第十一話 案内役
部屋は白煙にまみれていた。何かに頭を押さえつけられている。横目でちらと確認すると、となりで頭を低くしながら周囲を窺っている土掛が見える。
今ならチャンスかもしれないと思った。すべての過去を思い出したうえで、私には復讐すべき相手がいる。家族を奪った者たち、それが目の前にいるとなれば――。
「どうだ? 様子は」
見知らぬ女性の声がする。足音も複数している。この白煙の中でしっかりとした足取りを響かせているあたり、この状況を作り上げた張本人だろう。
間が悪い。
場を混乱に陥れた輩が一体何を目的にしているのかがわからない限りは安易に動けそうにない。けれど、ある意味でそれは彼らも同じなのだろう。私を押さえつけている土掛しかり、彼の仲間しかり、不用意に動けないからこそ、こうして様子を窺っているのだと思う。
私も動くには判断材料が少ない。彼らのことだ、恨みを買った相手からの襲撃ということも容易に思いつきそうなもの。しかし、だからと言って敵の敵は味方というわけにもいかない。それに何より、せっかく思い出したんだ。どうせ何もない空っぽな己を知ったのであれば、唯一残ったこの復讐心をじっくりと味合わない手はない。
もう一度、今度は土掛がいないもう片方も含めて周囲を軽く一瞥する。
そこで異変に気付いた。周囲に満ちる煙があまりにも濃すぎる。というかこれは煙なのか? 反射的に服の袖で口と鼻は覆っているものの、もしこれが有毒なガスの類であれば、意味をなさないだろう。いや、それならまだマシかもしれない。私にはこれがガスの類にすら見えていなかった。
なにせ、捉えることのできる周囲の視界があまりにも狭すぎる。
先ほどまで見えたはずの土掛の姿が見えなくなっている。頭を押さえつける手の感覚はある。けれど、それがどこからともなく伸びてきたもののように、手首の先の重さが霞んでいるように感じていた。
それだけではない。背後にあるはずの座っていたソファーの気配も、目の前にあるはずのローテーブルもまるで実感がない。というか、実際に見えていない。ただの煙にしては明らかに異様だ。
意識下に直接訴えかけたり、あるいは神経感覚を麻痺させるものなのだろうか。けれど、思いのほか思考は明瞭だ。
バタバタとせわしなく動いていた足音がやんでいる。何か嫌な予感がした。
「おい、顔を上げろ」
先ほどとは別の女性の声がする。似たような口調。けれど、先ほどのものより人間味を感じた。
「お前だ、七星燐」
呼ばれているのが私だと気づき、恐る恐る顔を上げた。なぜか頭上の手の感覚は消えている。視界が上に動くほどに、白煙は薄らいでいった。
そこにいたのは三人の女性だった。
一番右に立っている女性はすごく背が高い。肩幅も広く女性にしては筋肉質な体つきをしている。黒髪を乱雑に切ったようなショートヘアと、アクセントであろう、一部分だけが青く染められた前髪。ノリのいいワイシャツの袖をまくり、胸元は大きく空いている。コルセットをはめ、黒のスキニーパンツに身を包んでいた。
真ん中に立つ女性は金の長い前髪が特徴的だ。顔の半分を覆い隠し、目は左だけが見えている。シャープな顔の輪郭とは裏腹に、少し腫れぼったい目じりが優しさを強調する。長いコートを羽織り、黒のタートルネックとブラウンとクリームの中間のような色のワイドパンツでまとめられた服装は、街で見かけるおしゃれな大人の女性そのものだ。
左に立つ女性は背が一番低い。幼い顔立ちをしており、白髪のショートヘアがそれをさらに印象付ける。かと思えば目鼻立ちは鋭く、表情も薄い。右に立つ女性と同じように前髪の一束を青に染めていた。冬だというのに半袖のシャツを身にまとい、腕は一応の防寒対策なのか黒いアームカバーに覆われている。黒で短めのプリーツスカートと、太ももまでを包むソックスが華奢な体つきを強く主張していた。
何より異質だったのは、両側に立っている女性二人が銃に見えるものを持っていたことだった。背の高い方は簡単な拳銃。低い方はハリウッド映画に出てくるような重そうな銃を抱えている。
本物かどうかの区別がつけられるほどの鑑識眼は持ちわせていないが、状況から鑑みるに玩具でこちらを脅しているなんてことはないだろう。かと言えば彼らがそういうモノの携帯を何らかの正式な形で許可されているようにも思えなかった。
「無事だな」
中央に立つ金髪の女性が言った。
私が何から口にすべきか迷っていると、女は話を続ける。
「私はここをお前の終着にするつもりはない。もう少しの間だけ判断に時間が欲しいからな」
何のことを話しているのだろう。というか、彼女が話している対象は私なのだろうか。
「とっとと立ち上がってここから去れ」
頤で彼女は示す。
私は彼女たち、とくに両側の女性たちの銃に目を向けながら、ゆっくりと立ち上がった。
「……あなたたちは?」
ダメもとで聞いてみることにしたが、返答は予想通りだった。
「教えられない、今はまだ」
目を合わせる。外してはいけないような気がした。片方しか見えない、金色の瞳に吸い込まれる。
「やるべきことがあるんだろう?」
彼女は私がさっきまで考えていたことを見透かしたように言った。
「なら、行け。この先のピースはそろっている」
私は彼女の言葉に従うのが正しいような気がした。
もはや住み慣れたこの一室の玄関に通じる扉へと向かう。後ろは振り返らない。視る必要はもうない。どうせ戻ってくることもないのだろうから。
火蓋は切って落とされた。戻ることができない場所だけが増えていく心地がしている。
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