第3章 光るお人 ⑤


「俺…、こんな話してる場合じゃないんだけど…」

「…《陽の宮》が隠れている邦土なら、ふたつほど、こころあたりがある」


「…。日本には、どう行けばいい?」

「それは、ここではない。どこかにある島。国家の名と記憶している」


「俺っ…、そこの人間なんだ。だから、とにかく、そこに戻ろうと思うんだけど…」


 大陽が、二歩、三歩、前に進み出ると、テールと名乗った男は、まなざしを伏せ、しごく淡白な口調で語った。


「ここは神々に忘れられた土地。

 ここに降り続ける素材に、情けをかけた存在もあったが、その者は、この地を活かすために不具となった。

 それでも、この邦土を出ようと思えば、その者の力を借りるしかないだろう」


「…その誰かの力って、借りられるのか?」

「さあ…? どうでしょう…」


 返ってきたのは、否定ともつかないあやふやな言葉。

 質問をそのままに返されたようなもの。放棄されたようなものである。


「この土地は、三次元的ではあるが…。内のものだけで循環し、隔離されている。

 ほかと通じることは、無にも等しく、人が行ける土地……領域は、九つしかない。

 この臨界を越えられるのは、完成し、こちらのハクを手放した《星の子》のみ。

 現実には、かなり粗いものも漏出する。

 湧きだしてもいるが…。、生身では不可能だ」


 下された言葉を理解しようと、ひとしきり努力した大陽は、視界の先に見えた草生えに視線をおとした。


 もしかして、いま、帰れないといわれたのではないだろうか?


 足が地についてないような心地になる。

 通じる道がないなら、来ることもできないはずだ――そう思うので、相手の言葉を鵜呑みにしたわけではない。

 それでも…。

 自分は、ここにいて…。光る男を目の前にして、言葉を交わしている。

 見ているもの現実はもとより、耳にした内容が嘘か本当真実かもわからないが、とにかく、大陽は、いま得た情報を頭の中で整理しようとした。


 ヒノミヤ、ホシノコ、光のワ…。

 九つあるという聞き覚えのない土地の…名?

 それにくわえて目の前には、舟に乗った光り輝く人間。


 とっぴょうしがない。

 あまりにも現実から逸脱していて、まともに受けとめようとすると、わけがわからなくなる。


(要するに、これは夢。幻覚だ…。でなきゃ、おおぼらか偽装で…)


 大陽の記憶を優先的に占めているのは、日本での生活。うろ覚えになっている転機。最終日。

 廊下で立ったまま…とまでは思わないが、これは眠っているときに見る幻想に違いないと。

 なら、ここは、使い古されて、忘れられかけている方法でも、試してみるべきだろう――思った大陽は、右の頬の肉を、むにっとつまんだ。

 そうして思いかえしてみれば、苦しかったから溺れたのだし、岩場を登るとき、腕をこすったり、ぶつけたりしたときも痛みを感じた。

 両手の爪も、折れたり土がつまったりして、ほとんどが深爪にも似た状態だ。

 それら、もろもろの傷は、いまもひりひり疼いている…。


 ほおをつまんでいる指も、もれることなく…。

 爪に土がつまっていたと思うのだ…。…そうして導きだした結論は――…


 不衛生かもしれない…。


 動きを止めた大陽が、ほおをつねることを躊躇していると、舟にいる人物に、妙なものを見るような顔をされた。


「何をしているのです?」


 大陽は、そこで、ぱっと、つまんでいた表皮を手放した。


「いや! でもさ、感覚のある夢もあるっていうから…」

空事そらごとか…。まぁ、そう思ってくれてかまいません」


 話し方が、ぞんざいで横柄だったり、丁寧になったりするその男は、どうでもよさそうに視線を落とし、何を思ってか、わずかに口角を持ちあげた。

 冷めているだけに、嘲笑にも見える――会話相手を不安にさせる表情だ。

 そのしぐさを目にした大陽は、相手の性質を危ぶんだ。


 成人といってもいい年の男が、未成年子供の彼を、おちょくっているのだろうか?


 見るほど、からかわれている気がしてくる。

 はぐらかされ、化かされ、遊ばれている気もして…


(いいさ、それなら、こっちも利用するまで――化けの皮、はがれたときには見てろよ!)


 夢でもなくば、とうてい信じられる内容でなかったから、大陽は、相手の人格に関しては、深く追求しないことにした。

 そう。当面のところは保留だ。

 いらないとわかった時に捨てればいいと…。開き直ったことで、態度も大きくなる。


「なぁ、この近くに街はある? 人が住んでるところ」

「人家がある区域に出たいなら、歩いてゆくか、なにかに乗ってゆくか、泳いでいくか…」


「ここから歩いて行けるのか?」

「それを


「…。あっちの空が、明るい気がするんだけど?」

「あれは、センシュウの光の反照だ。さらに距離がある」


「…。案内…してもらってもいいか?」

「いいよ。飛ぶのか? それとも泳ぐのか? 歩くのか?」

 

 言及したい部分を右によせ、左によせして、平静をとりつくろっていたところに、突きつけられた揶揄。

 大陽は、むっと眉をよせて、不快をあらわにした。


「距離にもよるけど…。おまえ、ずいぶんだな。五人は、よゆーで乗れそうなボート持ってるのに、俺に泳げってか?」

「関わりたくなさそうに見えたので」


「どーしてなのか、胸に手ぇあてて、考えてみたらどうだよ」

「知りませんね。乗りたいのなら、どうぞ」


 つい、憤懣がはれつしてしまったが、現実のおぼつかなさに立ち返れば、もめ事や災厄を極力避けたい状況でもある。

 そこに見た相手のつれなさを、気安い戯言として流していいものなのか迷いながら、彼は、ズボンの後ろのポケットを意識した。 

 とりださぬまでも、後ろ手に財布があることを確認する。

 妙にごわついて、手触りが違うが、おそらく、塩水に浸かったせいだろう。


「金、とるの?」

「要求はしません。くれるというなら、別ですが」


「…名前、なんていったけ?」

「テール」


「わかった(だな。どこぞの単位かもしれないけど)。おぼえた。俺は大陽」

「そう呼ばせていただきましょう」


 金色の目の男は、ひかえめな所作の裏に、ふてぶてしさを宿していそうな笑顔で応じた。

 性格に難があるようだが、ある一点をのぞけば、人間に見える。

 その男が光って見えるのは、きっと何か仕掛けがあるからだ。

 溺れたショックで、人のオーラが見えるようになった可能性も頭をよぎったが、自分の手足や体は光って見えないから、そうゆう嘘みたいな異変でもないだろう。

 未知のものに対する怖れがないわけではないが、逃げまわっていたのでは、なにも始まらない。

 それに、さほど見て歩いたわけではないが、いまいる島かなにかは、そうそう人間と出会える場所ではない気がするのだ。

 だからといって、こんなのについて行っていいものか…。


 くすぶる不安と不満と不平を胸の底の浅いあたり(沈めようとしても、それ以上沈まなかった)にしまいこんだ大陽は、意を決して踏み出し、男が乗ってる舟の船首に手をかけた。

 伸ばした手のひらにらえた舟は、不思議なほど、安定していた。

 水に浮いているものなのに、ゆらりともしない。

 そこで、思いきって足を乗せ、重心を移動してみる。

 大陽が乗りこんでも、一時的に、沈みこむこともなかった。

 不審をおぼえるほど揺るがないので、疑念をおぼえずにはいられなくなる~疑いたくなる~

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