毎回、このために議会に出てるようなものだ」

 ルシアスの軽口に、オレリオは「間違いない」と笑った。

「そういえば、ご子息の噂を聞いたが――」

 ルシアスの一言で、周囲の貴族が聞き耳を立てたのが分かった。

 オレリオは表情を変えずに、静かに息を呑んだ。

「平民の女性を屋敷に連れ帰ったと言うのは本当かい?」

 ルシアスが声の大きさを落としたが、聞き耳を立てていた貴族達には無意味な事を、オレリオは知っている。

「言い方に気を付けてくれないか。

 初めて名を呼ばれたルシアスは、あまりの驚きに頬を紅潮させたが、オレリオは続けた。

「彼女は縁あって侯爵家に招き入れた客人だ。ご存知の通り、息子の命の恩人だからね。侯爵家で後援する事にしたのだよ」

 オレリオは心の中でルシアスに強く礼を言った。

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