第66話 鏡の女
留守を守るために西寧に化けた常盤は、大いに困っていた。
執務は、力上や孝文が助けてくれるし、王宮の行事に関しては、幼い福寿が教えてくれた。通常の生活については、何も困ることはないのだが、一つ。
正妃の玉蓮から呼び出しを受けてしまったのだ。
さすがに、西寧と玉蓮の
西寧は、忙しい時には一ヶ月くらい部屋に行かないこともあるから平気だろう、と言っていたのだが、何か玉蓮の方で用事ができてしまったようだ。
困ったな……。
西寧の顔をした常盤は、玉蓮からの使者への返事を考え込む。
「お、お兄様とは、本日は絵本を読んでいただく約束を……」
苦し紛れの言い訳を福寿がすれば、
「恐れながら、福寿様は、昨日もご一緒だったのでしょう? そんなにお兄様を独り占めする物ではありませんよ」
と、女官が言い返す。
女官の言う通りだ。西寧が朱雀の国への旅に出立してから、色々と教えてもらう事も多く、福寿の部屋にばかり入りびたっている。
幼い頃の妹を思い出して福寿と過ごすのが楽しく、つい、度が過ぎてしまったか。
「どうしても、玉蓮様は、西寧王にお越し願いたいと。冷たい夫に寄り添おうとする正妃の健気な想いを無下になさるおつもりですか?」
女官が引かない。
これは……仕方ない。取り敢えず部屋に行って、体調が悪いといって途中で抜けてくる以外無さそうだ。
「分かった。行くとしよう」
常盤は、西寧の声でそう答えた。
正妃の間に向かえば、にこやかに玉蓮が迎えてくれる。
「西寧様、お待ちしておりました」
そう微笑む玉蓮は、普通の可愛らしい女の子に見える。
確か西寧と同じ歳。西寧は、玉蓮はすぐ怒って怖いと言っていたが、そんなようには思えない。
「玉蓮、何か用があると聞いたけれど?」
常盤が聞けば、
「まあ、せっかく久しぶりにお会いしたのに、またそんな!」
玉蓮がむくれる。
「すまん。確かにそうだな。仕事が忙しいとはいえ、放っておいて悪かった。反省する」
「せ、西寧様? そんな風に言って下さるなんて初めてです。とても嬉しいです」
玉蓮が、頬を赤らめて常盤の言葉を喜ぶ。
これで……正解ではなかったのだろうか? 西寧ならどう答えたのか?
「いつもなら、国王なんだから、優先すべきことがあるだろう? とか、正論でちっとも私の心を分かって下さらないじゃないですか?」
ゴロゴロと喉を鳴らしながら擦り寄ってくる玉蓮。
あまり近寄られては、バレてしまいそうで怖い。
「玉蓮? 申し訳ないが、仕事を残して来ているんだ。用件を頼む」
「それは残念です。本日の西寧様なら、いつもより分かり合えると思いましたのに」
玉蓮が、ため息をつきながら持ってきたのは、鏡。
常盤はその薬を昔、見たことがある。
これは、妖魔の国とつなぐ『
なぜ、この鏡を青虎の国の正妃である玉蓮が持っているのか。
「とても便利なこの鏡を、西寧様にも知っていただき一緒に……」
にこやかに玉蓮は鏡を常盤に見せてくる。
鏡の中で女が一人。ニヤリと笑っている。
……女郎蜘蛛……。
妖魔になり果てた女郎蜘蛛の妖の気配に、常盤は妖力が震える。
やっと見つけた愛しい妹の仇。
女郎蜘蛛の
牡丹は人間と共謀して、妖狐をだました。何が目的であったのかは、常盤は知らない。
常盤の妹は皮を剥がれて野狐同様に毛皮にされた。それを見た常盤は、九尾狐であるのに我を失って人間を喰らってしまった。
姿を隠した牡丹の後を追うことを許されず、西寧の所で側室となることを、稲荷神から命じられた。
妖魔の国へ身を隠していたのか……。天翔けて人間界を走り回っても見つけられないはずだ。
突然現れた憎い相手に、常盤の手が震える。
……今は駄目だ。今は、西寧のフリをしなければ、信じてくれた西寧を裏切ることになる……。
常盤は、自分の感情を必死でおさえこむ。
「西寧様?」
恐ろしい形相で鏡を睨む常盤に、玉蓮が不安そうに声を掛けてくる。
「な、なんでもない。玉蓮! そ、その鏡。あまりのめり込むのは感心しない。こちらで預かろう」
出来るだけ穏便に鏡を玉蓮から取り上げたい。
そして、調べて牡丹の居所を探したい。
「嫌でございます! 西寧様の意地悪! 嫌いです! もう帰って下さい!」
玉蓮は、血相を変えて、鏡を抱えて奥に引きこもってしまった。
小さな鏡……まさかそこから妖魔がこの国へ向かってくることはないだろうとは思うのだが……。
あの様子では、玉蓮は容易には鏡を離しはしないだろう。
どうすれば良いのか。
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