第5話 婚約破棄いたしますわ!
「やはり、まずは筋肉ですわ! 筋肉は、全てを解決いたしますわ! 筋肉をつけるために、レッツ! トレーニングですわ!」
翌日の朝、私は1人で運動場を訪れていた。この学園には無駄に立派な運動場がある。体操服を着た私は、軽く準備体操をする。
今日は、休日である。全寮制のこの魔法学園の生徒たちにとって、休日は自由な外出を許された唯一の時間である。もちろん門限はあるが。したがって、ほとんどの生徒たちは街に遊びに出ていた。
運動場には、私1人しかいない。本来は運動部などもあるのだが、この学園の部活動はそれほど積極的に活動していない。大半が貴族の道楽程度である。唯一、馬術部が頑張っている程度だ。
しかし、それは私にとってむしろ好都合である。おかげで1人で伸び伸びとトレーニングができるし。運動部の施設が使い放題なのである。
「よし! 最初のトレーニング! まずは腕立て伏せですわ! 腕の筋肉を鍛えますわよ! このゴボウみたいな細い腕に、立派なぶっとい筋肉をつけますわ!」
私は、昨日のフローラ戦で自分の非力さを痛感していた。たった2発のパンチを受けただけでフラフラになってしまった悲しいほど非力な体力。
精神的には、悪役プロレスラー『ザ・グレート夜叉』の記憶が蘇ったことで強くなっている。しかし、肉体的には貴族の令嬢ジェシカとして生きてきた非力なお嬢様のままなのだ。
いくら幾千の戦いを経て得た経験とプロレスの技の知識があろうとも。今の非力な肉体では、それを活かすことなどできない。プロレスラーに必要なのは、やはり
そのために、まずはトレーニングで体を鍛えなければならない。そして、充分な筋肉と体力を身につけたところで、フローラに再度勝負を挑むのだ。リヴェンジ・マッチをするのである。
復讐の炎に燃える私。鼻息荒く意気込んだ。そして、さっそく腕立て伏せの体勢に入るが……
「ぐ、ぐぐぐぐ…… ダ、ダメですわ…… 腕に全く力が入りませんわ。どうなっていますの?」
結論から言うと腕立て伏せは1回もできなかった。腕立ての体勢のまま、ただ腕がプルプルと震えていただけである。これは、予想以上に非力な体である。私は、少し考え込む。
「うーん。筋肉より先に、基礎体力をつけなければなりませんわね」
筋肉をつける以前の問題であった。今の私には、ミジンコ並みの体力しかない。そこで、私は運動場を軽くジョギングすることから始めることにする。
しかし、10分後――――
「はぁはぁはぁ…… もうダメですわ…… ギ、ギブアップですわ」
まだ1キロも走らないうちにバテてしまった。とことん体力の無さを痛感させられる。貴族のお嬢様であるジェシカの体は、今までランニングなどしたことが無かったのだろう。
「……これは、先が思いやられますわね」
筋肉は1日にしてならず。もちろん、たった1日の訓練でどうにかなるとは思っていなかったが。さすがに、ここまで体力が無い体だとも思っていなかった。
今後のトレーニングの方法について、考え直す必要がある。仕方ないので、少し休憩にしようと思った…… その時であった。
「こんな所にいたのか? ジェシカ! 探したぞ。せっかくの休日だというのに、お前はこんな所でいったい何をしているんだ?」
声のする方を振り返ると、長身の青年が立っていた。少し天然パーマのかかった長い髪。
この男のことは、知っている。名前は、クローディス・クロード。18歳。生徒会長のキースほどの美形ではないが、かなりのイケメンである。少したれ目な
そして、この男クローディスは実は私の
「あら? クローディス。ごきげんよう。あなたこそ、こんな所で何をしていらっしゃるの? 今日は、せっかくの休日でしょう? 他の女の子たちとデートの用事でもあるのではなくて?」
私は、嫌味を込めた返事を返す。冷たい笑みを浮かべて、軽蔑するような視線をクローディスに送った。
私は、婚約者であるこのクローディスのことが好きではなかった。見た目通り軽薄な男である。私という婚約者がいるにも関わらず、平気で他の女子生徒とデートしたりするような男だ。
まあ、好き合っていないのはお互い様であろう。所詮は、親同士が勝手に決めた婚約である。貴族の家同士の政略結婚だ。本人たちの気持ちなど関係ないのだ。
クローディスは腕組みをしながら私に近づいて来る。眉間にしわを寄せて厳しい表情をしていた。
「相変わらず嫌味な女だな。君は…… それより、聞いたよ。ジェシカ。フローラとかいう庶民の娘と決闘をして顔を殴られたそうだな?」
「それが、どうかいたしまして? クローディス。あなたには関係のないことですわ」
私は、プイっとそっぽを向いて答えた。しかし、軽薄なクローディスにしてはめずらしく引き下がる気配はない。怒気のこもった声で私に言う。
「冗談じゃあない! ジェシカ! それが本当なら由々しき事態だ。俺の婚約者を殴ったということは、俺を侮辱しているのと同じことだ。到底、許される行為ではない。然るべき報復をしなければならない…… クロード家の名誉にかけて!」
「ふッ…… 俺を侮辱ね…… 笑わせてくれますわ」
私は、鼻で笑った。この男は、やはり変わらない。私のことを心配しているのではなく、気にしているのは自分と自分の家の
私は、そっぽを向くのをやめてクローディスを真っすぐに見た。そして……
「シャーッ! ンナロォーッ!(訳:この馬鹿野郎ッ!)ですわ!」
クローディスの頬を思い切りビンタした。手首のスナップを効かせて。パッシィーン!と小気味いい音が辺りに響く。
「な、何をするんだッ!? ジェシカ!」
クローディスは、頬を押さえながら驚いた顔で私を見る。私は、落ち着いた声で返した。
「フローラとの問題は、わたくし個人の問題ですわ! あなたは余計な真似をなさらないでくださる? クローディス」
「そういう訳にはいかんだろう! 俺にも立場というものが……」
「お黙りなさいッ! あなたが大事なのは、わたくしではなく。ご自分の
私は、強い視線でクローディスを睨み返した。私が切った
「クローディス。もし、あなたが余計なことをすれば…… わたくし。あなたとの婚約を破棄いたしますわ! よろしくって!?」
「……な、なんだって!? 婚約を破棄だって? 無茶を言うな! 親同士が決めた婚約だぞ!?」
「関係ありませんわ! 女同士の喧嘩に首を突っ込むような
婚約破棄という言葉に、クローディスは激しく動揺している。肝っ玉の小さい男だ。小さく震えて何も言い返せないでいる。
「では、ごきげんよう。クローディス。良い休日を…… くれぐれもフローラに余計なことはなさらないよう。忠告いたしますわ。では!」
私は、ポカーンと口を開けたままのクローディスをその場に残して、静かに立ち去った。
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