ノアルウ

第108話

「じっちゃーん、ねえ、ちょっと聞いても良い?」

「おう、アイランか――それにセタ君も。起きておったか」

 港の桟橋で作業中だったフジイは手を挙げて呼びかけに答えると、快く二人を迎えた。

「おはようございます」

とセタが軽く頭を下げる。

 フジイは腰を叩きながら立ち上がり、アイランに目を向ける。

「聞きたいことっていうのはなんだ? セタ君が一緒ということは、また竜のことか。とはいえ、最近は見てないが……」

「いや、今日は魔女様の事なの」

「なに、魔女様?」

 フジイは首を傾げ、白いひげにふれ、セタの方を見た。

 そしてまた、アイランを見た。

「魔女様のことなら、セタ君に聞いた方が良いじゃないか。儂よりもずっと詳しいはずだ。だって、ルカヱル様と一緒におるんじゃし。なあ、セタ君」

「違うの、じっちゃん。ルカヱル様のことじゃなくて、この島で言い伝えられてた箒の魔女様のことなの。じいちゃんが子供のころに聞いたっていう方だよ」

「儂が子供の頃に聞いた、箒の魔女様の話? ――だから、ルカヱル様だろう?」

「その話です。フジイさんが子供の頃、ルカヱル様のどんな話を聞いたのか、俺にも教えてくれませんか?」

「ふうん、まあ構わないが……」



 その魔女は、夜明けとともに東の海の果てパシフィスから現れた。

 船の者たちは、光を背に受けて空を飛ぶ箒を指さし、皆がその行方を追った――自分たちの島に、箒が降り立つのを見届けると、急いで港へと戻っていったそうだ。

 箒を持った魔女は島を見ながら散歩していた。駆けつけた住民たちに、彼女はルカヱルと名乗ったそうだ。

 島に来た目的を聞かれると、魔女は「ただの旅の最中」と答えた。

 日が真上に昇る前に、その魔女は海の向こうへ消えてしまった――そして、その日は珍しく特に長い凪が訪れ、海の乱れが一日中静まったとか、なんとか。

 皆は船に乗り、帆を広げて漁もせず、本当の海の流れを思い出したという。



「……こんな感じじゃったかな? 言い伝えによれば、箒を持っておったから島の中でえらく目立っていたそうだ。それはそうじゃな。いくら辺鄙な島といっても、掃除以外の目的で箒を携帯してるモンはおらん」

「あはは、そうだね」

「儂が子供の頃、儂のじいちゃんから聞いたのは、魔女様は来てすぐに姿を消してしまったそうじゃが――その日の訪れた、特に長い凪の間に海図の補正がされたそうじゃ。ありがたやありがたや、とは言っておったが……それから、渦を生むデルアリアも来たからのう。何がありがたかったのか、魔女様には悪いが、すっかり忘れておった」

「いえ……フジイさんの子供のころの話ですし、覚えていなくても仕方ないと思います」

 そう言いつつ、セタは以前のデルアリアの調査のときにフジイから聞いた話を思い出した。

 “儂の親父たちは乱れた海流の対応方法を練って海に出とった。儂のじいちゃんの代から、竜の機嫌を知るノウハウを蓄積してな”

「フジイさん……昔は海に出るとき、竜の機嫌を知るがあったって、この前に言っていましたよね。そのノウハウっていうのは?」

「よくそんな話を覚えておったな、セタ君。そのノウハウというのが、まさにその凪の日に記録された海図ということだ。その海図から流れが乱れているほど、竜の機嫌が悪いという判断指標だった」

 フジイはそう言うと、腰を上げて、近くに置かれていた彼のカバンから四つ折りの紙を取り出した。

「ほれ、これだ。今となっては、もうお守りに近いが」

「……見てみても?」

「もちろん」

 セタは受け取ると、古い海図を開く。そこに掠れた矢印記号で記された情報は、彼に一つの確信を与えた。

 ウルの海流予想図と、凪の日に記録された古い海図に記された海流の方向は、同じだった――つまり、ウルの海流予想図は間違っていなかったのである。

 逆にいえば、学院が海流の検証を行ったときは海流がインクレスの影響で乱れていたときだったのだ――学院は、自分らの目で見た調査結果の方を「正」とし、ウルの予想図を「誤」と判断した。その判断自体が誤りだとは思いもせず。

 いや、正確に言えば学院の判断も誤りとは言い切れないものだった。

 なにせここ100年以上、この一帯の海流は、確かにずっと乱れたままだったのだから――つい最近、ルカヱルとセタがこの島を訪れるまでは、海流が乱れた状態がずっと「正」だったのだ。

「そういうことなんだな……」

 セタは、ごく小さな声で呟き、息をついた。今や、すべての時系列が彼の中で整理されたのである。


 魔女ノアルウはずっと古い時代に――おそらくはアトランティスが崩壊してから程なく――インクレスの危険性、所在と共に伝承を、最初に言い伝えた。つまり「インクレスの最初の伝承者」だ。それはおそらく、アトランティスの被害に基づく警告の代わりだったのだろう。

 そしてアヴァロンの学院の興りと共に人間たちが海に出始め、魔女以外も長距離移動を始めた時代。ノアルウは「ウル」を名乗り、海流の予想図とインクレスの論文を技科学院工房へと提出した。すぐに学院が海流の検証を行ったことで、海流の乱れの位置――すなわち、インクレスの影響を最も強く受ける地帯を見出だした。

 それがおよそ「フジイの祖父の代」のことなのだ。

 調査のために島に訪れたノアルウは、箒に乗っているところを船乗りたちに目撃された。しかし何かの事情があって「ルカヱル」を名乗って正体は隠し、その後すぐに姿を消したのは、おそらくインクレスの調査のために深海へ向かったのだろう。

 それから何十年か経って移動してきた渦の竜デルアリアも、海流の乱れに巻き込まれ、長期的にこの島に囚われた。それが「フジイの親の代」だった。

 それからまた時間が経ち、やがて竜の図鑑プロジェクトが始動し――本当のルカヱルが、この島に訪れた。


(それにさっきの話からすると、やっぱりこの島に来たっていう最初の箒の魔女は、ルカヱル様じゃなくてノアルウ様なんだろうな)

 箒を持ったその魔女は、島の中でとても目立ったという話だった。だが、ルカヱルは割と普段は箒を手に持っていない。すぐに袖の下にしまうのだ。

 厳密には、ドロップ缶の中に押し込んでいるそうだが。

(でも、たぶんノアルウ様はドロップ缶の収納魔法を使えなかった。だから、んだ――この予想が正しいなら、つまり“前提”も正しいってことになる)

 セタは、何かぞわぞわとする感情を抱きながら、海の向こうを見て、笑みに似た表情を浮かべた。彼の考えが成立するための「前提」こそ、おそらく、ルカヱルにとって最重要のポイントなのだ。

(ノアルウ様は死んでなかった、生きてたんだ――! アトランティスが沈んだ後も)




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る