第60話 来光
「そう。分かっているじゃないか。お嬢さん。クソダサい青虎の国で祭をやったところで、これほどの観光客は集まらず、結果赤字になるが、このハイセンスな赤虎の国で祭をやると言えば、このように期待した観光客が見に来るのだ。観光客は、宿に泊まり、飲み食いし、遊び、土産を買って帰るのだ。これほど効率の良い商売はない」
西寧と壮羽の会話を聞いていたのだろう。後ろから声をかけてくる虎精の男がいた。
錦糸で繊細な刺繍を施された帯を締め、絹の流行りの服を着る男。髭を整えて髪は香油で撫でつけている。
一目で赤虎の国の貴族と分かる男は、慣れた様子で西寧の手を取って、恭しくキスを落とす。
「
壮羽が男と西寧の間に入って立ちはだかる。寧とは、この旅での西寧の偽名。本名とかけ離れていれば、ボロが出やすいだろうと考えた物。
「無粋な烏天狗だな。どうしてこう、烏天狗の一族と言うのは、融通が利かない。そこに美人がいて男が手を取るのは、どう考えても自然な流れだろうが?」
「お嬢様は、婚約者のある身。そのお嬢様に手出しをするのは、まかりなりません」 壮羽は当然引きはしない。
「この者の言う通りです。私は、婚約者に会いに行く途中。他の者には興味はございません。どうか、つまらない野の花と考えて捨て置かれますように」
西寧も設定通りの言葉を返して、男に頭を下げる。
この男がどんな権力者と繋がっているか分からない。ここは穏便にすませたい。
「いいね。どこの国の人? 遊び慣れていない深窓の令嬢だなんて、魅かれる」
……魅かれないで欲しいのだが。
「寧様、名も名乗らない相手に返事は無用です!」
壮羽が警戒する。
「名? いいぜ。名乗ってやろう。来光だ。この国の王太子をしている」
「は? まさか! 供も連れずにこのような辺境に王太子様が来られるわけないじゃありませんか」
思わぬ男の言葉に、壮羽が言い返す。
「供なんか連れて嫁が探せるか! 撒いてきた。王都には、見知った女しかいないだろう? 辺境に埋もれた寧のような美女と話もしなければ、最高の女には会えんのだ!」
来光が自論を繰り広げる。
好みの女性を求めて供を撒いて辺境の地へ……その価値感は、西寧や壮羽には分からない。ともかく、これはまずい。相手が王太子ならば、いよいよ、大ごとには出来ない。
「来光様だとしましたら、なおのこと、寧のことは捨て置きください。先ほども申しました通りに、私には、婚約者しか見えませんので。つまらない者は放っておいて、他の数多の美女の中から、お好みの方をお探しになって下さい」
これでどうだ。さすがに、本当は男ですとは言い出せない。身を隠しての旅だ。この『婚約者がいる』という設定を存分に生かして、切り抜けたい。
「寧……おいで。華奢な女の身のそなたを一人、無骨な烏天狗と旅をさせる男なんて、ろくな奴ではない。そなたがもったいない。俺なら、そんなことはしない。そなたを傍において、宝玉のように磨いて可愛がる」
駄目らしい。これは、何を言っても無駄だろう。
「来光様は、きっとどの女性にもそんな甘い言葉をお掛けになるのでしょう? 来光様がお声を掛けた美女の中で、遊び慣れていない寧は、きっとすぐに飽きられてしまいますわ。壮羽、行きましょう」
ニコリと笑って、西寧は壮羽にしがみつく。
壮羽は、返事もせずに、翼を広げて、空へと西寧を連れて飛ぶ。
空までは、来光も追っては来れない。悔しそうに天を仰いでいる来光の姿が下方に見える。
「困りましたね。宿に戻れば待ち伏せしているでしょうか?」
「だろうな。しつこそうだ。仕方ない。馬を捨てて別の宿に泊まるとしよう。と、しまったな、靴を一つ落とした」
「では、まず靴を購入して、別の宿へ向かいます」
壮羽は、西寧を抱いたまま上空を旋回して、そのまま飛び去った。
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